<   2010年 07月 ( 13 )   > この月の画像一覧

進行状況(TSUMO)

引き続き、ワシントン・アーヴィング(Washington Irving)著の『スケッチ・ブック』(Sketchbook)という短編集に綴られている「スリーピーホロウ」(Sleepy Hollow)という作品について。

今回はこの物語に登場する人物の名前について考察しました。先ずは主人公であるイカバッド・クレーン(Ichabod Crane)について。(以下は吉田甲子太郎訳の本文抜粋。

「クレーン(鶴)という苗字は、彼の容姿にぴったりしていた。背は高いが、ひどく細く、肩幅はせまく、腕も足も長く、両手は袖口から1マイルもはみだし、足はシャベルにでもしたほうがいいような形だった。」

上述したように、イカバッドは鶴をそのまま人間にしたような体つきで、ひどく不細工に描写されています。それに加えて、今回はクレーン(鶴)という苗字にはもう一つ意味合いが込められていることに気づきました。以前、イカバッドは学者であり、学校を開いて教師をやることで生計を立てているが、家を持つこと無く、あちこちの農家に(教え子の家に)下宿する巡回旅行のような暮らしを送っていると投稿しました。そこで鶴についてインターネットで調べたところ、鶴が渡り鳥であることが分かりました。つまり、放浪者のような生活をしているイカバッドは渡り鳥の鶴のような人物であり、クレーン(鶴)という苗字は、彼の容姿だけでなく、思考や行動にも顕著に表れていることが分かりました。

次は物語のヒロインであるカトリーナ・ヴァン・タッセル(Katrina Van Tassel)について。(以下は吉田甲子太郎訳の本文抜粋。

「カトリーナ・ヴァン・タッセルという、オランダ人の金持ち農夫の一人娘がいた。彼女は花はずかしい十八歳の乙女だった。しゃこのように丸々と肥って、熟して柔らかで赤い頬は、まるで彼女の父のつくった桃にも似ていた。そして、彼女の評判はひろく知られていたが、それは単に美貌のためだけでなく、巨万の遺産をうけつぐことになっていたためでもある。」

前々回に投稿したように、カトリーナの描写には美しく、裕福な女性などのイメージを読者に想起させます。そして今回、彼女の名前に着目したところ、彼女の描写に重なる点が幾つか見つかりました。先ずミドルネームであるVanについて。リーダーズ&ジーニアス英和辞典で調べたところ、Vanとは「オランダ人の貴族の名前につける、もとは出身地を示した」という意味であることが分かりました。次にラストネームであるTasselとは「(トウモロコシの)ふさ」という意味であることも分かりました。つまり、ミドルネームであるVanからカトリーナの裕福さと出身地を、ラストネームであるTasselからカトリーナの家が農業を営んでいることを強調しているのではないかと思いました。

最後にイカバッドの恋敵であるブロム・ヴァン・ブラント(Brom Van Brunt)について。(以下は吉田甲子太郎訳の本文抜粋。

「彼はこの界隈の英雄で、腕ずくと図々しさとで名をとどろかしていた。肩幅がひろく、からだの自由が利き、黒いかみの毛は短くちぢれていて、顔つきは武骨だが、嫌味はなく、道化たような、高慢なような風采をしていた。ヘラクレスのような体格と物すごい腕力とのおかげで、彼はブロム・ボーンズ(骨っぱりのブロム)というあだ名で呼ばれ、どこへ行ってもその名で知られていた。」

前々回に投稿したように、ブロムの描写には体格が良く、ハンサムで我侭な男性などのイメージを読者に想起させます。そして今回、彼の名前に着目したところ、カトリーナと同じく、彼の描写に重なる点が幾つか見つかりました。先ずミドルネームであるVanについてはカトリーナと同じなので省略します。一つ付け加えるならば、カトリーナと違い、ブロムの場合は彼が裕福な生まれである描写が無いので、オランダ出身であるという意味合いが強いと思われます。次にラストネームであるBruntとは、「主力、矛先、猛攻。荒々しさを引き立たせる。」という意味だとリーダーズ&ジーニアス英和辞典に記載されていました。ブロムはミドルネームであるVanからオランダ出身・オランダの血統であることを、そしてラストネームであるBruntから彼の腕っ節の強さを強調しているのではないかと思いました。

