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3回生の米文学研究(二)の映画論プレゼンについて(Mew's Pap)

3回生配当の米文学研究(二)では、アメリカ映画における子どもの描かれ方というテーマで、映画論をやっています。

取り上げる作品は『オズの魔法使い』『スタンド・バイ・ミー』『アラバマ物語』『スモーク』の4つで、4グループに分かれて研究し、次回12/1(木)3限にはミニ・グループ・プレゼンテーションを実施します。

今回はストーリー説明や監督・配役等について解説する「外枠」だけで、独自の観点や解釈というものは入れません。
先行研究も視野に入れた解釈を提示する作品研究プレゼンテーションの本番は12/15および1/12ですが、特に映画研究をしているゼミ生はぜひ後輩による報告を視聴しに来てください。

木曜3限、C301教室です。

ついでに言えば、PRSuserくんも出演します。

以上。
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by mewspap | 2005-11-28 09:44 | Mew's Pap

残りものの人達へ

私と、shinさんと、オッキーと、sasakiくんで下書きを回すことになりました。

shinさんは、sasakiくんと私に下書きが出来次第メールで送ってください。
オッキーは、私とsasakiくんに送ってください。
sasakiくんは、下書きが出来次第、shinさんとオッキーに送信してください。
私は、オッキーとshinさんに送信することにします。

                                     以上!!
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by mewspap | 2005-11-28 00:07 | 2005年度ゼミ

下書きの相互査読について(Mew's Pap)

各自2つの論文下書きを読んで、内容、形式、構成、文章から句読点にいたるまで、気がついた点をできるだけ多く、朱入れ形式のかたちで本文に書き込みをすること。

最後に白紙の用紙を添付し、全般的なコメントを記すこと(最終ページの裏に書いてもよい)。

提出と本人への受け渡しは12/3(土)3限を原則とします。

以上。
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by mewspap | 2005-11-25 13:34 | Mew's Pap

下書き提出方法等について(Mew's Pap)

下書き提出方法
下書きの提出は、11/24(木)の3限終了時までに、ワードファイルを添付で送信というかたちをとってください。
あるいはプリントアウトしたハードコピーを持参してもかまいません(授業開始時間に遅れないように!)。
ハードコピーを持参する場合には、ステープル等で綴じることは決してしないように。

授業時に複数部コピーをとり、査読担当者を決めてシェアします。

フォーム
前回連絡したとおり、書式はビジネス・フォーム(A4版、40字×36行)によるワードファイル、5~6枚(400字詰め原稿用紙換算で20~25枚)です。

表紙は不要ですが、下書きと同時にスケルトンを1ページ目に添付すること。スケルトン・ページの上部に学籍番号、指名、論文タイトルを明記して提出すること。

24日の下書き提出をひとつの節目とし、授業終了後に近場で小打ち上げコンパ(コウチアゲコンパ)をやりしましょう。今はそれを目標に、みんながむばること!

以上。
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by mewspap | 2005-11-18 15:58 | Mew's Pap

スケルトン (ERI)

遅くなりました!! 
現代におけるアメリカ映画~家族像を親子の観点から(仮)

序論


第一章:家族の形の移り変わり~年代ごとに変化を見る~
 1950年代『ステラ』(1990年アメリカ)などをとおして1960、1970、1980年代と家族の変遷を見ていく。

 

第二章 『アメリカンビューティー』(1999年アメリカ)より
   経済的は全く不自由しない、裕福な中流家庭においての親子を見ていく。
  
 第一節:バーンハム家における親子
  
 第二節:フィッツ家における親子   

 第三節:二つの家庭の共通点と比較



第三章: 『AI』(2001年アメリカ)より

 第一節:デイビッドの母(モニカ)から、デイビッドへの愛情
   デイビッドに「7つのパスワード」を登録し、「永遠の愛」のプログラムを発動させることに関し、かなりのとまどいを持っていた。いろいろと悩んだ結果、彼女は「永遠の愛」のプログラムを発動させるのだ。

 第二節:デイビッドから、デイビッドの母への愛情
   母を捜す旅でたデイビットは、2000年後の世界においても、母モニカへの愛を持ち続けていた。母の再生を希望し、母と幸福な1日を過ごし、至福の眠りへと落ちていく。      

