しつこいようだが、別段「そういう物語」を選択的に探しているわけではない。
しかしなぜか昨今「父の不在」を隠れたモチーフにしたものが多いような気がする。 ツ○ヤのキャンペーンで旧作が半額なので、仕事帰りに立ち寄ってほいほいほいと適当に見繕って借りる。 『アイランドタイムス』『ユー・キャン・カウント・オン・ミー』『赤い鯨と白い蛇』の三つ。 それから本屋に寄って、朝日新聞の漫画評で取り上げられていた吉田秋生の『海街diary 1――蝉時雨がやむ頃』を買って帰る。 『アイランドタイムス』 2006年日本 監督:深川栄洋 出演:柳沢太介、仲里依紗、 細田よしひこ、水木薫、児島美ゆき、寺田農 主人公は中学三年生の昌治(柳沢太介)。 東京の離れ小島、青ヶ島で暮らす島で唯一の中学三年で、自家製の月刊地域新聞『アイランドタイムス』を取材から原稿書き、編集、印刷、配達までひとりでこなして発行している。 能天気でおばかな気のおけない三枚目だが、昌治もまた思春期まっただ中にあり、人生の岐路に立っているわけである。 青ヶ島には高校がないので、中学卒業後はみな島を離れ、本土の東京の高校に進学する。 昌治は15年間ほとんど島の外に出たこともなく、故郷の小さな島に愛着し、特に大都会への憧憬もない。 将来ジャーナリストになりたいという漠とした希望を持っているので、そのためには進学しなければならない。しかしもうひとつ煮え切らないところがある。 ただ、尊敬する先輩で親友、島始まって以来の秀才と期待された亮二(細田よしひこ)が、大都会東京で元気に高校生活を送っているはずであり、東京に行くとしたら亮二が頼りである。元々『アイランドタイムス』は亮二が始めたもので、昌治がそのあとを継いでいる。 そこに初めての同級生(それも女子、しかも美少女)の奥村夕希(仲里依紗) が祖父のもとで暮らすためにやって来る。 成績優秀なクール・ビューティで頑なに心を開かない夕希に岡惚れした昌治は、なにかとつきまとう。 そして夕希は次第にそんな(能天気でおばかな)昌治との距離を縮めてゆく。 実は夕希はその才能を期待されていた新進のピアニストだったのだが、とあるコンチェルトで失敗し、それがトラウマとなって音楽から離れ、都会からも離れ、祖父がひとり暮らすこの美しい島にやって来たのである。 ピアニストの道を捨て、この静かで美しい島にずっといたいという夕希に、昌治も進学なんかせず島に残ると言う。 そしてある日突然、東京の内地から亮二が島に戻ってくる。高校を辞め、暗い顔をして、地元の工場で働き始める。 昌治は亮二のいない東京、亮二を著しく傷つけた大都会への興味をますます失う。 しかし、島の老若男女を相手にした合唱サークルの発表会でピアノ演奏をした夕希は、あらためて音楽の道を歩むことを決意し島を離れる。 昌治も卒業後は島を出て内地の高校に進学することに決める。 というたいへんハート・ウォーミングな(ベタな)青春物語である。 英雄は敗北して帰還し、憧れの少女は遠い世界に去る。 ミドル・ティーンの岐路にある昌治は、自分の人生は自分の選択によって決めなければならない。 この物語を夕希に注目して見るなら、世界の中心から辺境にある癒しの地(離れ小島、美しい自然、静かな環境、寛容な祖父、木訥な住民たち)への越境と、そして帰還の物語ということになる。 亮二に注目するなら、辺地にある故郷から大志を抱いて大都会へ向かい、そして回復し得ない損なわれ方をして故郷に帰ってくる帰還の物語である。 いずれも話型としてはたいへんシンプルである。 さてと。 私が「あれ」と思ったのは、昌治のおうちが「ア・プリオリに」母子家庭だという点である。 なんでも父は何年か前に内地に買い出しに行ったまま帰ってこないんだって。 なぜなんだろう。 何か物語を始動するうえで、「父がいない」というのがどうも昨今では必須のアイテムになっているようである。 夕希の父も不在である。 夕希を連れ戻しに来る冷徹な中年男(寺田農)が登場するが(あれがパパかな)、あくまでも過酷な練習への復帰を夕希に求めるピアノの先生という役柄なのであって、どう見ても父親として心配してやって来たわけではない。 亮二の父親なんてちらりとも出てこないし。 というわけで『アイランドタイムス』は青春物語の衣装を借りた「父の不在」の物語なのである。 『ユー・キャン・カウント・オン・ミー』You Can Count on Me 2000年アメリカ 監督:ケネス・ロナガン 出演:ローラ・リニー、マーク・ラファロ、マシュー・ブロデリック、ジョン・テニー、ローリー・カルキン、ジョッシュ・ルーカス スモール・タウンに暮らすシングル・マザーのサミー(ローラ・リニー)は、地元銀行で働きながら8歳のひとり息子ルディ(ローリー・カルキン)を育てている(ほらね、パパ不在でしょ)。 