名は体を現すといいますか、総じて‘Sleepy Hollow’という作品は登場人物の名前においても作者の人物描写にあたる工夫が凝らされていて面白いと思いました。

おまけ
作中に登場するブロムの愛馬であるデアデビル(Daredevil)について。Daredevilとは直訳すると「命知らずな」という意味であり、如何にデアデビルが暴れ馬であるかを誇張しており、それを御するブロムの屈強さを際立たせるいると思います。
[PR]
by mewspap | 2010-07-29 23:06 | 2010年度ゼミ

進行状況(TSUMO)

引き続き、ワシントン・アーヴィング(Washington Irving)著の『スリーピーホロウ』(Sleepy Hollow)という作品について

今回はこの物語に登場する舞台の描写について調べました。この物語はニューヨーク州にあるタリータウンという町から三マイルほど離れた窪地(他には高い丘や小さな渓谷とも表現している)にあると設定された「スリーピーホロウ」という架空の土地を舞台としてストーリーが展開していきます。(余談ですが、現在では1997年に「スリーピーホロウ」という名前になった村があります

先ずアーヴィングはこの物語の舞台設定において、冒頭でこの地を「世の中で一番静かな場所」と描写しています。その地の静けさを「移住民や種々な改善が奔流のようにぞくぞく流れ込み、絶えず変化しているが、その大きな急流もこの渓谷にはまったく気づかれずに流れていくのだ」と水に例えた表現方法を用いて描写しています。しかしスリーピーホロウとは和訳すると「まどろみの窪」という意味です。アーヴィングはスリーピーホロウを「世の中で一番静かな場所」であると同時に「眠気を誘う夢のような力がこの辺りを覆っており」と、この地には何か特別な力が作用しているようにも描いています。

私はこの「眠気を誘う夢のような力がこの辺りを覆っており」の描写が、読者に主人公・イカバッド(Icabad)が妖怪や幽霊の類と遭遇するシーンを描くための布石だと思っていました。ですが実際には妖怪や幽霊の類などは一切登場せず、物語上で登場する首無しの騎士も、その正体が主人公の恋敵であるブロムだったと物語の終盤で判明します。故に私はこの描写を、単に語り手が読者に首無しの騎士の正体が主人公の恋敵であるブロムだったというユーモアを際立たせる為のものであるのか、それとも何か他に意味は無いのかという疑問を持ちました。

そこで先週ブログに投稿する際に参考にした武藤脩二著の『印象と効果』(南雲堂,2000)という文献によると、「眠気を誘う夢のような力がこの辺りを覆っており」の描写は、私が以前投稿した主人公の描写とリンクしていると述べています。先週投稿したように、この文献では「定住の中で生まれる伝説と怪談を、ヤンキーであるイカバッドが好きになることに矛盾がある」と記載しています。その矛盾を著者はアーヴィングが「主人公にコットンマザーのニューイングランド魔術史を愛読させることで、矛盾をカバーしている」と指摘していると投稿しましたが、それに加えてスリーピーホロウという舞台用いて、矛盾をカバーしているとも述べていました。

作中には「眠気を誘う夢のような力がこの辺りを覆っており」の描写以外にも「夢想におちいる傾向は、この谷間に生まれつき住んでいる人だけでなく、しばらくそこに住む人も知らず知らずのうちにみな取りつかれる」ともあります。つまり著者はスリーピーホロウという舞台は、そこに住む人たちに夢を見させる力があるとアーヴィングが強調することでも、矛盾を克服しているのだと考察しており、私の疑問が解決できました。次はこの物語の要である、首無しの騎士についての描写について研究しようと思っています。

