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進行状況(TSUMO)

引き続きワシントン・アーヴィング(Washington Irving)著の『スケッチ・ブック』(Sketchbook)という短編集に綴られている「スリーピー・ホローの伝説」(The Legend of Sleepy Hollow)という作品について。

今回も先日、先生に指導して頂いた「節」を作成してみました。しかし1つの節として納まるボリュームではなかったので、1つの章として投稿させていただきます。

第○章 印象と効果
ワシントン・アーヴィングが描く「スリーピー・ホローの伝説」の作中には、一定の法則(思考の筋道)に則った文が多くあり、読者に一様のイメージを与えるように文章が構成されている。その技法を本章ではエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)が「ホーソン論」で提唱した印象と効果を用いて「スリーピー・ホローの伝説」に登場する人物描写と舞台描写が、読者に一様のイメージを与えるように文章が構成されていることを論じ、その技法が読者に対し、最終的にはゴシック的恐怖の要素が真か偽かを目眩まし、騙し、笑わせるためのものへと繋がることを、印象と効果を用いて説く。第1節で登場人物の人物描写(身体つき、思考・性格、名前)を、第2節で舞台の描写について述べ、第3節でポーの印象と効果を当てはめて「スリーピー・ホローの伝説」に登場する人物と舞台の描写が、読者に一様のイメージを与えるように構成されていることを論じる。

第1節 登場人物の人物描写

本節では「スリーピー・ホローの伝説」の物語に登場する人物の身体つき、思考・性格、名前といった登場人物の描写を論じる。物語に登場する人物の中でも、物語に大きく関わる3人─イカバッド・クレーン(Icabad Crane)カトリーナ・ヴァン・タッセル(Katrina Van Tassel)ブロム・ヴァン・ブラント(Brom Van Brunt)─の人物達の描写が読者に一様のイメージを与えていることを論じていく。先ずは物語の登場人物の身体描写から述べる。

主人公であるイカバッド・クレーンは作中で「クレーン(鶴)という苗字は、彼の容姿にぴったりしていた。背は高いが、ひどく細く、肩幅はせまく、腕も足も長く、両手は袖口から1マイルもはみだし、足はシャベルにでもしたほうがいいような形だった。… …貧乏神が地上におりてきたのか、あるいは、案山子が玉蜀黍の畑からにげだしてきたのかとまちがえるかもしれない。」(2)(P196)と身体つきを描写されており、ひどく不細工に描かれている。イカバッドは頭と身体、両手足のバランスがおかしいことが分かり、身体つきだけでなく顔つきも目と耳と鼻のアンバランスさが読み取れる。更には人物像として貧乏神や案山子のような風体として表現されており、イカバッドの容姿が不細工であり、加えて醜悪な風体であるイメージを一様にして読者へと思い描かせる。
続いて、物語のヒロインであるカトリーナ・ヴァン・タッセル(Katrina Van Tassel)は「カトリーナ・ヴァン・タッセルという、オランダ人の金持ち農夫の一人娘がいた。彼女は花はずかしい十八歳の乙女だった。しゃこのように丸々と肥って、熟して柔らかで赤い頬は、まるで彼女の父のつくった桃にも似ていた。… …さらに男性の胸をときめかすような短いスカートをはき、この界隈きっての綺麗な足とくるぶしを見せつけたものである。」(2)(P204)と身体つきを描写されており、美しく、若い女性として描かれている。イカバッドとは対照的で、カトリーナには綺麗・可愛いなどのイメージが読者へ思い描かせる。
最後に、イカバッドの恋敵であるブロムの身体描写は「彼はこの界隈の英雄で、腕ずくと図々しさとで名をとどろかしていた。肩幅がひろく、からだの自由が利き、黒いかみの毛は短くちぢれていて、顔つきは武骨だが、嫌味はなく、道化たような、高慢なような風采をしていた。ヘラクレスのような体格と物すごい腕力とのおかげで、彼はブロム・ボーンズ(骨っぱりのブロム)というあだ名で呼ばれ、どこへ行ってもその名で知られていた。」(2)(P210)とあるように、ブロムの描写には体格が良く、ハンサムで我侭な節があるが、魅力ある男性などのイメージを読者へ思い描かせる。特にヘラクレスのような体格という表現は、ブロムの屈強さを一層読者に印象づけている。