サミーの弟のテリー(マーク・ラファロ)は小さな田舎町を嫌い、アメリカ中を放浪して定職にも就かず、手紙も滅多に寄越さない。 サミーとテリーは交通遺児で、子どものころに交通事故で両親を亡くし(ほら、また)、施設で育った。 離婚しているサミーはルディとふたり暮らしで、古物商(だったか不動産屋だったか)を経営するボブ(ジョン・テニー)と、勤め先の銀行に赴任してきた鼻持ちならない新支店長ブライアン(マシュー・ブロデリック)との二股をかけたラブ・アフェアに興じている。 それでいて日曜には必ず教会に通うカトリック信者という、複雑で重層的なキャラである 映画の魅力の過半はローラ・リニー演ずるサミーのくるくる変わる喜怒哀楽の表情にあると言ってもいい。 ほんと、役者巧者である。 サミーは息子のルディに元夫のことを多く語らない。 ルディは想像裡に(学校の宿題の「父」をテーマにした作文で)父を秘密諜報部員の正義の味方として思い描く(実は暴力的なぼんくら野郎であることがのちに判明する)。 そこに音沙汰のなかった弟のテリーが突然帰ってくる。 実は金に困ってサミーに無心をしに来たことがわかる。しかし、自分が不在のあいだに恋人が自殺未遂をはかり、テリーはしばらくサミーたちのもとに留まることにする。 テリーはルディにとって「父親代わり」を演じ、常軌を逸した「変な叔父さん」役を担う。 社会規範を教え、常識を体現するスーパーエゴたる親とは異なり、変な叔父さんというのは「搦め手から人生入門を促す」メンターの役割を果たすものだ(それを元々「逸脱者」であるテリーは特に意図することなく「自然に」担う)。 夜中にルディをバーに連れ出し、一緒に賭けビリヤードをする。 父に会いたいと言うルディを連れて、町はずれの貧民地区に暮らす実父のルディ・コリンスキー(ジョッシュ・ルーカス)のところへ行く(そして殴り合いとなってテリーは逮捕される)。 ルディは二度にわたって父を失う。 一度は両親の離婚によって、二度目は会いに行った実父に「こいつは息子ではない」と否定されることによって。 いや、三度か。 想像力のなかで理想化していた父親が実はぼんくら野郎だったという、「理想の父親像」の解体によって。 いや、実は四度か。 テリーの行動に怒ったサミーは出て行くように言う。 またしても故郷を捨てて放浪の旅に出ようとするテリーに、ルディは一緒に行きたいと言う。しかしテリーはお前の面倒は見られないとにべもなく拒絶する。 かくして、そもそも父のいなかったルディは、実父に否定され、父親の理想像を破壊され、そして「代理父」に拒否されることによって、四度にわたり「父の不在」を体験するわけである。 サミーは新支店長ブライアンと火遊びをするが(なんであんなヤローと付き合うことになったのか今ひとつわからない)、単身赴任をしている彼には妊娠中の妻がいる。 つまりブライアンは子どもが生まれる以前からすでに「不在の父」役を演じているわけである。 『赤い鯨と白い蛇』 2006年日本 監督:せんぼんよしこ 出演:香川京子、樹木希林、宮地真緒、浅田美代子、坂野真理 雨見保江(香川京子)は老齢のため最近とみに物忘れが多い。行き慣れたスーパーからの帰り道を忘れたりする。 ずっと東京の娘夫婦と同居していたが、娘は3年前に亡くなり、孫の明美(宮地真緒)も大学を出てフリーターながらすでに独立している。 血のつながらない娘婿とのふたり暮らしも気鬱であるし、体調にも不安を感じた保江は、千倉に住む息子夫婦のもとに身を寄せることにする。 千倉には明美が送っていくが、その旅の途次、保江は戦時中に疎開して暮らした館山の家をもう一度見たいと言い出す。 途中下車したふたりは、昔と変わらぬ古民家に向かう。保江にしたら60年ぶりの地である。 その家は光子(浅田美代子)と小学生の娘の里香(坂野真理)がふたりで暮らしていたが、取り壊して新築にするため、すぐそばの仮住まいに引っ越したばかりだった。 気のいい光子は保江の希望を快く聞き入れ、ひと晩滞在することを許してなにかと世話をしてくれる。 夜になると突然、以前この家を借りていたという美土里(樹木希林)が現れ、古民家の座敷では年代も異なる5人の女性が輪になって歓談する。 さて、確かにこれは「女性映画」と呼ぶべき作品だが、それは「父の欠落」というかたちで描かれる。 保江の夫が亡くなって久しいことは物語上「当然のごとく」了解されていて、何らメンションもされない。 明美が父と携帯電話で会話するシーンはたびたびあるが、むろんその父は画面に登場しない。 美土里はいかがわしいサプリメント食品のセールスをしていて、バッグに隠した大金や身を潜めるような怪しげな挙動から、どうやら詐欺まがいの商売をしていることが窺われる。