私は『スリーピーホロウ』という作品の描写を研究するうちに、以前先生が「アーヴィングの作品は強いテキストだ。」と仰った意味が少し理解できたような気がします。その理由は『スリーピーホロウ』を読み解くにつれ、文に無駄がない、スマートな物語だと感じるようになったからです。小説を書くにあたり、読者に矛盾無く、分かりやすい印象を与えるために、作者の描写における、またはストーリー展開における技巧は洗練され、本当に緻密に考えられて作られていると思いました。
[PR]
by mewspap | 2010-07-22 02:26 | 2010年度ゼミ

進行状況(ゆーまる)

 前回のゼミの時に先生に貸して頂いた、藤原帰一の『映画のなかのアメリカ』という文献で、『ロスト・イン・トランスレーション』(Lost in Translation)という映画についての記述があったので、一度観てみました。この映画の舞台は日本で、CM撮影のために日本を訪れたアメリカ人俳優と、同じく夫の仕事の都合で日本に来たアメリカ人女性が、慣れない日本という地で互いに交流を深める様子を描いています。
 文献にも書かれているとおり、この映画を観て一番印象的だったことは、主人公たちが日本という国に対してほとんど理解を示さないまま、物語が終わってしまうことです。私がこれまで観てきた、日本が登場するアメリカ映画では、アメリカ人の主人公たちは物語のどこかで、日本人や日本の文化に関心を示したり共感するという描写があったと思います。『ハンテッド』では、主人公の男性は日本人女性に恋心を持ち、『ブラック・レイン』では、主人公のニックと日本人の松本が最終的に強い信頼関係を築きます。また、『太陽の帝国』ではジェイミーが敵である日本人兵と仲良くする場面が見られます。最初は日本人を敬遠していたアメリカ人が、だんだんと日本の文化や人に心を開いて最後はお互いを認め合う、というのが、日本が出てくるアメリカ映画のこれまでのだいたいの筋だったのですが、この『ロスト・イン・トランスレーション』では、日本はまるで、主人公たちにとって今すぐ逃げ出したい牢屋のような位置づけで描かれています。日本の文化を理解しようとする場面は登場せず、むしろ彼らが心の底で日本を馬鹿にしていることが分かる描写もいくつか見られました。
 これまで私が見てきた映画には、外国人が面白おかしく日本を捉えていると思われるような、とんでもない勘違い描写がたくさん出てきました。それらの描写には、本当に勘違いされているものもあれば、わざとアメリカ人によって誇張して描かれているものもあったと思います。しかし、『映画のなかのアメリカ』の文献の作者も書いていますが、この映画は、「外国人が見た日本」を本当にありのまま描いていると思いました。「日本人は何故RとLの発音の区別が出来ないのか」というような、私たち日本人にとっては痛い点を突いてくるような発言や描写も多かったです。インターネットでこの映画について調べたところ、「日本を馬鹿にした映画だ」などと反対意見も多いようなのですが、私は観終わって、特に嫌な感じはせず、むしろこんなリアルな映画もあるのだと感心しました。ここまで、忠実に日本が外国人にどう見られているかということが分かる映画は初めてだったので驚きましたが、日本が登場するアメリカ映画をもう少し観て、この映画の内容と特徴についてもう一度考えようと思います。
[PR]
by mewspap | 2010-07-20 00:50 | 2010年度ゼミ

レヴュー(じんろく)

 『モナリザ・スマイル』を見ました。
私が研究している『いまを生きる』とは、トリックスターが常識や伝統をかき乱すという共通点があり、その女性版といった感じでした。

 ツールとして詩が絵画(美術)に置き換えられてはいましたが、世間の評価より自分自身が感じることを大事にしようよというメッセージは共通していました。

 しかし女性は男性より難しい部分がありますね。
一人の人間としての自己実現への欲求と、良き妻、母親になることへの欲求との兼ね合いは非常に難しいと思います。
少なくとも男性側の理解と協力は不可欠だと思いますので、ゼミの女性陣に大志を抱いてる方がいらっしゃいましたらぜひ良い殿方を見つけて頂きたいです。

