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シネマのつぶやき(その3)

■シネマ◆
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■つぶ■■ ◆ その3
■■■やき ■ ■ ◆ 2002-08-10

ゼミのみなさんへ

もうお盆ですね。
アイス喰って西瓜喰ってカルピス飲んで花火やって、失われた子ども時代を懐かしみましょう。

前回と同様に本日も『シビル・アクション』『天使のくれた時間』『理由』の3本立てです。

◆『シビル・アクション』A CIVIL ACTION
d0016644_23281990.jpg1999年アメリカ
監督:スティーブン・ザイリアン
出演:ジョン・トラボルタ、ロバート・デュバル、キャサリン・クライン、ウィリアム・H・メイシー
【ジャンル:裁判もの】
生涯クエンティン・タランティーノに足を向けて寝られないジョン・トラボルタが主演。
『サタデー・ナイト・フィーバー』でブレークしたあと、泣かず飛ばずの長い年月を送っていたトラボルタを、タランティーノが『パルプ・フィクション』で「大抜擢」したんですよね。

この映画はトラボルタがやり手ヤッピー弁護士役の法廷もので、実話に基づく公害問題のお話です。
『エレン・ブロコビッチ』と同じく悪徳企業による土壌汚染という設定。

当初、ヤッピー弁護士トラボルタくんが、この事件は金のなる木だと手を出すのだけれども、だんだんと金銭ずくでなくなってくる。
なんでなの?
その動機づけが描かれていない。

トラボルタくん、なんでそんなに入れ込むようになったの?

しかし、「弁護士国家」アメリカの法律家が示す、あくどいリアリズムとあざとい金銭欲は執拗に描かれますね。
『依頼人』のスーザン・サランドン扮する女性弁護士の話もそうだったし、新作のショーン・ペンの『アイ・アム・サム』もそうらしい。

相手方のマフィアの弁護士はロバート・デュバル。
『地獄の黙示録』では「ナパーム好きのワーグナリアン」していたが、そう言えば『ゴッドファーザー』でも弁護士役だったね。
実に声がいい。
今や定型的なアメリカの弁護士の姿、正義や理想とは無縁の徹底リアリストで金銭主義者の身振りをロバート・デュバルが演じるととってもリアル。

トラボルタくんの弁護士事務所で経理役のウィリアム・H・メイシーは、『マグノリア』でも救いのない役をやっていた「ヘンナカオ」系な人。
『ジュラシック・パーク3』ではアホな富豪。『ファーゴ』では主役を張ってたか。
近年のアメリカの救いのない崩壊したアメリカ人像の内面暴露的な役にぴったりすぎて、きみが出てくると、あ、後味悪い映画だろうなと予測される。

なんと言っても最近のトラボルタくんは、アルマーニのスーツを着て高級スポーツカーに乗るばりばりやり手のヤッピー役をやらせたら、あまりにもはまり役なんで気分が悪くなる。
きらきらしたお目々と可愛らしくもいんちきっぽい口元の笑顔が、世界の中心にある者の自己満足をいやが上にも強調する。

『サタデー・ナイト・フィーバー』のスマートなディスコ・ダンサーを知っている世代には余計に、あのデブ化に圧倒的な衝撃を受ける(なんと言っても「顔が巨大化」している)。

しかし、おかげで彼は独特の(気分が悪くなるほどの)性格俳優として不死鳥のごとく蘇った。

よかったねトラボルタくん、肥え太って。

この映画は、自己中心的で「金しか目にない」ヤッピーくんが、どんどん「正義」と「倫理」に入れ込んでいって、すべてを失って初めて人間回復するってお話です。

この手の「クリスマス・キャロル話型」が最近のハリウッドには多い。

元来、アメリカという国は、大統領が"The chief business of the American people is business."(「アメリカの本分はビジネスだ」)と宣うたお国柄である。

最近のエンロンやワールドコム問題で、現大統領はビジネスに新たな倫理基準をもうけるべしと宣うておるが、そもそもビジネスと倫理は相容れないものなんよね。

弁護士家業という名の「裁判ビジネス」って、「ビジネス」と「倫理」がぎしぎしとこすり合わされる現場となるから、ドラマ的な焦点になり得るんだろう。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ってのがトラボルタくんが達した境地である。

遅いんだよ。

ヤッピーくんたち、東洋のことわざを学ぼうね。
そういう「言葉」を知らないと、そういう行為も生じない。
「言葉」こそ世界分節のツールなんだぜ。

◆◆『天使のくれた時間』THE FAMILY MAN
d0016644_2327466.jpg2000年アメリカ
監督:ブレット・ラトナー
出演:ニコラス・ケイジ、ティア・レオーニ
【ジャンル:「オルタナティヴ・ワールド」ファンタジーのWhat ifもの】
タッグラインに"What if . . . "ものとあるが、なるほどそういうサブジャンルだ。

