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研究ノート3(hiro)

今週は映画の音声における「自然音」と「不自然音」について調べました。

「自然音」
スクリーン上に継起する仮構の世界が本来有していると思われている音で、各ショットごとにその画面上で自然に聞こえてくるものを指すことになる。
スクリーン上の世界で通常聞えてくるであろうと類推される物音の一切、そして登場人物の発する声がそれである。

「不自然音」
自然音とは逆に、スクリーン上に継起する仮構の世界が本来有してはいないと思われる音で、各ショットごとにその画面上で(聞こえてはこないはずなのに)聞こえてくるものを指す。
ナレーションやモノローグといったヴォイス・オーバー、聞こえないはずの自然音、そしていわゆる映画音楽がこれに該当する。
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by mewspap | 2006-09-27 19:23 | 2006年度ゼミ

研究ノート9(YOKO)

被服心理学の文献を読みました。
この文献には、「被服と個人」、「被服と他者」、「被服と社会集団」の関係について書かれています。
例えば「被服と個人」の部分では、ある分析結果から、友好性や活動性、意欲性を持つ人はおしゃれ志向であり、誠実性を持つ人は実用性や着心地を重視するということが書かれています。自分は陽気であたたかく、友好的であると考えている人、意思が強く、積極的、自主的であると考えている人は、概しておしゃれに関心が高く、かなり目立ちやすい服装をするということを意味しています。また、自分はまじめで几帳面、慎重、すなおであると考える人は、衣服については、手入れのしやすさ、しわになりにくさなどの実用性を重視し、肌触りや窮屈かどうかなどの着心地にも敏感であるということを意味しています。『キューティ・ブロンド』のエルは前者、『シーズ・オール・ザット』のレイニーは後者だなと考えながら読みました。

次に「被服と他者」では、被服は言語以外の情報伝達手段であり他者とのコミュニケーションであるということが書かれています。服装特性と性格特性の相互関係の表があり、一部抜き出すと、服装特性が寒色系、シンプル、無地、暗い色の場合、性格特性は知的、冷静、まじめ、陰気となっており、服装特性が暖色系、柄物、明るい色の場合の性格特性は感情的、知的でないとなっていました。今度は『メリンダとメリンダ』の悲劇中のメリンダが前者で、喜劇中のメリンダは後者かなと思ってみたりしました。

「被服と集団社会」では、その人がどのような役割を持っているかを他者に明示する必要がある場合、被服がその手段としてよく用いられるということが書いてあります。警察官のユニホームを着ている者は、警察官の役割を持っていることが容易に他者に伝達され、他者からは警察官としての役割を期待されます。同時に、着用者自身は私的なものを抑制され、そのユニホームに付随している役割遂行の優先性を認識させられます。この部分では、50年代ファッションを身にまとった女性を思い出しました。良き妻であり良き母であるという役割を他者に示し、他者から期待されるということから、50年代ファッションにはユニホーム的役割があるように感じました。
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by mewspap | 2006-09-25 19:17 | 2006年度ゼミ

研究ノート rin

『エクソシスト』は結局、最後は悪魔の勝利で終わったのだろうか?それとも神の勝利で終わったのだろうか?メリン神父、カラス神父の二人が悪魔によって殺されたこととリーガンが彼らによって助けられたこと、さてどちらに軍配があがるのだろうか?
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by mewspap | 2006-09-24 19:23 | 2006年度ゼミ

研究ノート9 T.koujirou

 今週は去年の卒論集を読んでいました。その中で、『ヴァーチャル・リアリティーによる人類の支配』と『Jhames Whale 監督のフランケンシュタイン映画におけるモンスターの悲哀』が、私の戦争というテーマに通じる点があるように感じました。ヴァーチャルな世界であれ、フランケンシュタインであれ、戦争兵器であれ、これらは人間の欲望から生み出された産物である。その産物が人間の制御できる範囲内を超えた時、人間は自分たちが作り出した機械によって支配されてしまい、自身も機械化してしまう。
 ヴァーチャルな世界を例に上げると、コンピュータへの依存度が増加することにより、コンピュータ無しでは生きられなくなる。どこにいても、コンピュータという機械によって人間が監視され、評価され、動かされる。次第に人は人とコミュニケーションをとることをやめ、機械とだけコミュニケーションをとることになる。こうなってしまえば、もはや人間は人間ではなく、機械によって動かされる「機械人」になったことになる。
 戦争を例に上げると、剣から核兵器に替われば、人間の感情が入り込むことも無くなる。ボタン一つ押すことで、勝利という結果に繋がる。これはまさに機械的な行動であるし、その行動に感情が伴っていなければ機械化した人間「機械人」ということになり、機械に支配されていると言えるだろう。つまり、「戦争」というテーマの中での人間の機械化には、自身の死の恐怖による逃避だけでなく、科学技術の発展も深く関わっている。
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by mewspap | 2006-09-23 09:14 | 2006年度ゼミ

研究ノート(maiko)

