『エレファント』ELEPHANT
2003年アメリカ 監督:ガス・ヴァン・サント 出演:ジョン・ロビンソン、アレックス・フロスト、エライアス・マックコーネル、エリック・デューレン、ネイサン・タイソン、キャリー・フィンクリー、クリスティン・ヒックス、アリシア・マイルス、ジョーダン・タイラー、ニコール・ジョージ、ベニー・ディクソン コロンバイン高校の銃乱射事件をもとに、ガス・ヴァン・サント監督が想像力で再構築した物語である。 ある日、いじめられっ子の男子生徒ふたりが、自分たちが通う高校に重武装でやって来て、手当たり次第に同級生らを殺戮する。 それ「だけ」の話である。81分の比較的短い作品だけど、映画のなかを流れる時間はもっと短い。フラッシュバックを除けば、おそらく30分くらいか、せいぜい40分ほどではないか。 映画の時間が実時間と同じというのはあったかもしれない。キーファー・サザーランドのTVドラマ『24』は、それ自体が物語の結構であり「売り」だった。 クライム・アクションなどでは、クライマックスのシーンを実時間と同じ長さにすることもよくある(時限爆弾のカウントダウンとか)。 しかし、上映時間よりも「短い」時間を描く映画というのはけっこうめずらしい。 この映画では長回しを多用し、カメラが人物を背後から追っていくドキュメンタリー風の手法をとる。ダルデンヌ兄弟の映画(@「シネつぶ」その42)みたいである。 そして長回しは必然的に実時間に沿うかたちになる。 もっとも、時間の流れに心理的なアクセントをつけて、唐突にテンポを変えるスロー・モーションがときおり入るので、実時間よりも若干引き延ばされた長回しとなる。 上映時間よりも映画内時間が短いのは、同一時間を生きるさまざまな人の視点を並列的に提供し、それゆえシーンの重複、というか別の「視点」からの反復という「リダンダント」が起きるせいである。 物語は人物名をチャプター・タイトルに冠したかたちで寸断され、時間が前後する。しかしチャプターは便宜的で、その構成も雑駁であり、他の場所のシーンもしばしば介入する。 主人公というのは存在しない群衆劇だが、最初のチャプターのジョンの存在が通奏低音の役割を果たす。 目にかかる鬱陶しい前髪、哀しげなまなざし、印象的なTシャツの黄色。 ジョンは最初に登場する人物であり、惨劇を辛くも生き残る役なので、観客の感情移入を促すキー・パースンとなり得る。(観客は冒頭のシーンでジョンとともに高校へと向かう。) しかしジョンの「内面」をのぞき見る特権は与えられず、次々と移り変わる視点のなかにジョンも埋没する。観客の共感を喚起するのに必要な人物の「内面」は謎のままで、彼に感情移入の対象を求める観客は肩すかしをくらうことになる。 もうひとり、カメラの密着した長回しにより観客の感情移入を促すのは、不合理ないじめに遭うふたりの犯人、特にアレックスであろう。 しかし、いくつかの「マイナス記号」が与えられているために(ホモセクシュアリティ、ナチスへの憧憬、殺人を楽しむ姿勢)、それが阻まれる。 便宜的にチャプターにナンバリングを施すと、以下のようになる。 1.ジョン 2.イーライ(写真部員でつねに写真機を持ち歩く男子生徒) 3.ネイサンとキャリー(恋人同士で外出許可を得て校外に出る直前) 4.アカディア(ジョンの恋人?でディスカッション・セッションの授業に出席) 5.エリックとアレックス(常々いじめにあっていた男子生徒で、乱射事件を起こす) 6.ミシェル(他の女子生徒から揶揄される孤独な眼鏡の女子生徒) 7.ブリタニー、ジョーダン、ニコール(女子の三人グループ) 8.ベニー(黒人の男子生徒) つねならざる退屈な作業だけれども、シナリオの概略を再構築すると次のようになる。 1.ジョン 明らかにアル中の父親が危なっかしい運転をする車で、ジョンは遅い登校をする。 2.イーライ 写真展に出展する写真を撮るため、公園でカップルを撮す。 ジョンが構内の公衆電話から、父を迎えに来るよう兄のポールに電話する。校長のルースに呼ばれる。 運動場。定点カメラが、トラックを走る生徒たちや、アメフトの練習をする生徒たちを映し出す。