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研究計画について(セリ)

前回勘違いして投稿してしまいました。すみません。

前にも書いたとおりバーネットの『秘密の花園』を題材にし、その中に出てくる自然や庭園の描写に着目してそれらが主人公そして彼女のまわりの人々に及ぼす影響を研究しようと思います。でも病理学的な面だけでは不十分なので当時のガーデン論というものも取り上げそれを前提に論じるつもりです。そして研究をすすめるうちに他にも興味深いものが出てくればそれも加えていきたいです。

あと、翻訳版を読んだだけでは翻訳者の意訳によって偏った見方しかできなくなってしまうので早く原書を手にいれようと思います。
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by mewspap | 2010-04-30 23:20 | 2010年度ゼミ

研究計画について(ゆそ)

私は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を題材に卒論を書きたいと考えています。

この映画の面白いところは、ただタイムスリップするだけではなく、30年前の同じ場所で、主人公のマーティとマーティの両親が同じ年齢である時代にタイムスリップするところだと思います。
その30年の経過で、街の様子や流行は大きく変わっています。
マーティのタイムスリップによって、様々な影響が出ている点を変化前と変化後で比較し、マーティがどのような影響を与えたのかということと、各年代のアメリカの文化を比較できたらと考えています。

私はパート1だけで研究をしようと考えていましたが、先生がおっしゃったようにパート2とパート3ももう一度見返してみようと思います。
パート2を含むとするならば、作中に登場する2015年の未来の暮らしについても触れていきたいです。

ただ比較するだけで論文として成立するか不安なので、今後は深くまで研究を進めることができ、より具体的なテーマを設定する必要があると感じています。
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by mewspap | 2010-04-30 22:24 | 2010年度ゼミ

研究計画について (ぁゃ)

映画『17歳のカルテ』(Girl, Interrupted, 1999)を原作と比較しようと思っています。原作『思春期病棟の少女たち』(Girl, Interrupted, 1996)は、著者であるスザンナ・ケイセン(Susanna Kaysen)が18歳から20歳までを過ごした精神病院での回想録です。

現在、原作の翻訳本を読んでいます。原作ではストーリーが時の流れに則って進むのではなく、ランダムに繰り出されるので場面の流れが分かりにくいです。次に映画を見ようと思っているので流れを確認しようと思います。これからは、映画と原作でのストーリーやキャラクターの相違点について見てみようと思います。
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by mewspap | 2010-04-30 22:21

研究計画について(ゆーまる)

私は、アメリカ映画で描かれる日本人像や日本文化について研究したいと思っています。

一番初めに私が興味を持ったのは、ディズニーとピクサー制作の『モンスターズ・インク』というアニメーション映画でした。主人公たちが食事をする場所が寿司レストランだったこと、また、典型的な日本の和室と富士山の描写が物語の終盤にあり、なぜ映画の中で2回も日本描写が出てきたのか気になったからです。しかし先生もおっしゃった通り、特にこの映画の場合は、日本人に親近感を持たせるためにそのような描写を多く取り入れたのではないかとも思います。

そこで、日本の人物や文化が出てくるアメリカ映画をこれからできるだけたくさん見て、その中で、もし自分が気になる作品があればその映画一本に絞って研究していきたいと思います。なければ、複数の映画を対象に研究していこうと思っています。複数の映画を対象にする場合は、時が経つにつれて、どのように日本人の描かれ方が変わってきているのかについても研究したいです。

今の段階では、明確に研究対象作品が決まっていないので、出来るだけ早めに決めようと思います。
『太陽の帝国』、『バーチュオ・シティ』、『ティファニーで朝食を』はすぐに見ようと思っていますが、他にも映画を見た時は必ず、気になったことや思いついたことをノートに書きとめるようにして、研究計画もより具体的に考えていこうと思います。
今はまだこのように曖昧ではありますが、まず自分の興味に関連する映画を多く見ていきます。
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by mewspap | 2010-04-30 19:29 | 2010年度ゼミ