次に、物語の登場人物の思考・性格の描写について述べる。イカバッドの思考は利益主義と描写されている。恋焦がれているカトリーナを好きになったのも「恍惚となったイカバッドは、こんなことを空想しながら、緑色の大きな眼をぐるぐるさせて、ゆたかな牧草地をながめ、豊穣な小麦や、ライ麦や、蕎麦や、玉蜀黍の畑を見わたし、赤い実が枝もたわわになっている果樹園を見、それにかこまれたヴァン・タッセルの暖かい家を見ていた。すると、彼の心は、やがてこの領域をうけつぐことになっている乙女に恋い憧れた」(2)(P207)とあるように、彼女自身ではなく彼女が受け継ぐ遺産が目当てだからである。更にこのシーンの後、彼は彼女が受け継ぐ遺産を現金に換えて、広大な未開地に投資するなど、あれこれと自分に都合の良い思考を巡らす。このように、彼が利益主義であることは誰にでも読み取れるように描かれており、これを裏付ける表現は他にも多々ある。例えば、イカバッドは学者であり、学校を開いて教師をやることで生計を立てているが、定着した家を持つこと無く、あちこちの農家に(教え子の家に)下宿する巡回旅行のような暮らしを送っている。作中では「健啖家」(2)(P199)として描写されているが、同時に利益主義であることも分かる。また彼は伝説や怪談を好み「不可思議なことを好む食欲も、またそれを消化する力もなみなみではかなった。… …どんな大きな話でも、恐ろしい話でも、彼はがぶりとのみこんでしまうのだ。」(2)(P202)や「彼にとってかけがえのないコットン・マザーの著書」(2)(P229)と書き表されているように、かなり迷信深い人物としても描かれている。
続いて、カトリーナの思考・性格について論じる。彼女は短いスカートをはき、綺麗な足とくるぶしを見せつけていたことから、自分の容姿に強い自信を持っていたことが分かる。これを裏付けるものとして、彼女の服装の描写がある。「彼女の服は昔風なところに最新流行をまじえたもので、それがまことに彼女の魅力をしたたるばかりにしていた」(2)(P204)とあるとおり、彼女は自分の容姿の魅力を引き出す服装をしていたことから、自分の美しさに強い自信を持っていたことが理解できる。他にはイカバッドがカトリーナに求愛し、振られるシーンで「あの少女は浮気な悪戯をしたのだろうか。あわれな先生に愛想よくしたのは、先生の恋敵を完全に征服するための単なる見せかけだったのか。」(2)(P230)とあることから、彼女が悪女であったイメージが読み取れることが出来るが、その後に続く文章で「これは神だけが知っているのであって、わたしにはわからない。」(2)(P230)とあることから、彼女が本当に悪女であったかどうかは推測できない。
最後に、ブロムの思考・性格は「喧嘩や騒ぎといえばいつでもこいというふうだったが、気質は悪戯気たっぷりというほうで、悪気はあまりなく、強制的で荒っぽいのにもかかわらず、底には滑稽な茶目な色合いが強かった」(2)(P211)とあるように、身体描写で表現された体格が良く、ハンサムで我侭な節があるが、魅力ある男性などのイメージを後押しするかのように読者に書き表されている。また「韃靼人さながら」(2)(P211)と比喩されるほどブロムは馬術に長けており、これは後に彼が首無しの騎士に変装したままイカバッドをスリーピー・ホローから追放したことの布石でもある。

