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シネマのつぶやき(その10)

■シネマ◆
■の■■■
■つぶ■■ ◆ その10
■■■やき ■ ■ ◆ 2002-10-03

◆『マーシャル・ロー』THE SIEGE
シネマのつぶやき(その10)_d0016644_9223475.jpg1998年アメリカ
監督:エドワード・ズウィック
出演:デンゼル・ワシントン、アネット・ベニング、ブルース・ウィリス他のみなさん
【カテゴリー:デンゼル・「よい子」・ワシントンの「やっぱ民主主義がええわ」映画】
近作の『トレーニング・デイ』で冷徹なワルモノ役に挑戦するまで、ずっと「いい子」だったデンゼル・ワシントンの主演映画。
PC時代のインテリ白人男性が、お友っちになってもいいと思う黒人ナンバー・ワンでしょう。彼が話すのは「黒人英語」じゃないし。

FBI捜査官の責任者というのが黒人のワシントンで、通訳兼部下はアラビア人、さらにアジア系の女性部下もいる。

とってもPC的である。

ブルース・ウィルスが演じる将軍は男性白人。ワルモノは「白人」の「男」の家父長的な権力者つうわけ。
CIA捜査官は白人だけど女性という配役にしているし。(それにしてもブルース・ウィリスの将軍って、似合わない。)

冒頭、拘束されるイスラム過激派指導者は、どう見てもオサマ・ビン・ラディンである。2001年9月11日を予測した映画なのだ。

作中、戒厳令下におかれたニューヨークには、ツイン・タワーが「まだ」ある。街路に軍が展開する光景を見て、わたくしはくらくらとデジャ・ヴュを感じたぞ。

そうだ、あれはかつての韓国の風景である。20余年前、韓国は朴正熙軍事独裁政権でした。1979年に朴正熙暗殺とクーデターが起きて、民主化運動が激化し光州事件が起きて、現大統領の金大中は捕まって内乱罪で死刑を宣告されたのである。

あのころの韓国は、風景が日本の都会と同じだった。それでいて戦車と兵士が展開する異様な光景だった。

隔世の感だね。日韓共催ワールドカップを見て、やっぱ平和がええわって思うよ。

この映画って、権力の暗部や陰謀や策謀と、法と民主主義を主題にしているのか。それともテロリズムにさらされた現代アメリカ社会を描くことが主眼なのか。

あるいは市民社会と軍隊の「包囲」という非日常性を描くのが眼目なのか。それともやっぱり、法と民主主義というテーマに隠蔽した、対テロ脅威論の喧伝なの?

でもデンゼル・「よい子」・ワシントンが主人公だから、落とし所はやっぱり生真面目な人権派ヒューマニズムである。

最後にワシントンとウィリスが対峙する場面から、それは明らかだ。
"The law states . . . "と言いかけたワシントンに、ブルース・ウィリス「将軍」はわめき立てる。
"I am the law. Right here, right now, I am the law."

それに対してワシントンは臆することなく叫ぶ。
"You have the right to remain silent. You have the right to a fair trial. You have the right not to be tortured, not to be murdered. Rights you took away from Tariq Husseini. You have those rights because of the men that came before you who wore that uniform. Because of the men and women who are standing right now, waiting for you to order them to fire." 

『アミスタッド』の終わりの、アンソニー・ホプキンズの演説と語法が似ている。「法」と「法社会」を苦労して生み出してきた先人たちの歴史に訴えるところが。
軍隊が法を踏みにじって「国家のために」行動したら、テロリズムと何ら変わらない。不法に拘束されたアラブ人たちも釈放される。

タリバーンは軍事法廷にかけられるそうである。キューバで拘束されたタリバーン兵は、捕虜として扱われることなく、人権も奪われている。
「テロリズムに対する戦争」「ごろつき国家」に対する制裁を唱えるブッシュ大統領は、この映画観たらどう思うだろう。何も変わらないだろうけど。