ミシェルが通り過ぎる。 アメフトの練習から抜けたネイサンが、真紅のトレーナーを着て校舎に向かう。カメラはその背中を長回しで追う。 廊下でおしゃべりしているブリタニー、ジョーダン、ニコールの傍らを通り過ぎたネイサンは、キャリーと合流する。 3.ネイサンとキャリー 受付で外出許可申請をする。時計が11時10分頃を指している。 校長室でジョンを見つめる校長の長回し。ようやく解放されたジョンは受付に車のキーを預け、「11時半に兄のポールが受け取りに来る」と言う。「1時半に戻る」と受付に言うネイサンとキャリーとジョンが交差する。 無人の談話室のような部屋で、ジョンがひとりで泣いている。壁の時計は11時10分。そこにアカディアが登場してジョンの頬にキスをする(DVDの表紙ですね)。アカディアは「同性・異性愛ミーティング」があると言い残して去る。 4.アカディア アカディアはセッションのおこなわれる部屋に入る。ドアの脇の大きな時計はフレームによって遮られて時刻は不明。黒人教師を中心に、輪を作った生徒たちのディスカッションはすでに始まっている。そこにネイサンの「1時半に戻る」という声がかぶる。 長い廊下で、エリアスとジョンが出会って会話を交わす。廊下の向こうから赤いトレーナーのミシェルが歩いてくる。ベルが鳴ると彼女は走り出し、エリアスとジョンの傍らを駆け抜ける。 カメラはエリアスと別れて廊下を歩くジョンの背を追う。校舎の外に出たジョンは、犬と戯れたあと、重武装をしたエリックとアレックスと行き交う。アレックスがジョンに、「中に入るな。地獄絵図となるぞ」と警告する。 5.エリックとアレックス アレックスが出席している物理の授業のフラッシュバック(フラッシュバックだと思う)。明らかに「体育会系」のいじめっ子ネイサンが、教師の目を盗んでバナナをアレックスに投げつける。トイレで鏡に向かって服に付いた汚れを落とすアレックス。カフェテリアの室内を観察してメモをとり、「計画」を練る。 「現在」に戻り、公園から戻って歩くイーライの背をカメラは追う。現像室で作業をするイーライ。 6.ミシェル 体育のあとグランドから校舎に入るミシェルに、傍らから女性教師が「規則を守って明日は半袖に短パンを身につけるように」と小言を言う。うつむき加減に歩くミシェルをカメラは前から捉える。ロッカールームで着替えるミシェルの背後で、女子生徒たちが「気色悪い奴」と揶揄する。 誰もいない家に帰ったアレックスのフラッシュバック(フラッシュバックだと思う)。 「現在」に戻り、現像室で仲間と楽しげに作業をするイーライ。写真機を手に部屋を出る。イーライの背中をカメラが追う。 長い廊下でジョンと出会って会話を交わす。ミシェルが傍らを走り抜ける。 ジョンと別れたイーライは図書室に向かう。雑誌を片手に閲覧テーブルの方に去る。図書室担当者がミシェルに仕事の指示をしている声が聞こえる。 カメラが切り替わり、ミシェルが書籍を積んだ台車を押して本棚に向かい、本を棚に戻していく。 7.ブリタニー、ジョーダン、ニコール 廊下でだべっている三人の傍らを赤いパーカーのネイサンが通り過ぎる。三人はカフェテリアに向かう。カフェテリアの時計が11時20分(?)を指している。三人は窓ガラス越しに、外で犬と戯れているジョンを見る。ほとんど食べ物に手を付けずに早々に食事を切り上げて、三人はトイレに直行し、食べたものをもどす。 ピアノに向かって「エリーゼのために」を弾くアレックスのフラッシュバック(フラッシュバックだと思う)。エリックが登場する。アレックスとエリックがテーブルで朝食をとる。リビングのTVでナチスの特集番組を観るふたり。注文していたライフルが宅急便で届き、地下室で射撃練習をする。 「現在」に戻り、カメラは歩くミシェルの背を追う。会話を交わしているジョンとイーライの傍らを通り過ぎる。 ミシェルは図書室で書籍を積んだ台車を押して本棚に向かう。あとから図書室にやって来たイーライがミシェルの前を通り過ぎる。ミシェルの耳に銃の劇鉄を起こす音が聞こえる。 シャワーを浴びるアレックスのもとにエリックがやって来て、「今日死ぬんだな。