 まだ研究の詳しい方向性が定まっておらずこの作品も絡めていけるかはまだわからないのですが、念のため見返してもう少し深く考察しておきます。
[PR]
by mewspap | 2010-07-13 03:14 | 2010年度ゼミ

進行状況(shizuka)

 前々回に引き続き、『ユージュアル・サスペクツ』(The Usual Suspects,1995)の分析を進めています。

 今回は、映画の大部分を占めている回想シーンに着目しました。

 ヴァーバル・キント(Verbal Kint)の供述は、デイビッド・クイヤン(Davied Kujan)やジェフリー・レイビン(Jeffley Rabin)といった他の登場人物だけでなく、観客までも同様に騙し、事件の推測を困難にさせていると言えます。その例として、回想シーンの中にヴァーバルが一人で足を引きずって走るシーンがありますが、ヴァーバルが偽の身体障害者であることを知らない観客の前で偽ることは非常にアンフェアだと言えます。その他に、船上での襲撃シーンではヴァーバルが事件の一部始終を物陰に隠れて見ている設定になっていますが、ヴァーバルがソゼとして船内を動き回り、アルトゥーロ・マルケス(Arturro Marquez)やディーン・キートン(Dean Keaton)、マイケル・マクマナス(Michael McManus)を殺したことが真実なのであれば、これも観客に対し非常にアンフェアだと言えます。

 フェア・アンフェア論争において観客が映画中に与えられた情報だけで推理できるということがサスペンス映画の前提であり、信頼できない語り手のもと、観客が事件を推測し謎を解くことは不可能であると思いました。

 次は、作品中のヴァーバルの供述とヴォイスオーバー(voice-over)について分析したいと思います。
[PR]
by mewspap | 2010-07-13 00:32 | 2010年度ゼミ

進行状況(TSUMO)

ワシントン・アーヴィング(Washington Irving)著の『スリーピー・ホロウ』(Sleepy Hollow)という作品について

今回は主人公であるイカバッド・クレーン(Icabad Crane)の描写について調べました。全体的に風変わりな男という印象を読者に与える描写が多いです。読んでいてイカバッドだけが周囲の人物たちとの間に違和感があります。その理由は、ニューヨークを植民地としているオランダ人の社会の中でイカバッドだけがコネティカット州、つまりニューイングランド出身で浮いているからです。

その描写は大きく分けて三つあります。
①イカバッドの身体描写
イカバッドは作中で「背は高いが、ひどく細い」や「貧乏神・案山子のような風体」などと描写されています。これに対して、イカバッドが恋焦がれるカトリーナは「しゃこのように丸々と肥って」や「熟して柔らかで赤い頬」などと描写されています。
イカバッド(ニューイングランド代表)には卑しい・醜悪などのイメージが、そしてカトリーナ(オランダ人代表)には美しい・裕福などのイメージが想起されます。これはカトリーナを巡る恋敵である「骨格の逞しい・肩幅が広い」ブロムとも大きく対比されています。

②イカバッドの思考
イカバッドの思考は典型的な利益主義として描写されています。例えば、恋焦がれているカトリーナを好きになったのも、彼女自身ではなく彼女が受け継ぐ遺産が目当てです。彼女が受け継ぐ遺産を現金に換えて、あれこれ思考を巡らすシーンがあります。

また伝説や怪談を好み、賛美歌を口ずさむシーンが多いことやコットンマザーのニューイングランド魔術史を愛読するなど、かなり信仰深い人物としても描かれています。

③イカバッドの生活
イカバッドは学者であり、学校を開いて教師をやることで生計を立てています。しかし家を持つこと無く、あちこちの農家に(教え子の家に)下宿する巡回旅行のような暮らしを送っています。作中では「健啖家」として描写されていますが、同時に利益主義であることも分かります。