『秘密の花園』のレビュー (セリ)

投稿が大変遅くなってすみません。

バーネットの『秘密の花園』原書はまだですが光文社の土屋京子さん訳の翻訳版は読むことができました。しかし、500ページにわたる内容を一度読んだだけですべてインプットするのは正直困難だったので、いまもう一度読み直しています。


卒業論文で『秘密の花園』を取り上げようと決めた時、まだ全体の半分ぐらいしか読んでいませんでしたが、読み終わってこれを選んでよかったなと思いました。
児童文学という理由もあるかもしれませんが言葉が素直で読みやすくほどよく感情移入することができました。
研究対象にしようとしていた自然の描写というものがあちこちで書かれていたので、それらが主人公はじめ彼女のまわりの人間にどういった影響を及ぼしたのかじっくり調べていく予定です。

しかし先生が前回のゼミでおっしゃったように本書のメインである「庭園」というものは人間が手を加えていて決して「自然」とはいえないのでさきほどの自然と対照的な例としてこちらも掘り下げて論じていこうと思います。
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by mewspap | 2010-04-27 00:27 | 2010年度ゼミ

バットマンシリーズを観て(Degu)

4/15の投稿です。遅れて申し訳ございません。

先日、バットマンシリーズを貸して頂いたので、それについて書かせて頂きます。
バットマンシリーズを観た理由は、バットマンに元々興味があったわけではなく、以前「ダークナイト」の映画を観たときに、バットマンVSジョーカーの戦いがとても印象に残っていたからです。

バットマンは、犯罪が飛び交うゴッサムシティで、平和のために奮闘します。正義のためなら人を殺す以外何でもありだという感じを受けます。そして、バットマンを倒そうと、ジョーカーが現れ街を荒らし、バットマンVSジョーカーの戦いが始まります。バットマンは力で、ジョーカーは頭脳で勝負しているように私は思いました。(正直、ジョーカーのほうが私は好きです。)
結果的にバットマンが勝ち、街の平和は取り戻されました。

…私は、このバットマンの行動が本当に正義なのかについて研究しようと思ったのですが、先生にやめておいたほうが良いと忠告され、これからまた作品探しに力を入れるつもりです。

昨日CONSTANTINEを観て、興味を持ったので、もう少し深く研究してみようと思います。
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by mewspap | 2010-04-21 19:45 | 2010年度ゼミ

レビュー(TSUMO)

投稿が遅れてすいません。4・15日分の投稿です。

まだ研究作品(スリーピングホロウ)については手付かずの状況なので、最近読んだ作品のレビューを書かせてもらいます。
英文学ですが、就活の移動時間に気軽に読めたので、ジキルとハイドを読みました。(映画でもなくてスイマセン

内容は完全な善と完全な悪の分離がテーマでした。
今日、ゼミでバットマンの話がでていて、悪と善が逆転?したりしてややこしい・・・というお話をされていましたが、このお話はきっぱりと善と悪が分かれた定義で書かれていました。
面白かったのがハイドの人物描写です。以下本文です。(僕が和訳したので、間違いが多いかもしれません

「彼は醜かった。
異性はもちろん、下手をすれば同性にまでも、目が合うだけで逃げられる始末だ。
また彼は存在自体が悪の化身だった。一目見ただけで誰しもが怯えるほど、彼は恐ろしい形相をしていたのだ。顔つきも体つきも表情も仕草も、全てが歪だった。俗にいう負のオーラが溢れんばかりに体から滲み出ていた。」

人間は善を切り離したら悪しか残らないのか、と疑問に思いました。
上記の人物描写から、悲しみとか怒りとかマイナスの感情が悪という定義なのか、とも思いました。
ですが著者(ロバート・ルイス・バルフォア・スティーヴンソン)は悪しか残っていないのに、ハイドに「本当の自由だ!」と言って殺人事件を起こさせます。
社会や法の束縛から解放されたから自由、というのは理解できましたが、悪(負)の感情しか持ってない人物が「本当の自由だ!」と言って叫ぶものなのでしょうか。
どの範囲(感情)からが善で悪なのか、その境界が僕のイメージとズレていたのが面白かったです。
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by mewspap | 2010-04-21 01:24