キスしたことがないんだ」と言うフラッシュバック(フラッシュバックだと思う)。 エリックとアレックスが図書室に入ってきて劇鉄を起こす。ミシェルが振り向き、驚いて声をかけようとした瞬間に撃たれる。次いでイーライが撃たれる。 トイレにいるブリタニー、ジョーダン、ニコールの目の前に、銃を構えたエリックが入ってくる。 8.ベニー パニックに駆られて廊下を右往左往しながら逃げまどう生徒たちを尻目に、犯人がいそうな方向へとベニーは一言も発することなく悠然と歩いていく。 「同性・異性愛ミーティング」をおこなっていた部屋の前を通りかかったベニーは、足がすくんで逃げ遅れていたアカディアを見つけ、窓から脱出するのを助ける。自分は逃げずに、そのまま廊下を進んで、腰を抜かして床に倒れたルース校長にエリックが銃を向けて怒鳴っているのに出くわす。背後からゆっくり近づくベニーを、エリックは振り向きざまに一発で射殺する。さらに、走って逃げる校長を背後から撃つ。 死体がそこここに転がるカフェテリアに入ったアレックスは、テーブルの椅子に座る。そこにエリックがやってきて「首尾」の報告を始めるや、おもむろに射殺する。 物音に気づいたアレックスは、大型冷蔵庫に隠れたネイサンとキャリーを見つける。 ふう。 ちょっとはしょった箇所もあるけど、だいたんこんな感じ。 ご覧のように、ここには反復されるシーンがいくつかある。 受付のシーンでは、ジョンの側の視点、そしてネイサンとキャリーの側の視点のふたつが描出される。 廊下にたむろするブリタニー、ジョーダン、ニコールの視点と、彼女たちの傍らを通り過ぎるネイサンの視点。 校舎の外で犬と戯れるジョンと、それをカフェテリアの窓から見るブリタニー、ジョーダン、ニコールのふたつのシーン。 図書室のシーンでは、ミシェルの視点、イーライの視点、そしてエリックとアレックスの視点の三様の視点がある。 なんと言っても長い廊下における、ジョン、イーライ、ミシェルそれぞれの視点描写がある。 このように、いくつかの出来事を多様な視点から描いているシーンがある。 しかし、全体を俯瞰する視点は存在せず、事態の全体像をもつことのできる人物はここにはいないのである。 「群盲象を撫でる」(The blind men and the elephant)の理屈で、個別の視点をいくら積み重ねても、全体像は見えてこないのである。 多角的な視点から事態を眺めてみても、何も見えてこない。 「いじめ」に対する報復という動機付けは一応与えられているが、不可解の念は消えない。 何も見えてこず、何も謎が解けないということそのものを描こうとしているかのようである。 この映画には高所からの俯瞰映像と呼べるものもほとんど存在しない。 ほぼ全編、カメラは人の目線の高さに置かれている。 冒頭の映像は、刻々と時間が変移する空を背景に、一本の電柱(みたいなの。何だろあれ?)を仰角で見上げるように捉えたものである。 ずっとその視座を保つと「首が痛くなる」角度である。つまり、あれも人の目の高さから見た視点カメラの映像なのだ。 次のシーンは、父の運転で高校に向かうジョンの車を、背後からおそらくクレーンをもちいて俯角で捉えた映像である。 酒酔い運転も明らかなその車は、住宅街の路上をふらふらと危なっかしく走行して、駐車した車と接触し、ついには街路樹に激突しかけて急停車する。 俯瞰映像とは呼びがたいが、上から俯角で撮った数少ないシーンである。 このような異例の俯角カメラは、物語の中心となる閉塞的な高校のなかへと観客を導く導入としての役割を果たしているのだろう。 そして後方斜め上から捉える映像は、ふらふらと揺れ動く車といういたって「不安定な」イメージである。 しかし、その俯角カメラもすぐにジョンの目線に「下りて」きて、以後ずっとその「定位置」から離れることはない。 それに続くのは、グランドを映し出す固定カメラの長回しのシーンである。 フレームによって切断されて見えない外部が強く暗示され、人物はときおりフレームの内側に登場しては去ってゆく。 アメフトに興じるネイサンやベニーが見え隠れする。 突然、ランニング中のミシェルがフレームの左からカメラの前に登場して立ち止まり、空を見上げ、そしてフレームの右側に去って退場する。 