 第三節:検討中



第四章:現代の親子における問題
  二つの映画の共通点と比較。

結論



参考文献
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by mewspap | 2005-11-17 01:07 | 2005年度ゼミ

スケルトン(shin)


タイトル(仮):アーネスト・ヘミングウェイ『日はまた昇る』――今作品における理想的な生き方の形と、ジェイク・バーンズたちによるその形態の全うの可能性についての是非

序論

第一章(仮)かくべきある生き方――闘牛、ヒロイックな生と死のドラマ

本作品『日はまた昇る』では、主人公ジェイク・バーンズたちが訪れるパンプローナ(スペイン)のフィエスタは闘牛を中心に展開する。また、作中で闘牛に触れる箇所は非常に多く、とくにP23l8の「いま完全燃焼して生きてるやつがいるとしたら、闘牛士くらいのもんさ(高見浩 訳)」というジェイクの台詞は重要である。
なぜならその台詞は、ジェイクが闘牛の中に完全燃焼する生(=かくあるべき生き方)を見出していることから出てきたものに他ならないからである。
よって本章では、『日はまた昇る』のほかに『午後の死』、『危険な夏』というヘミングウェイが闘牛についての考えを強く打ち出している作品を参考にして、『日はまた昇る』の中で闘牛を通して示されている「かくあるべき生き方」の形を明らかにする。
(詳細はまだ検討中)


第二章(仮)酒

『日はまた昇る』において酒はすべての章に顔を出し、また、多数の意味合いを持つ重要なアイテムである。この章では、その酒の持つ多様な意味合いから特に重要であるものを選んで説明する。

第一節 ジェイクとブレットが二人で飲む酒
第二節 飲み手を英雄とそれ以外に振り分ける作用をもつ酒
第三節 孤独を慰める(誤魔化す)酒 *順番については変更の余地あり


第三章(仮)救済なき孤独とフィエスタ

第一章と第二章を踏まえて展開させる(ゆえにまだ内容は漠然としているため省く)。


結論



参考文献
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by mewspap | 2005-11-15 05:48 | 2005年度ゼミ

スケルトン(仮)

“SMOKE”に見る四組の疑似親子関係について(仮)

序論

第一章:映画における四組の親子
映画で描かれている四組の実際には血はつながっていないが、親子のような絆を持つ疑似親子関係を、ストーリーを通してそれぞれ考察していく。

第一節 ポールとラシード
父親のいないラシードと妻と子供を失ったポール、この二人については一番色濃く描かれているので、シーンを細かく分析する。

第二節 ラシードとサイラス
ラシードとサイラスは実際は血がつながっているが、その事実を知ってるにはラシードだけである。サイラスが築いた新しい家族を離れて見つめるラシード、サイラスに子供であることを黙っているラシードを中心に論じる。

第三節 オーギーとフェリシティ
母親と違って、子供を生まない父親は、その子供が本当に自分の子であるかどうかはわからない。突然現れた元妻と、実は自分の子ではないかもしれないフェリシティのために大金をなげうったオーギーについて書く。

第四節 オーギーと老婆
一番中心となるべき疑似親子関係。この二人のシーンは台詞がなく、トム・ウェイツの歌が流れている中で無音劇が進行する。台詞がないので、オーギーが写真を撮り続けていることや、老婆の表情などを論じたい。

第二章:物語の中で語られる物語について
映画の中で、登場人物が語る小話について考察する。それを語るシーンや、疑似親子関係について絡めていきたい。

第一節 煙の話
オーギーが煙草屋でポールを交えた客に語る話。映画を見直して、台詞を細かく分析する。

第二節 氷づけのスキーヤーの話
ポールがラシードに語る不気味な話。何を言いたいのかいまだによくわからない。
第三節 葉巻の話
ポールがラシードに語る話。作家である彼が話したこのシーンで、ラシードのもう一つの秘密がばれてしまう。