夫から再三メールや携帯電話への呼び出しがあるが、美土里は応じようとしない。 光子はと言うと、夫が不在なのは死別や離婚のためでなく、3年前に釣りに行くと言ったまま突然いなくなり、行方もわからないことが語られる。光子が古い家の建て直しを決めたのも、夫のことを忘れたいがためらしい。 他方、娘の里香はこの家や庭にある鳩小屋が大好きで、父の思い出を忘れたくないと言う。 光子は館山の駅前に夫らしき男がいるのを偶然見かける。しかし、それも遠くの後ろ姿で顔も見えず、所在なげで逡巡するように煙草を吸っている風情である。 保江が館山に来たいと言い出したのは、60年も前にこの地で交わした海軍少尉との約束ゆえである。フラッシュバックで登場する青年、藤井鶴彦(だったかな・・・忘れた)は「凛々しい軍服姿」だけでやはり顔さえ登場しない。 極めつけは明美である。 たびたびカレシから携帯に電話がかかる。実は明美は妊娠しているのである。そして突然、そのカレシが東京から訪ねてきて「結婚したいなら子どもを堕ろせ、子どもを産むなら別れる」と通告する(画面には登場しない)。 映画のエンディングは一年後のシーンに飛び、館山を再訪した明美が赤ん坊とともに夏祭りを見ている風景で終わる(むろん明美は赤ん坊の父とは別れたのであろう)。 ことほどさように「父なるもの」は画面から追放される。 男の登場人物らしきものと言えば、タクシーの運ちゃん、光子の夫らしき男(の遠景の後ろ姿)、海軍少尉の青年(の首なし軍服姿)くらいである。 むろん、エンドロールにキャストとして上がるのは、5人の女性のみ。あとはその他大勢扱いである。 吉田秋生『海街diary1――蝉時雨がやむ頃』(2007、小学館) 鎌倉に暮らす三姉妹の物語が、すぐに四姉妹の物語になる。 看護師でしっかり者で怒りっぽい長女の香田幸は母親役割を担う(妹たちから「シャチ姉」と呼ばれる)。 短大を出て地元の信金で働く次女の佳乃は多情で惚れっぽく、酒癖は悪いが憎めない。 三女のチカは「体育会系」のさっぱりとした性格で、スポーツショップで働いている。 物語を動かすのは、そこに介入する四番目の少女すずの登場だが、すずの登場に必須なのは「父の死」である(ほら、ほらね)。 三人の両親は15年前に離婚し、父親は別の女性と家を出て行く。 2年後には母親も別の男と再婚して家を出て、それ以来三姉妹は祖母と暮らしていた。その祖母も亡くなり、今では鎌倉の古い家に三人だけで暮らしている。 そこに父の訃報が届く。 父は再婚相手と死別後、一人娘のすずを連れて、同じくふたりの子持ち女性、浅野陽子と再婚し、今では山形の温泉街にある老舗旅館で働いていた。 いまだに父を許さない幸は葬儀への出席を拒否し、父の死になんの感慨も抱くことのできない佳乃と、暢気なチカのふたりが山形に向かう。そして健気で勝ち気に振る舞う腹違いの妹、すずと出会う。 幸の誘いで、すずは血のつながらない義母や義弟たちとではなく、初めて会った姉たちと暮らすために鎌倉にやってくる。 かくして古都鎌倉での四姉妹のドラマが始まる。 三姉妹を置いて出て行った不在の母は、物語を動かしはしない(少なくとも今んところ)。 15年にわたって不在の父も物語を動かさなかった。父の訃報を耳にした佳乃が「こまったなあ、ちっとも悲しくない」とつぶやくように、三姉妹にとって父の不在も常態にすぎない。 父が不在であることが顕現して初めて、つまり父が欠性的に顕現して初めて、物語が始動する。 三姉妹はかつて父と過ごした幸福な思い出を、「お父さん、やっぱりやさしい人だったんだよ。ダメだったかもしれないけど、やさしかったんだよ」という記憶をたぐり寄せる。 三姉妹の「つつがない日常」に抑圧されていた「父との幸福な記憶」が回帰することによって、物語が始まり、そして通常はそこで物語は終わる。 しかし手練れの吉田秋生がそんな定型で物語を締めくくるわけがない。上は第一話までである。 不在の父の欠性的な顕現は、すずという具体的な人物のかたちをとるからである。 「不在の父」の物語として始まったこの作品が、今後そこから跳躍してどんどん遠くに行くことを期待する。 そしてこの物語を始動した原点としての「父の不在」から遠く隔たれば隔たるほどに、その原点は再三再四さまざまなかたちをとって必ず迂回的に回帰してくるであろう。 これからどんなお話になるか知らないが、それだけはまちがいない。ここに予言するのである。 言っておくが私の予言はかなりの高い確率で当たる。 なんせ外れないときには必ず当たるんだから、相当な的中率と言わなければならない。 早く第二巻でないかな(第一巻が出たばっかだけど)。
by mewspap
| 2007-09-12 21:05
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