その間、定点カメラは微動だにしない。 理路の不明なイメージだが、映画のフレームそのものが限定された視野を表している。 射撃者がフレームの外部にいて、姿が見えない映像が少なくとも2回ある。 本棚の前で撃たれるミシェル、カフェテリアの入り口で撃たれるエリックのシーン。 ふたりともフレームの外から撃ち込まれた銃弾により唐突な死を迎える。 解けない謎に歯がみする思いを与えるのは、犯人の動機や無差別殺人の理由が不分明だからではない。 その時その場にいた、というまったき偶然性、そして生死を分ける偶然性が不安をもたらすからである。 ひとりひとりの犠牲者は、それぞれにまったく文脈から外れた寝耳に水の死を迎える。 殺す側もほとんど偶然に依存している。 そもそも、アレックスたちが最初に射殺するのは、同じようにいじめにあっていた「被害者」のミシェルなのである。 逆に、「その時」構内にいないというだけの理由でジョンを見逃すばかりか、「中に入るな。地獄絵図となるぞ」と警告しさえする。 異常事態を察したジョンは校舎の外周を駆け回り、偶然通りかかって声の届く人だけに、とにかく中に入らないでくださいと言って回る。 「救済者」としてのジョンもまったくの偶然に依拠している。 偶然の支配する不合理な現実に抗い、みずからの力で状況に差異をもたらそうとするのがベニーである。 他の生徒たちが逃げるのとは逆方向、犯人がいるとおぼしき場所を目指して、ベニーは悠然と歩いてゆく。 だが、冷静かつ勇敢なベニーはあっさり殺され、校長ひとり救えない。 確かに、少なくともベニーはすくみ上がって動けないアカディアを助けるが、それもたまたまアカディアのいる教室の前を通りかかったためにすぎない。 限定された視点と偶然性というのは同義なのかもしれない。 偶然性を排除し、状況に理路の通った説明を与えるためには、全体像の把握が必要である。登場人物のひとりひとりが、そして観客が奪われているのは他ならぬそれである。 人間の目の高さで、狭いフレームに限定された視座。 それは校長室で説諭されるジョンの視座と同質である。 ソファに腰かけ、アンニュイにだらしなく座るジョン。目にかかる鬱陶しい金髪、赤い頬、赤い唇。 あのように、ふてくされ、アンニュイで、主観的に重荷を背負い、しかし赤い頬と唇に表象されるように、背伸びしてもやはり限定された幼いまなざしで世界を見ているにすぎないのである。 そして「生殺与奪」の力を握った権力者(この場合は校長)の前で頭を垂れている。 あの図像こそ、ひとりひとりの登場人物に、そして映画の観客に与えられた役回りなのである。 ところで気にかかるのだが、ブリタニー、ジョーダン、ニコールの三人グループに対して監督はいささかいじわるではないか。 他の人物たちに比べ、カメラは少し引いている印象がある。 カメラが接近したときも、彼女たちの会話は「今どきの女子高生」まんまの下らない戯れ言(ダイエット、母親への不満、他人の彼氏のこと、ショッピング、カフェテリアで供される食事への文句)であり、速射砲のように発せられる言葉もおよそ空疎なものだ。 ジョンやイーライはもとより、アレックスやミシェルに対するカメラの近さに比べ、彼女たち三人に対して全般的にカメラは一定の距離を保っているように見える。 つまり、「こいつらは殺されてもしかたないな」という印象を与える演出である(ように思う)。 もしかしたら、ロッカールームでわざと聞こえるようにミシェルを揶揄する言葉を吐く女子生徒たちは、この三人だったかもしれない。そうでないとしても、こういう風にグループ化して排除の論理を強烈に作用させる女子の同じような「内集団」であることはまちがいないであろう。 それが監督の意図(なわけないわな)とか無意識の操作ではなく、私のバイアスのかかったものの見方に他ならず、私の抱いた嫌悪感を無意識的に画面に投影しているだけだとしたらごめんね。
by mewspap
| 2005-08-08 14:49
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