第四節 オーギーのクリスマスストーリー
ポールにオーギーが聞かせた話。クリスマスストーリーそのものに焦点をあてる。

第三章:都市の中の孤独
ブリュッセルという都会で、孤独に生きてきた登場人物と物語について考える。

第一節 嘘と盗みによってつむぎだされる関係
映画に出てくる疑似親子達は、嘘や盗みによってつながっていく。あたたかい家族関係が嘘や盗みという悪事から生まれること、この映画のテーマを論じる。

第二節 秘密を分かち合う友達

第三節 SMOKEに登場する女性像
数少ない女性の登場人物を考察する。

第四章:小説『オーギー・レンのクリスマスストーリー』と映画『SMOKE』との比較

第一節 オースターと同じ名前のポール

第二節 付け加えられた親子達

結論

参考文献
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by mewspap | 2005-11-10 00:19 | 2005年度ゼミ

スケルトン(Hiroko)

Legally Blondeにみる、髪色にまつわる象徴性(仮)

 
序論


第一章:主人公Elleのキャラクター
     Elleのキャラクターを通して、描かれているブロンドガールのイメージを見ていく。
     
 第一節:Elleの苦悩
      ロースクールでの『ブロンドガール』イメージを押し付けられるElleの悩みから分かるElleのキャラクターについて。

 第二節:ブロンドvsブルネット
      ブロンドのElleとライバルとして描かれるブルネットのSarah(映画ではViviane)。両者の対立構造を、相反するイメージのブロンドとブルネットの対立として取り上げる。


第二章:アメリカにおける『ブロンドガール』のイメージ
     Elleのキャラクターは、従来のブロンドガールのイメージとどう異なるのか。『ブロンドガール』のイメージはどう変わってきたのか。

 第一節:マリリン・モンローの影響
      今日のブロンドガールのイメージに強く影響を与えたマリリン・モンローについて。彼女の演じたブロンドの女性像とElleとの相違点を述べる。

 第二節:"Blonde joke"
      アメリカにおけるブロンド女性のイメージを顕著に表すもののひとつのとしてのBlonde jokeについて。

       
第三章:Legally Blondeの原作小説と映画の相違点
     小説と映画の違いを、ストーリーと登場人物のふたつから見る。

 第一節:Elleの友人とロースクールの生徒・教師たち
      検討中
 第二節:ストーリーについて      
      検討中


第四章:コメディとブロンドガール
     金髪女性が主人公やヒロインであるコメディ映画がひとつのジャンルとなるほど多くありふれている理由を探る。また、そういった映画とLegally Blondeとの位置づけについて。


結論



参考文献
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by mewspap | 2005-11-09 20:33 | 2005年度ゼミ

スケルトン (YU)

アメリカの家族  -古き良き時代からの移り変わり

序論


第一章 伝統的家族の危機 

アメリカの家族の原型として連想されるのは、1950年頃の笑顔をたやさない優しくて美しい母、無邪気な子供達、それを見守るたくましい父という白人の核家族である。その原型について見ていく。

  
    第一節 古き良き時代

第二次世界大戦中、多くの男性が戦場へ出征した。その間、アメリカの男性の労働力が低下した。そのため、女性は男性の穴を埋めるために働くようになった。しかし、男性が戦争から帰還すると、働く女性は再び家庭へと戻された。50年代から60年代にかけ、女性が家庭を守り、男性が外で働き、夕食時には妻が用意した夕食を囲んで、子供達と共に団欒するこの姿が「幸せな家庭」とされたのである。



第二章 変化するアメリカの家族

アメリカの家族が現在の多様化した家族に至った背景には、アメリカの社会背景が大きく関わってくる。特に、女性の女性解放運動は「幸せな家族」に大きな影響をもたらすことになる。


    第一節 性別役割分担
 
妻が家庭を守り、家事をこなし、夫は外に出て収入を得るというスタイルは、この「幸せな家庭」の中では当たり前のことだった。当時は、独身で過ごす女性は哀れだと同情される時代であった。男性に収入があって、女性に収入がないこの状況では、女性は離婚を避けざるを得なかったし、男性も家庭を妻に任せ、仕事に集中するため、離婚は避けるべきものだった。

   
    第二節 ウーマンリブ運動

50年代の女性は、専業主婦であることに不満を持つことに罪悪感を覚え、胸に秘めていた。社会からの疎外感、閉塞感は彼女達を不安にさせた。そんな中、女性解放運動がはじまり、女性が立ち上がった。