なかなか「シュレック」に関する資料がなかったので、プロのReviewerが投稿するサイトを使い参考資料を集めることにしました。

まずmew's pap中の投稿ページ右側にある「映画文献」をクリックし、そこから下の方にあるThe Internet Movie Databaseに入ります。
そして自分の検索したいものを(私の場合はtittleにShrekを)入れます。

その後、左端のいくつかの項目の中からextrnal reviewsを選びます。
すると数多くのreviewsがずらっと出てきます。

私はextrnal reviewsからまずはこの10個選びました。
1.Roger Ebert, Chicago Sun- Times
2.Guardian / Observer
3.James Berardinelli's ReelViews
17.Pop Matters
29.Shrek Review on Filethirteen.com
49.BBC News- An unlikely hero
92.DVD REVIEW: SHREK- special Edition
103.Shrek= Dreck
150.Monsters At Play
177.Reel Criticism reviews Shrek

あとは、キネマ旬報とニューズウィークという雑誌の中から"Shrek"に関する記事を探し読みました。

これらの検索方法は、まず図書館のKOARA端末以外のパソコンを使い、Kansai University Library 情報検索をクリックします。
その後、雑誌コンテンツ→MAGAZINE PLUSを選択します。
あとはキーワードに自分の調べたい単語をいれるだけで、様々な情報が得られます。
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by mewspap | 2006-09-18 12:27 | 2006年度ゼミ

研究ノート8(YOKO)

先週は書き込めなかったのですが、『クレイマークレイマー』を見ました。
今週は『被服心理学』の本を手にとってみました。来週はこの本の内容について書くことにします。同時に、卒論をどのようなものにしていくかをしっかり考えていこうと思います。
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by mewspap | 2006-09-17 12:55 | 2006年度ゼミ

研究ノート8 T.koujirou

英雄的な戦いと近代の戦争の違いについて書かれある本を読みました。

サム・キーン(佐藤卓己・佐藤八寿子訳)『敵の顔‐‐憎悪と戦争の心理学』(柏書房、1994)

<あっぱれな敵 英雄的な戦い>
英雄的伝統の真髄は、戦争の領域と手段を制限する規則を名誉にかけて遵守することである。

<抽象概念としての敵 究極の侮辱>
今日の戦争技術は、敵についてのわれわれの考え方を徐々に変えつつある。英雄的イメージと恥ずべきイメージの両方が、中性的な概念によって置き換えられつつある。兵器の射程距離が長くなり、もはや殺そうとする相手を尊敬することも憎むことも必要なくなるからである。ミサイル技術者あるいは爆撃手は「標的」から非常に離れており、自分が行なう殺戮に直面せずにすむのだ。

出会いがあるかという面から考えると、近代の戦争、とりわけ戦場なら、他者と出会い、そして理解し合うことは難しい。自国によって作り上げられた敵国の悪いイメージと、戦争兵器の進歩によって、戦場では、他者と出会う前の段階で、顔の無い幻の他者が作り上げられている。
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by mewspap | 2006-09-15 14:13 | 2006年度ゼミ

T.koujirou 研究ノート7

 今週は大学の図書館に行き、戦場での心理に関する本を2冊借りてきました。来週はこれを読み進めていこうと思います。
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by mewspap | 2006-09-09 13:18 | 2006年度ゼミ

研究ノート7(YOKO)

今週は服飾の記号表現について書かれた本を読みました。

『服飾表現の位相』(昭和堂,1992)
<服飾の言語的性格>
衣服や、その他装いにかかわるすべてのものは、身体と空間的に一番近いところにある事物である。そのため、身体の延長ないしは一部とみなされやすい性格がある。よって、その人物と一体視されて、しばしば、その人物の生来的な属性や社会的な属性を表示する媒体として用いられる。服飾の色彩や形態は、その人物が男か女か、成人か未成年か、既婚か未婚か、ステータスの上下、職業の種類、国籍、信仰する宗教など、実にさまざまな情報を、文字や言葉と同じように正確に伝達する。抽象的な観念や感情のように、現実存在はしていても目には見えないものを、服飾の飾りや色によって簡単に可視的なものに置き換えて表示することが出来る。知らないもの同士が、相手がどういう人間かを知ろうとするとき、第一情報としての服飾を手がかりに推測し、判断することが行われる。
服飾がその人物と一体視されるということは、マーク・トゥエーンの名作『王子と乞食』からよく見ることができる。このストーリーの主人公エドワード王子は、いたずらから自分とそっくりの乞食の少年トムと身なりを取り替えた。そのため、どんなに自分が本物の王子だと主張しても、門番は頭のおかしい少年だととりあってくれず、城からつまみ出されてしまう。それから、頭のおかしな哀れな少年として、数奇な運命をたどることになる。門番や周囲の人の王子に対する態度は、王子が身に付けている貧しい服飾が示唆する低いステータスによるものである。

あと、今週は『エリン・ブロコヴィッチ』と、『ティファニーで朝食を』を見ました。私だけ共用作品をまだ言ってなくてすいません。夏休みのうちに考えて決めるので、もう少し待ってください。
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by mewspap | 2006-09-02 14:55 | 2006年度ゼミ