でもニューヨーク的都会って、アメリカのほんの一部なんでしょ。『デイアボロス』でもそれがよくわかった。
多くのアメリカ人は「田舎者」なんだから。「たかが」ニューヨークひとつの戒厳令で、アメリカ全部の法と民主主義の問題を代表しているかのように描くのは、やっぱ筋違いじゃなかろうか。

◆◆『武器よさらば』A FAREWELL TO ARMS
シネマのつぶやき(その10)_d0016644_92468.jpg1932年アメリカ
監督:フランク・ボーザージ
原作:アーネスト・ヘミングウェイ
出演:ゲイリー・クーパー他の昔のひとたち
【ジャンル:「古典名作映画」ないし戦争恋愛映画ないし文豪原作もの】
昔々、子どものときに観た(はずである)。
確か終わりの方で、病院で出産するキャサリンを待つフレデリックが、レストランでテーブルの上に角砂糖をひとつひとつ積み上げながら、印象的な内的独白をおこなう場面があったはず。

ということを授業でしゃべったので、確認しようと思って観た。

画質がひどく、ほとんど真っ黒け。
山場は脱走後の退却シーンだろうけど、悲愴でドラマチックなBGMが流れるなか延々と壮絶な退却シーンが続く。

普通はあんまりしないのだけれど、退屈だし最後のシーンを確認したいだけなので早回しをして観る。
こんなにひどい映像だったかね、変だなと思ったら、A Farewell to Armsの映画版はこのゲイリー・クーパーの1932年ヴァージョンと、ロック・ハドソンの1957ヴァージョンがあったことが判明。
昔観たのはどうやらハドソン版の方らしい。

ツタヤにはクラシック映画コレクションとしてクーパー版の方しかない。
確かに、このヴァージョンは、細かなシチュエーションは原作通り(チーズ喰ってるとき爆撃されるとか)だが、ストーリーを相当改変して簡略化している。

大きな違いは、キャサリンが先にスイスに行っているって点。
戦場にいるフレデリックと、スイスにいるキャサリンは、どちらも手紙が検閲にかけられて差し戻され、相手に届かない。それでキャサリンに連絡がつかないフレデリックは心配になって文字通り軍から脱走するのだ。

原作では、戦線離脱する意図はなく、とつぜん退却時の混乱から、脱走兵として処刑されそうになって「単独講和」を結んで逃亡する。
そしてキャサリンと手に手を取ってスイスへ逃避行となるんだけれど、この映画ではキャサリンが一人先にスイスに行っており、フレデリックに送った手紙が大量に差し戻されてきたのにショックを受けて流産することになる。

観たかったハドソン・ヴァージョンじゃないけれど、最後にレストランに入ってきて食事をするクーパーの演技は悪くない。取り付かれたように虚空を見つめる目の演技。

しかし、あの角砂糖を積み上げるシーンはないし、内的独白じゃなくわずかばかりの「独り言」だけだった。

ロック・ハドソンが角砂糖積み上げるとこ、も一度観たいよ。

◆◆◆『裏切り者』THE YARDS
シネマのつぶやき(その10)_d0016644_925959.jpg2000年アメリカ
監督:ジェームズ・グレイ
出演:マーク・ウォールバーグ、ホアキン・フェニックス、シャーリーズ・セロン、ジェームズ・カーン、フェイ・ダナウェイ、エレン・バースティン
ハリウッド実力派若手俳優として頭角をあらわしてきたマーク・ウォールバーグと、いちおしシャーリーズ・セロン主演なので借りた。

おお、『ゴッド・ファーザー』の長兄ジェイムズ・「ソニー」・カーンではないか。なつかしい。マシンガンで蜂の巣にされてからどこに行っていたんだ。

でも最初の方を観ただけで、冗長なパーティ・シーンにうんざりしてやめる。

ごめんね、気が短くて。

◆◆◆◆『仁義なき戦い』
シネマのつぶやき(その10)_d0016644_9254487.jpg1973年日本
監督:深作欣二
出演:菅原文太、松方弘樹、金子信雄、梅宮辰夫、田中邦衛他たくさん顔だけ知っている役者さんたち
70年代を席巻したやくざ映画シリーズ第一作である。ツタヤで100円レンタル・サービスとなっていたので借りる。