 最後に、物語の登場人物の名前について述べる。この物語は、登場人物の名前においても読者に一様のイメージを与える技法として用いられている。最初にイカバッドの“Crane”(鶴)という苗字は彼の身体描写のみならず、思考や行動にも顕著に表れている。前述した、彼の定着した家を持つこと無く、あちこちの農家に(教え子の家に)下宿する巡回旅行のような暮らしを送る様は、渡り鳥の鶴のようだと隠喩されているからだ。
続いて、カトリーナの名前について述べる。先ずミドルネームである“Van”とは「オランダ人の貴族の名前につける、もとは出身地を示した」という意味であり、次にラストネームである“Tassel“とは「(トウモロコシの)ふさ」という意味である。つまり、ミドルネームである”Van“からカトリーナの裕福さと出身地を、ラストネームである”Tassel”からカトリーナの家が農業を営んでいることを暗示している。前述した「オランダ人の金持ち農夫の一人娘」であることが、彼女の名前からも読み取れるように工夫が凝らされている。
 最後に、ブロムの名前について述べる。先ずミドルネームである“Van”についてはカトリーナと同じなので省略する。一つ付け加えるならば、カトリーナと違い、ブロムの場合は彼が裕福な生まれである描写が全く無いので、オランダ出身であるという意味合いが強いと推測できる。次にラストネームである“Brunt“とは、「主力、矛先、猛攻。荒々しさを引き立たせる。」という意味である。ブロムはミドルネームである”Van”からオランダ出身・オランダの血統であることを、そしてラストネームである“Brunt”から身体・思考・性格の表現から読み取れる彼の腕っ節の強さを更に暗示している。
また彼の愛馬のデアデビル(Daredevil)という名前からも彼の屈強さが読み取れる。“Daredevil”とは直訳すると「命知らずな」という意味であり、如何にデアデビルが暴れ馬であるかを誇張しており、それを御するブロムの屈強さを際立たせている。これは作中にある「彼はこの集まりに来るのに、デアデビル(Daredevil)という愛馬に乗ってきたが、この馬は彼に似て、元気はいいし、悪戯好きで、彼でなければ御することはできなかった」(2)(P221)の文章に結びつく。

総じて「スリーピー・ホローの伝説」という作品には、読者に矛盾無く、分かりやすいイメージを与えるために、登場人物の身体や思考・性格の描写だけでなく、名前においてもワシントン・アーヴィングの人物描写にあたる工夫が凝らされている。

第2節 舞台の描写

この物語はオタンダ人社会の植民地であり、ニューヨーク州にあるタリータウンという町から三マイルほど離れた窪地にあると設定されたスリーピー・ホローという架空の土地を舞台としてストーリーが展開している。本節では「スリーピー・ホローの伝説」の物語に登場する舞台の描写が読者に一様のイメージを与えていることを論じる。

先ずワシントン・アーヴィングはこの物語の舞台説明において、冒頭でこの地を「世の中で一番静かな場所」(2)(P193)と描写している。その地の静けさを「大ニューヨーク州の奥深く、あちらこちらにあるオランダ人の住む辺鄙な渓谷のなかにあり、ここでは人口も風俗慣習もかわらないのだ。休むことを知らないアメリカのほかのところでは、移住民や種々な改善が奔流のようにぞくぞく流れ込み、絶えず変化しているが、その大きな急流もこの渓谷にはまったく気づかれずに流れていくのだ。」(2)(P196)と水の流れに例えた表現方法を用いて描写している。「首の無い騎士の亡霊」(2)(P194)がアメリカ独立戦争でイギリス軍側に参加したヘッセンの軍人である設定を踏まえると、独立戦争直後のアメリカにおける絶え間ない人の流れを水の流れとして表現しており、その対照としてスリーピー・ホローが位置づけられていることが推測できる。この推測を裏付けるものとして「世の中の騒がしさから逃れ、わずらわしいことばかり多かった人生の余暇を静かに夢みながら暮らすことができる隠居所」(2)(P193)という文章が作中にあり、スリーピー・ホローが「個人の『隠居所』だけではなく、当時のアメリカの隠居所ともされている」(1)(P54)ことから、読者にスリーピー・ホローがこの世で最も静かな場所だと繰り返し印象づけていることが理解できる。

そしてスリーピー・ホローは「世の中で一番静かな場所」であると同時に、そこに住む住人々に対して空想的な力が夢や幻影を見させる魔力が作用している土地でもあると表現されている。

「空中に魔力があって、あの奇怪な場所から吹きよせてくるのだ。この魔力が人を夢や空想におとしいれる雰囲気を吐き出し、それが一面に伝染するのだ。」(2)(P226)