現在形で終わる物語(Mew's Pap)

『1Q84』Book 3の最終章を支配するのは、圧倒的な、ほとんど「歯に衣着せぬ」までの現在形の奔流である。

ふかえりも、蝶を愛でる老婦人もタマルも、牛河も、編集者の小松も、田村看護婦や大村看護婦、そして安達クミ(おそらく天吾の殺害された母親の代理表象)ら心優しき看護婦たちも、月が二つある世界に残して、少年と少女はしっかり手を握ってまた別のパラレル・ワールドへと去る。

1Q84年の世界、あるいは猫の町に入り込んでしまったもう一人の秘密の共有者である牛河は、想像を絶する苦しい死を死んで、その邪な生と凄絶な死は月が二つある世界におけるリトル・ピープルの苗床となるのを強いられる。

『1Q84』は青豆やふかえり、そして天吾にもまして、牛河という特異なキャラクターで記憶される物語となるでしょう。

案に相違して、読者の代理人たる牛河は謎の解明にいたらず、謎に近づきすぎたがゆえに非業の死を遂げる。

「謎解き」に汲々とした読者も気を付けるべきでしょう。
論理の助けだけで「分かりすぎて」はいけないということです。

さて、書物の末尾には、
(BOOK3 終わり)
とある。

え、『1Q84』の終わり、ではないの?
まさかまだ続編があるわけじゃないよね。

月が二つある世界からの「移動」を青豆と天吾は成功裡に終える。
でも青豆はふと違和を覚える。
 ここに来るのはこれでもう三度目だ。目の前にはいつものエッソの大きな看板がある。タイガーをあなたの車に。同じコピー、同じ虎。彼女は裸足のまま、言葉もなくそこにただ立ちすくむ。そして排気ガスの充満する夜の空気を胸に大きく吸い込む。それは彼女にはどんな空気よりすがすがしく感じられる。戻ってきたのだ、と青豆は思う。私たちはここに戻ってきた。
 ……
 そこで青豆ははっと気づく。何かが前とは違っていることに。何がどう違っているのか、しばらくわからない。彼女は目を細め、意識をひとつの集中する。それから思い当たる。看板の虎は左側の横顔をこちらに向けている。しかし彼女が記憶している虎は、たしか右側の横顔を世界に向けていた。虎の姿は反転している。
ほとんど邪悪なまでに意地悪な村上春樹は、最後にいたるまで謎かけをする。

d0016644_22132277.jpgエッソのタイガーをキャラとする看板がどんなものだったのか私は覚えていない。

そんなものがあったのかどうか(あったような気もする)も記憶にない。私が見つけた近似値の図柄はこのようなものだ。

私たちが私たちの世界と認識するところでは、エッソのタイガーは確かに右側の横顔をこちらに向けているようである。

青豆の認識では、彼らは月が二つある世界からエッソの虎が反転した世界へと移動したようである。
しかしその移動には大事なものが携帯されている。

『空気さなぎ』の小説は月が二つある世界の属性であり、それはしかるべき世界に置き去られてきた。
しかし、天吾は新たな世界(エッソの虎が左側の横側を向けている世界)にその執筆中の長編小説のマニュスクリプトを後生大事に抱えてやってきた。

その長編小説は「『空気さなぎ』に書かれている世界をそのまま引き継いだもの」であり、「その空には大小二つの月が並んで浮かんで」いるものだ。

その未完の小説にはまだ題名が付けられていない。
でももちろん、われわれはそれにどのような書名が付けられることになっているかよく知っているのである。
やがて「この世界」で完成を見た暁に、二つの月のある世界を描いたその小説は、『1Q84』と呼ばれることになる。

エッソの虎がそこでどっち側を向いていようとも、それは間違いない。
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by mewspap | 2010-04-20 21:57 | つれづれレヴュー