第三章 アメリカの社会を映し出す映画 

映画の中にも、家族というものがどのように変化し、どのような問題を抱えているかという手がかりがたくさんある。いくつか例をあげながら、映画の中の家族をみていく。

  
     第一節 『クレーマークレーマー』(1979)
   
    論点:キャリアか家庭か。


     第二節 『ミセスダウト』(1993)

    論点:性別役割分業と離婚


     第三節 『アメリカンビューティー』(1999)

    論点:伝統的な家族に潜む闇。


     第四節 『エリン・ブロコビッチ』(2000)

    論点:複雑な家庭環境と女性の強さ



第四章 新しい家族

現在、様々な多様化した家族がアメリカでは存在する。どんな形であれ、家族と言われるこのような家族を最後に見ていく。

結論



参考文献
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by mewspap | 2005-11-09 14:18 | 2005年度ゼミ

スケルトン(Yuji)

タイトル マルコム・Xの生涯 ‐アメリカ黒人の自己模索とネイション・オブ・イスラム‐(仮)

序論

第一章  マルコム・リトル時代
  マルコムXとして世に知られる以前の彼、つまりネイション・オブ・イスラムのマルコム導師ではなくマルコム・リトルだった頃の彼の体験をもとに、同化、ステレオタイプの二点を論じていく。
 
 第一節 白人への同化
  黒人の身体的特徴とも言えるちりちりと縮んだアフロヘア。当時アメリカ黒人の若者の間では、薬剤でそれを伸ばすことが流行していた。これをある種の白人への同化の象徴と捉え、この行為の持つ意味を述べるとともに、彼らが同化する意味とは何なのかを考察する。

 第二節 黒人のステレオタイプ
  黒人のステレオタイプといえば、暴力的で野蛮、性欲が強く節操がない、頭脳労働よりも肉体労働、弁護士よりもスポーツ選手というようなものである。この作品にもこれらのステレオタイプが描写されている。そこでいくつかの例を挙げ、ステレオタイプによる黒人への差別、支配について論じる。

第二章  ネイション・オブ・イスラムとの出会いと自己の本質
  リトルは窃盗及び白人の女と寝た罪により10年の禁固刑に処せられる。そこでリトルは一人の男と出会い、ネイション・オブ・イスラムの存在を知り、黒人の歴史を学び、自分自身に対する無知さを知る。

 第一節 黒人の歴史と自己の模索
  刑務所で一人の男と出会ったリトルは自分の無知さを知ることとなる。黒人の歴史、自分の本当の名前である。さらに黒人であることの誇りまでもリトルは失っていた。この節では黒人の歴史を記述するとともに、黒人であることの誇りとは何なのかを論じていく。

 第二節 ネイション・オブ・イスラムの理念
  白人に対する黒人の優越を説くブラックナショナリズム、黒人と白人の分離、黒人の自立自決こそがネイション・オブ・イスラムの基本理念である。また自立を実現するためにネイションは食料品店、金融、出版等の事業をしており、1960年代では大規模な黒人企業でもあった。

第三章  黒人解放指導者マルコム・X
  出所したマルコムはネイション・オブ・イスラムへと入信し、信仰を深めていく。宗教に傾倒していくあまり、彼は自分自身を失っているように捉えられる。そこでの宗教の持つ盲目性と、ネイション・オブ・イスラムからの脱退後の、黒人問題に対する彼の視野の広がりを見る。
 第一節 宗教の持つ盲目性
  宗教とは信仰が深くなれば深くなるほど、一個人としての自己を失わせるという否定的な一面を持っている。マルコムはその典型だと言える。まさにネイション・オブ・イスラムの、あるいはイライジャ・ムハマドの僕である。
 
 第二節 ネイション・オブ・イスラムからの脱退前後の差異
  マルコムはイライジャ・ムハマドの下から去り、ネイションを離れることとなる。その前後で彼の思想は変化し、メッカへの巡礼を行う。

結論



参考文献
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by mewspap | 2005-11-09 11:20 | 2005年度ゼミ