このようにスリーピー・ホローには、住人に対して何か特別な力が作用しているように描かれており、その魔力がこの土地全体に漂っていることが原因で、人々が怪談や伝説に遭遇してしまう要因だと述べられている。他にも「眠気をさそう夢のような力がこのあたりをおおっており、大気の中にさえ立ちこめているようだった。」(2)(P194)や「ひとびとが、この眠たげな地域に入る前にいかにはっきり目をさましていたとしても、間もなくかならず空中の魔力を吸い込んで、空想的になり、夢を見たり、幻影を見たりするようになるのだ。」(2)(P195)など、スリーピー・ホローに不可思議な魔力が覆われていることを読者に印象付ける文章が多々あるが、その印象を最も効果づけるものとして、物語の冒頭に配置されたエピグラフがある。

「そこは心地よいまどろみの国。
夢は半ばとじた眼の前にゆれ、
きらめく楼閣は流れる雲間にうかび、
雲はたえず夏空に照りはえていた。
             ──倦怠の城」(2)(P192)

上記のエピグラフは有名なスコットランドの有名な詩人、ジェームズ・トムソン(James Thomson)の「倦怠の城」の一部である。エピグラフとは「文書の巻頭に置かれる句、引用、詩、つまり構成要素のこと。序文、要約、反例になることもあるし、作品をより広く知られている文学作品と関連づけたり、比較をもたらしたり、あるいは様式化されたコンテクストに参加するためにも使われる。」(3)ものであるから、スリーピー・ホローが不可思議な魔力が働く場所として設定されていることがはっきりと理解できる。

総じてワシントン・アーヴィングは舞台設定を読者に説明するに当たり、スリーピー・ホローという舞台を「世の中で一番静かな場所」であると同時にそこに住む人たちに夢を見させる魔力が働いている場所であるというイメージを強調していることが分かる。

第3節

本節では第1節と第2節で述べた「スリーピー・ホローの伝説」に登場人物の描写と舞台の描写をエドガー・アラン・ポーが「ホーソン論」で提唱した印象と効果を用いて論じる。

先ずポーが「ホーソン論」で提唱した印象と効果についてから説明する。以下は武藤脩二著の『印象と効果』より抜粋したものである。

「ほとんどあらゆる種類の文学作品において、効果もしくは印象(effect or impression)の統一性こそ最も重要な点である。… …印象の統一性がないと、最も深い効果を挙げることはできない。」(1)(P14)

上記を更に詳しく説明すると「環境と作中人物、人物と人物、作品と読者の間の印象・効果は文学の基本点である。問題は何が環境であり、いかなる力が印象・効果を与えるのか、またいかなる印象・効果を何に、誰に、いかにして与えるのか、その力にいかなる抵抗・対応が可能なのか」(1)(P3)という考え方である。

*本稿は物語に登場する人物と舞台の描写が、読者に一様のイメージを与えるように構成されていることを、最終的にはゴシック的恐怖を煽り、読者をユーモアへ誘うための技法として印象と効果を用いて論じるのが目的であるため、印象と効果の語義互換性や差異に関する綿密な説明は省略する。

前述した登場人物の描写と舞台の描写をポーの印象と効果に当てはめると1つの矛盾点が生まれる。それはイカバッドが伝説や怪談を聞くことを好んでいる点である。

「地方色ゆたかな物語や迷信は、こういった辺鄙な、長いあいだ人が住みついていた僻地でもっとも盛んになるのだが、アメリカのたいていの町や村を形づくっているのは移りあるくひとびとなので、その足の下で踏みにじられてしまうのだ。そのうえ、ほとんどどこの村でも、幽霊に元気をつけるものがなにもないのだ。幽霊が墓にはいって、先ず一眠りして、寝返りをうつか、うたないうちに、まだ生存している友だちは近所を去っていってしまう。だから、幽霊が夜中に出てきて徘徊しても、訪ねてゆくべき知合いが残っていないのである。おそらくこういうわけで、わたしたちは古くからあるオランダ人の村以外では幽霊のことをほとんど聞かないのであろう。」(2)(P226)