総じて、上述した主人公であるイカバッドの描写は、武藤脩二著の『印象と効果』(南雲堂,2000)という文献によると、当時のアメリカの時代背景を物語っていると記述されています。著者はイカバッドの描写から、オランダ人とニューイングランド人のヤンキーの対立を表しているのだと述べています。著者はヤンキーとは「落ち着きが無く、絶えず変化を求めて、常に移動している」者と定義しており、巡回旅行のような生活を送り、利益主義であるイカバッドが典型的なニューイングランド人のヤンキーであると述べています。それに対してカトリーナやブロムの描写から「オランダ人は秩序、伝統、社会と家庭の安定に価値を置く」とも述べております。つまりオランダ人が秩序・伝統を重んじるが故に、スリーピー・ホロウでは伝説や怪談などの物語が定着しているとも指摘できます。

ここで変化や利益を求めて常に移動するヤンキーであるはずのイカバッドが伝説や怪談を好むことに矛盾が生まれますが、著者はアーヴィングがイカバッドにコットンマザーのニューイングランド魔術史を愛読させることで、矛盾をカバーしていると述べています。

以上、主人公であるイカバッドの描写から、約200年前の(独立戦争後の)アメリカではオランダ人とニューイングランド人のヤンキーの対立があったことが分かりました。
[PR]
by mewspap | 2010-07-11 17:18 | 2010年度ゼミ

進行状況(Degu)

 引き続き『アバター』(Avatar)を研究していて、今回は、始めに気になるシーンをピックアップし、分析します。次に、気になるシーンの中で、まだ分析できていないシーンをピックアップします。
 
 まずは、分析できているシーンです。
 
 一つ目は、軍の司令官であるパーカー(Parker)がゴルフの練習をしているシーンです。一打目はカップに入ったのですが、二打目は、科学者であるグレイス・オーガスティン(Grace Augustine)によって阻まれました。これは、パンドラの侵略は、一度目は成功するが、二度目は阻止されるということを暗示しているのだと思いました。
 
 二つ目は、主人公ジェイク・サリー(Jake Sully)が何度も軍のロボットに当たりかかるシーンです。計三回当たりかかったのですが、初めの二回はジェイクが避け、三回目はロボットが避けました。これも上記と同様に、最後にはジェイクが勝つということを暗示しているのだと思いました。
 
 次に、まだ分析できていないシーンです。
 
 グレイス・オーガスティンの態度の変化です。グレイス・オーガスティンは、最初はジェイクを嫌い馬鹿にしていましたが、ジェイクがアバターになった瞬間から普通に接するようになりました。現段階では何がきっかけでそうなったのかは分かりません。
 
 次回は、上記の分析と共に、力が及ぼす影響力がとても大きいと思ったので、それについても研究します。
[PR]
by mewspap | 2010-07-11 13:00 | 2010年度ゼミ

進行状況について(セリ)

The Secret Garden の自然描写に注目し、それが登場人物たちにもたらす影響(自然療法・園芸療法の面で)を論じようと思っています。しかし人に手を加えられているため自然ではないが作品に出てくる「秘密の庭園」もいい意味で影響を及ぼしており、また作品の重要なキーワードであるためそれも取り上げるつもりです。園芸療法は実際にリハビリテーションの一つとして効果を発揮しているので調べてみると色々とヒントを得ることができました。そして「秘密の花園」を論じる上で物語が作られた当時(1911年頃)のガーデン論が不可欠になるため今文献を探しています。あと、原書は読み終わっているので翻訳と照らし合わせながら病理学的に結び付けられるところを抜粋してまとめています。