いきなり原爆の写真、そこによく知られたビブラートをきかせたトランペットの吹奏(作中でも誰かが殺されるシーンでは必ず響きわたるプラァラララァ~)でタイトルバック。

『ゴジラ』もそうだけど、戦後日本のイマジネーションに棘のように突き刺さっているのは原爆のキノコ雲のイメージだ(ゴジラって原爆実験の放射能汚染による突然変異ですよね)。

そして戦後の闇市を中心とした町並みの写真。物語も昭和21年の闇市から始まる。

アメリカ兵に追われた女。菅原文太ら「兵隊崩れ」が割ってはいる。
これってどこかで小説でも読んだな。今江祥智の『ぼんぼん』シリーズの元やくざじいさんだったか。

やくざって兵隊あがりが多かったのであろう。
西部劇にご登場される南北戦争後の南軍崩れのアウトローと同じく、習い覚えたが今では使いようのない暴力スキルを持て余している、つうか暴力スキルしか有効なリソースがなく、失うものを何ももたない。

太平洋戦争終結後の昭和のやくざと、米国は南北戦争後のアウトローというのは、このような哀れな共通項がある。

最初の片腕切断の血しぶきドバーッのシーンはもちろん、日本刀を振り回して暴れる「サイコなぶちぎれ鬼畜野郎」とか、刑務所で腕を切って義兄弟の血の杯とか、フェイクの腹切りとか、そして「お約束」の指詰めとか、刃物のこわさを執拗に描く。ほとんど刃物フェティシズムである。

戦後広島の暗澹たる暴力情景は、中沢啓治の漫画『はだしの元』で描かれていたのとそのまんま同じなんだ。
わたくしが子どものときに『少年ジャンプ』に連載されていたこの伝説的な漫画は、「内容に問題あり」とされて誌面から消えてしまった。

その後いろんな雑誌媒体を転々としたと聞く。わたくしは大学生のころに生協の古本市で全巻手に入れて読んだけど、後半は戦後の闇市に生きる被災少年たちの生活と、のし上がるやくざの暗澹たる物語だった。
主人公の元が弟のように可愛がっていた子は、やくざを射殺して東京に出奔するなんて話なんだから。

映画での暗殺シーンには、床屋でバンッ、買い物中に油断しているときドンッてなのがあったけど、『ゴッド・ファーザー』と同じじゃない。
あれれ、コッポラの方が先だよな。『ゴッド・ファーザー』は1972年だから、1年先だ。深作くん、観てから作ったの?

ところでこの任侠やくざ映画シリーズは、組織論と師弟関係あるいは親分子分関係もしくは上下関係論がバックボーンをなしている。

組織は理念だけではいずれ自壊してゆかざるを得ない。組織が発展するということは、すなわち巨大化、近代化、そして世代間の確執を招来する。
巨大化した組織運営の困難が、菅原文太を通じて執拗に描かれる。やくざの組って中小企業みたいなもんで、ライバル社とマーケット争いをしているんだ。だから経営方針で対立が起きる。

親分に関して、「親が親らしくなくとも、やっぱり親だ」という前近代的な忠義思想を手放せず、それをもって初めて自己定位し得るような旧い生き方と、「自由」をキーワードに「ばかであるばかりか卑劣で子を裏切ってばかりいる親」を捨てて自己実現に向かう近代(戦後)人の思想との、対立の物語でもある。

これはただしく「個人」のイシューであり、戦後日本の歴史を振り返ればそのまま当てはまるものであろう。

「組織の生存戦略」のイシューとしてはどうであろうか。

「親が子を思い、子が親を慕う」ことを前提した組織、つまり「上司が無条件に偉大で部下の面倒をよくみて、部下はきらきらしたお目々で上司を敬して付き従う」というような関係が成り立っている組織であればよいが、個人主義的近代化したやくざが主張するように、この前段部分の条件が崩壊したらどうなるか。