上記の文章は作中で明記されているものであり、ワシントン・アーヴィングは伝説や迷信、幽霊の存在が、長期に渡った定住の中から生じるものだと考えている。つまり定着した家を持つこと無く、巡回旅行のような暮らしを送るイカバッドは「移動の人」(1)(P57)であり、定住の中に生まれる怪談に関心を持つことが矛盾しており、読者へ与える印象と効果に統一性がない。しかしワシントン・アーヴィングはこの矛盾を、人物描写と舞台描写を巧みに噛み合わせ、融合させて、矛盾をカバーし、読者へ与える印象と効果に統一性を持たせ、最終的にはゴシック的恐怖を煽り、読者をユーモアへ誘うための深い効果を挙げている。
ワシントン・アーヴィングが如何にして矛盾をカバーしているかを解説する前に、先ずイカバッドが「移動の人」であることを証明する。「彼はコネティカット州の生まれだった」(2)(P196)と本文に記述されていることから、イカバッドはニューイングランド出身である。そして第1節で述べたように、イカバッドが「定着した家を持つこと無く、あちこちの家に下宿する」生活を送っていることから、彼が「当時のアメリカでオランダ人に対立するニューイングランドのヤンキー」(1)(P55)であったことが分かる。ヤンキーとは「ヤンキーは落ち着きが無く、絶えず変化と改良と利益を求め、常に移動している」(5)(P455)と定義されている。イカバッドは第1節で「恋焦がれているカトリーナを好きになったのも… …彼女自身ではなく彼女が受け継ぐ遺産が目当てだからである。更にこのシーンの後、彼は彼女が受け継ぐ遺産を現金に換えて、広大な未開地に投資するなど、あれこれと自分に都合の良い思考を巡らす。」と説明した人物描写にあるとおり、カトリーナの利益を求め、その利益を広大な未開地に投資する変化・移動を求めていることから、この定義に一致している。つまり彼はオランダ人社会にとってのヤンキーであると同時に「移動の人」であることが理解できる。故に「移動の人」であるイカバッドが定住の中に生まれる怪談に関心を持つことが矛盾しているように思われる。

しかしワシントン・アーヴィングはイカバッドを「飢餓の権化」(P58)として描写することで、彼を単なるオランダ人社会におけるヤンキーではないと差異を設けることで、矛盾をカバーしている。イカバッドが「不可思議なことを好む食欲も、またそれを消化する力もなみなみではかなった。… …どんな大きな話でも、恐ろしい話でも、彼はがぶりとのみこんでしまうのだ。」と、第1節説明した人物描写にあるように、彼を単なる物質的豊かさにおける利益だけでなく、人間的豊かさにおける利益すらも「がぶりとのみこんでしまう」ほど貪欲な人物であることを描くことで、本来「移動の人」であるイカバッドが怪談や伝説を好む矛盾をカバーしているのだ。加えてワシントン・アーヴィングは、前述した「ひとびとが、この眠たげな地域に入る前にいかにはっきり目をさましていたとしても… …空想的になり、夢を見たり、幻影を見たりするようになるのだ。」の舞台描写や「彼にとってかけがえのないコットン・マザーの著書」である人物描写などを記すことで、イカバッドと単なるオランダ人社会におけるヤンキーとの間に生まれた差異を更に印象づけて、矛盾をカバーすることを後押ししている。そのため読者はこの矛盾に違和感を読み取ることなく、物語を読み進めてしまう。

このようにワシントン・アーヴィングは「スリーピー・ホローの伝説」を書き下ろすに当たり、読者に矛盾無く、分かりやすい印象を与えるために、登場人物や舞台描写における技法は洗練され、本当に緻密に考えられて構成している。
                 注

(1)武藤脩二著『印象と効果』(南雲堂,2000)
以下、本作品からの文の引用はこの本からとし、本文中にページ番号を( )で表記する。
(2)ワシントン・アーヴィング(吉田甲子太郎,訳)『スケッチ・ブック』(新潮文庫,1957)以下、本作品からの文の引用はこの本からとし、本文中にページ番号を( )で表記する。
(3)Wikipedia(エピグラフ)
《http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95》
(5) Ringe,Donald A.“New York and New England: Irving’s Criticism of American Society.”(American Literature 38,1967)

参考文献
(1)ワシントン・アーヴィング(吉田甲子太郎,訳)『スケッチ・ブック』(新潮文庫,1957)
(2)武藤脩二著『印象と効果』(南雲堂,2000)
(3)リーダーズ英和辞典(電子辞書)
(4)ジーニアス英和辞典(電子辞書)
(3)と(4)は名前の意味を調べるのに用いた。
by mewspap | 2010-10-17 16:10 | 2010年度ゼミ


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