『1Q84』:「秘密の共有」と「明晰な意思」(Mew's Pap)

1年次生向けのリレー講義で先週出した課題が昨日〆切だったので、オンライン投稿された課題のコメントをさくさく読む。
ふむふむ、おもしろい。
おもしろいけど、受講生数が多いので、これを分析・分類し、講義でリスポンスするためにとりまとめる作業に思いの外時間がかかる。

半日かけてようやく終えて、ソファに寝転んで『1Q84 』の続きを読む。

牛河の章である19章で、驚くべき覚知が訪れる。
 やがて牛河は息を呑んだ。そのまましばらく呼吸することさえ忘れてしまった。雲が切れたとき、そのいつもの月から少し離れたところに、もうひとつの月が浮かんでいることに気づいたからだ。それは昔ながらの月よりはずっと小さく、苔が生えたような緑色で、かたちはいびつだった。でも間違いなく月だ。そんな大きな星はどこにも存在しない。人工衛星でもない。それはひとつの場所にじっと留まっている。
 牛河はいったん目を閉じ、数秒間を置いて再び目を開けた。何かの錯覚に違いない。そんなものがそこにあるわけがないのだ。しかし何度目を閉じてまた目を開いても、新しい小振りな月はやはりそこに浮かんでいた。雲がやってくるとその背後に隠されたが、通り過ぎるとまた同じ場所に現れた。
 これが天吾の眺めていたものなのだ、と牛河は思った。……ここはいったいどういう世界なんだ、と牛河は自らに問いかけた。俺はどのような仕組みの世界に入り込んでしまったのだ? 答えはどこからもやってこない。無数の雲が風に吹き流され、大小二つの月が謎かけのように空に浮かんでいるだけだ。
謎を追い一つひとつのピースをつなぎ合わせて秘密の開示へと向かっていた牛河は、それまで知らなかった謎の核に触れる。
青豆、天吾、牛河、そして読者は秘密の共有者となる。
彼はその特異な風貌と同じく特異な能力を駆使して、物語世界で読者の代わりに謎を追い詰めてゆく代理人というだけでなく、読者と同じ地平に立ってこの世界への畏怖と驚異の念を共有する者となるのである。
このとき牛河は、青豆と天吾と寄り添っていたわれわれ読者の、同伴者となる。
別の言い方をすれば、青豆と天吾の視点から「牛河のような不気味な人間が跳梁跋扈する世界」を見ていた「物語論的に安全な立場」を奪われ、薄気味悪い牛河の「飛び出したような目」を我がものとすることを強いられるのである。
もはや牛河は私の「代理人」ではない。
私が、ずんぐりした体躯の、今にもくっつきそうな両のげじげじ眉毛をもった、いびつで異様に大きな頭をもった、世界から忌み嫌われる牛河なのだ。

20章の青豆の章で、今度は彼女が追跡者となる。
呆然と二つの月を眺めていた牛河に気づき、その跡を追う。
行き先は天吾の住むアパートである。
青豆はタマルに電話して善後策を依頼する。
そして付け加える。
「もうひとつあなたにお願いしたいことがある」と青豆は言う。
「言ってみてくれ」
「もしそこにいるのが本当に川奈天吾だとしたら、彼にどんな危害も及ばないようにしてもらいたいの。もしどうしても誰かに危害が及ばなくてならないのだとしたら、私が進んで彼の代わりになる」
単純で、明晰な、うむを言わせぬ意思である。青豆にとってそれは素朴な真実以外の何ものでもない。
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by mewspap | 2010-04-19 18:28 | つれづれレヴュー

『1Q84』と2週間目のミッション・コンプリートでようやく復調(Mew's Pap)