先生が以前おっしゃった secret garden の secret という語を辞書で調べると「秘密」という訳の他にも「神秘的な」「隠れた」「普通では理解できない」という意味をもっていました。一つの言葉でいくつもの意味を持ち、それがすべて作品にあてはまっていてすごいなと感じました。

そして、やはり文を読むだけでは曖昧にしか分からないな部分がいくつもあり、描写されている植物の種類も多く頭の中で描ききれないので映画も見て参考にしたいです。
[PR]
by mewspap | 2010-07-06 02:48 | 2010年度ゼミ

進行状況について(ゆそ)

 私は「変化」というキーワードで、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を様々な切り口から研究していこうと考えています。

 現在は、時間の経過と共に変化した物事について研究しています。今回は、作中に見られる1955年の描写について詳しく調べてみました。
 
 1955年にタイムスリップしたマーティは、1985年とは大きく異なる街の様子に戸惑います。例えば、1985年には大統領であったロナルド・レーガンがまだ俳優であった頃に主演を務めた『バファロウ平原』(CATTLE QUEEN OF MONTANA)という1954年に製作された映画の看板が見られます。また、1950年代の象徴とも言えるジュークボックスが喫茶店に置かれていたり、「世界最小のラジオ」という看板が飾られた店もありました。

 「世界最小のラジオ」とは、のちのソニーである東京通信工業株式会社が、日本でトランジスタラジオを製造するために、トランジスタラジオの特許を持っていた米ベル研究所およびその親会社である米Western Electric社とライセンス契約を結び開発されたどこでも簡単に持ち運びができる世界初のラジオだったそうです。この製品によって、世界における日本製電子機器のイメージは変わったと言われています。
 
 作中における1985年では、トヨタ製の自動車に憧れるマーティの描写が見られ、1985年のアメリカでは日本製品に対するイメージは非常に良いものであったことが分かりますが、この「世界最小のラジオ」など、1955年から様々な優れた日本の製品が登場し、世界のイメージを大きく変えていった時代であったのではないかと考えます。
[PR]
by mewspap | 2010-07-05 23:22 | 2010年度ゼミ

進行状況(はるなし)

 私は引き続き、『レオン』(Leon the Professional)について研究しています。

 現在は、レオン(Leon)の殺人マシーンのような心を、人間の心に戻していくマチルダ(Matilda)の役割について、深く研究しています。私は、レオンの心を変えていくカギになるものとして、マチルダ持つの子供ならではの無垢さ、無邪気さに着目しました。また、この無垢さや無邪気さはマチルダがはじめから持っているのではなく、レオンとの交流を通じ「取り戻していく」ものだということにも気がつきました。映画の前半でマチルダは煙草を吸ったり、学校で問題を起こしたり、両親や姉と確執があったりと、世をすねたような、無理やり大人のふりをしようとしている印象を受けます。しかしレオンとの交流を通じ、子供らしい素直さやまっすぐに人を想う気持ちを取り戻していきます。これまでは、レオンだけが一方的にマチルダから影響を受け変わっていく映画だと思っていましたが、レオンとマチルダがお互いに影響しあい、お互いが持っていた本質を「取り戻し合う」映画なのだということに気づきました。

 また、マチルダの役割に関する研究と並行し、登場人物が劇中で反復する動作について、どういった意味があるのかを研究しています。レオンは牛乳を飲むシーンと、植物を熱心に育てているシーンが多く描かれています。麻薬捜査官のスタンスフィールド(Stansfield)は、薬を大げさな動作で噛むシーンが反復されています。どちらもその登場人物の性格を際立たせるために繰り返されているシーンだと思いますが、他に隠された意味はないか、他の登場人物にも反復のシーンがないかをもう少し調べてみようと思います。 

 あと、前回ゼミに顔を出した際に先生に教えて頂いた『野生の証明』という映画を見ようと思い、TSUTAYAを探したのですが置いてありませんでした。今後、他の店舗を回って探したいと思います。
[PR]
by mewspap | 2010-07-05 22:54 | 2010年度ゼミ