「親が親らしく振る舞わない」場合、「子も子らしく振る舞うのをやめる」ことに逢着し、組織は当然ながら自壊する。

だから菅原文太主義の「親が親らしくなくとも、やっぱり親だ」というのは、組織のリスク・マネジメントとしてはただしいのである。

むろん、馬鹿親を頭に据えていると、子は名誉なき犬死にに瀕する確率がたいへん高くなる。
優秀な子がばたばたと無駄死にした挙げ句、馬鹿親が経営戦略を誤れば、やっぱり組織は壊滅するであろう。
そして馬鹿親が経営戦略を誤るのは必定であり(だってそれが馬鹿であるゆえんなんだから)、結局は菅原文太主義によっても組織の救済はかなわないのである。

「シネつぶ」(その7)でご案内のとおり、雪印も日本ハムも東電も、ついでに読売新聞も三菱ふそうもUFJもダイエーも西武も、新たにエグゼクティヴの地位に就かれた方々は、まず最初に『仁義なき戦い』をご覧になることを強くお勧めしたい。

◆◆◆◆◆『最終絶叫映画』SCARY MOVIE
シネマのつぶやき(その10)_d0016644_9265385.jpg2000年アメリカ
ばか。くだらんので5分でやめ。

◆◆◆◆◆◆『アメリカン・ナイトメア』THE AMERICAN NIGHTMARE
シネマのつぶやき(その10)_d0016644_9272654.jpg2000年アメリカ/イギリス
監督:アダム・サイモン
脚本:アダム・サイモン
出演:ウェス・クレイブン、ジョージ・A・ロメロ、トビー・フーパー、ジョン・カーペンター、デビッド・クローネンバーグ
【ジャンル:ドキュメンタリー】
なるほど。60年代終わりから突如興隆を遂げた新たなホラー・ジャンルって、大体同じ世代の監督たちが担っていたんだ。
ジョージ・ロメロ、ジョン・カーペンター、デイヴィッド・クローネンバーグ等々。

彼らは一様に、50年代の子ども時代にフランケンシュタインや吸血鬼や狼男のホラー旧作を観て育つ。

すべての子どもがそうであるように、彼らもまた成長過程のある日突然、「死」というものを幻視し、死の恐怖へと覚醒する経験を経ている。
ただ、彼らの世代には、冷戦、ヴェトナム、そして社会騒乱の60年代経験がある。

普遍的な幼い「死への覚醒」と、旧ホラー映画体験と、60年代体験、この三つが新しいホラー映画ブームの苗床をなしたのだ。

冷戦時代は、世界の終焉のイメージを具体的かつリアルに、この世代に与えた。
ある監督は子ども時代を振り返って、いつ何どき空から「死が降ってくる」かもしれないと思っていたと証言している。

共産主義と核戦争の恐怖に加えて、国内も不安を高めていった。
人種差別、ケント州立大学の学生デモへの軍隊の発砲、反戦・反体制運動、性革命。ヴェトナムへの従軍体験。

インタヴューに応えるホラーの特種メイクの巨匠は、戦場で死体をつぶさに観察し、破壊された肉体の「生物学的構造」を学習して技術を磨きつつ、死の圧倒的な恐怖に直に接する経験をしたという。この時代は「黙示録」の時代だったと呼んでいるが、まことにそれはただしい。

50年代に子ども時代を過ごし、60年代に成人した世代。歴史は、彼らの世代をまるごと、系統的にホラー映画の生産者・受容者にするべく育んだようなものだと言わなければならない。 

すでに「知っていた」ことを、このドキュメンタリーを観て「わかった」。

こういうのがよいのである。
誰も知らないことを提出するのじゃなく、誰しも何となく思っているけれどうまく表現を与えられないと感じていることを、クリアに定式化して描くものが。

よいドキュメンタリーである。

2002-10-03
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by mewspap | 2006-01-04 23:50 | シネつぶアーカイヴ


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