ちょうど授業も2巡して、体調も昨日あたりからようやく復調。
ゼミは休んじゃったけどね。ははは。

今日は1、2限だけで、12時ちょうどに2限も終わったのでそのままA棟のラウンジを覗いてみる。
しめしめ、まだがらがらなのでお昼ご飯を食べることにする。

ここでは開店当時からラーメンしか食べてなかったんだけど(なかなかシンプルでおいしかった)、最近は「日替わりラーメン」とか称していて行くたびになぜか「本日はとんこつ醤油スープ」という貼り紙がある。
あんまり好きではない。
以前の厳然たるシンプル・ラーメンがよかったんだけどな。

そぉっと見てみると、やっぱり今日もとんこつ醤油スープとのこと。

ううむ。自販機に前でしばし沈思黙考し、カツ丼にする(270円也)。
ついでに味噌汁も追加。なんと30円!

研究室に持ち帰って食べようと思ったけれど、味噌汁(しつこいが30円だぜ)をこぼさずに運搬するのが至難の業であることが判明し、そのままラウンジのテーブルについて食べることにする。
まだがらがらだし。

カツ丼は今ひとつだけど(まあ270円でこれならがんばっていると思う)、30円の味噌汁がありがたいです。
締めて300円の昼食は、遙か昔(前世紀)の学食と値段にして変わりない。
ずっとおいしいし。
テーブルとチェアもずっといいし。
研究棟に近いし。

やれうれし。

と思ってぱくぱく食べているうちに、気がつくと周りはあっというまに学生でいっぱいになっている。

10分の差は大きい。ううむ。毎週、2限目は授業終了より10分早い12時に終えてラウンジに駆けつける誘惑に駆られる。いかんいかん。

d0016644_22174830.jpg予約注文していた本が昨夜届く。

菊正宗のぬる燗を飲みながらベッドで読み始め、今日の通勤電車で半分ほどまで読む。

Book 1やBook 2のような独特の比喩表現が少ないような気がする。
なぜだろう。

とにもかくにも、いつものように比喩表現がこれでもかと前景化して立ち上がってこないような気がする。

Book 1やBook 2以上に、各章に割り当てられた視点人物の内省に寄り添った語りなので、その内省に「特異な比喩表現」が介入するのは人物の造形に違和感をもたらすからかもしれない。

あるいは、あの独特の蠱惑的な比喩が「何かに喩えて物事へのアクセシビリティをつり上げる」ためでなく「世界をズラす」ために用いられているのなら、月が二つある「1Q84」はすでにズラされた世界なので、もうその必要もないのかとも思う。
天吾が若い看護婦にハシッシを勧められて、こんなことを思う場面がある。
 天吾はハシッシにはそれほど興味は惹かれなかった。彼は正気の頭を抱えて、月が二つある世界を生きている。これ以上世界を歪ませる必要がどこにあるだろう。
あの独特で自在の比喩表現はハシッシのようだ。
すでにそこに描かれているのが「月が二つある世界」ならば、それをことさらにズラすためにこれ以上のハシッシはもう要らない。

天吾、青豆に加えて牛河がBook 3の視点人物になる。そして章ごとに3人が入れ替わる。

牛河が主要な役割を担うのはただしい。

彼は「読者の代理人」であり、Book 1とBook 2に散りばめられたさまざまな謎を拾い集め、鈍牛のごとく倦まず弛まずそのピースをつなぎ合わせる謎解き役である。
たぶん「謎解き」(月が二つある世界なりの謎解きだが)こそ、Book 3の真骨頂なのだから(まだ読み終わっていないけど)。

そして読者の代理人たる視点人物が、おおかたの読者が距離を感じる気味の悪い人物であるところがよい。

同時に、すでに中盤にして、実は牛河は天吾や青豆とその幼少時の体験において共通性をもつということが明示される。

あの不気味な牛河へと、読者をいかに感情移入させていくか。
それがこの先の物語の骨法なんじゃないかな(わかんないけど)。

見栄えも性格も不気味な視点人物へ読者の共感を組織し(そして最後にはおそらく裏切る)というのが、この先の要点であろうと期待しながら、明日は日曜日だな、へっへっへと思う。
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by mewspap | 2010-04-17 22:24 | つれづれレヴュー