IMDbのユーザー・コメントに、THIS Week's "Feel Good Film Of The Week"とある。

これまた言い得て妙。現代版・アメリカ版クリスマス・キャロル的な奇跡による夢と"What if"もののクリスマス・ファンタジー。

二つの世界(ばりばりのヤッピーと凡庸な「家庭人」サラリーマン)の二つの人生を生きてしまうニコラス・ケイジくんのお話。オルタナティヴ・ワールドということです。

それも若いときに、ある「二者択一」の選択(恋人を置いてキャリア・アップのためにロンドン行きの飛行機に乗るか、それとも引き留める恋人の懇願を聞き入れて乗るのをやめるか)をした結果、まったく違う未来が待っていたってお話ですね。

ひねりは黒人ギャングの風貌で、実は「天使」であり、スフィンクスのような「謎かけ」をする役割の人が登場するところだが、その意味が今一つ不明瞭。

ヤッピーか、それとも家庭人かっていうハムレット選択肢ならば、家庭人の方がずっといいに決まってると観客は思うだろう。

だってそう描いているじゃん。

ヤッピー生活よりも平凡なタイヤのリテイラー稼業の中産階級の人生の方が、ずっと魅力的でハッピーになってくるため(特に子どもと妻のケイトと飼い犬の魅力)、最終的にそっちの人生を選ぶのが落とし所かと思った(例えば「実人生」の金持ち生活が夢だったという「夢オチ」とか)。

しかし、そうはならない。

ヤッピーに戻ってから、もう一度「二者択一」の選択を選び直すってとこが、アメリカ的なリアリティなんだろうか。

一緒に観ていたわたくしの奥さんは、「こりゃぜったい脚本に失敗している、んな身勝手な話あっか」とたいそうご立腹であった。

なるへそ、そうか。女の人が観るとそうなのか。

男の方は当初ロンドンに行ってキャリア・アップの道を選ぶ。

ところが今度ケイトの方がキャリア・アップのためにパリに行こうとしたとき、それをやめさせてやり直そうと言う(そしてそれが果たされる)。

うむ。確かに、男のための男の寓話か。

そして「男のための男の寓話を決して許さない」というのが、当今の女性の(当今の女性であるための)パスポートなのである。

「男のための男の寓話」を観たい男性のみなさんは、ひとり静かにこの映画を観るように。

「男のための男の寓話」を嗤いたい女性のみなさんも、ワインでも飲みながらひとりで観てね。

「男のための男の寓話」なんぞ観たら怒り心頭に発して怒髪天をついて血圧が上がるむきは(ジェンダーを問わず)、心身の健康のために観ずに黙殺しましょう。

でも、映画の語法としては、やっぱ媒介者の黒人ギャングの役割が活かされていない。
それに、終わりの方で、飼い犬のリースを外して公園で遊ばすシーンがあるけど、あれは何?
シンボルの意味不明。

『シティ・オブ・エンジェル』と雰囲気が似たところもあるが、そっちの方がいい。
ケイト役のテオ・レオーニがいい。子役の女の子がうまい。

やっぱ、現代アメリカは、「ヤッピーよ、金と名声を捨てよ。青い鳥は家庭におるぞ。家族が一番だ」と好んで訴えておる。

そして、往々にそこからは「男の寓話」が生まれ、「男のための寓話」を生成する。

だって「ヤッピー」というのは「若くして成功した独身男」の謂いであり、家庭というのは「美人の奥さんとかわいい子ども(と飼い犬)」が表象するわけだから。

◆◆◆『理由』JUST CAUSE
d0016644_23285011.jpg1995年アメリカ
監督:アーネ・グリムシャー
出演:ショーン・コネリー、ローレンス・フィッシュバーン、ケイト・キャプショー、エド・ハリス、鰐
【ジャンル:裁判もの】
ショーン・コネリーに(だいたい)ハズレがないことはご案内のとおりである。

彼ががハーヴァード大の教授で、クレイジーなシリアル・キラーをエド・ハリスがやってる。

エド・ハリスは、『ライト・スタッフ』『アビス』『アポロ13』と理系のSF顔なんかと思ってたら、『ザ・ロック』ではショーン・コネリーと共演して、『スターリングラード』では狙撃の名手のドイツ将校をやってた。
何でもできる器用な名優だね。
キレた三白眼目がブキミだし(この人何をやっても三白眼で演技する)、つるつる禿頭に青筋立っているところが恐かった。

この映画の舞台はフロリダの田舎町。

元コーネル大の学生で善良そうな黒人被告の「冤罪」をショーン・コネリーが逆転に導き、彼を拷問にかけたとされる黒人嫌いの黒人刑事(『マトリックス』ではリーダー役で、拷問かけられた側の「強くていい人」ローレンス・フィッシュバーン)が実はまっとうで正しかったというお話。

鰐も出てきます。

人種偏見に満ちた南部で「よい子」の黒人青年にかけられた冤罪が、東部の「よい子」の正義の味方老教授によってはらされる、つーのはただしくPC的である。

ところが、まっとうで賢そうな黒人青年が実は「ブチ切れシリアル・キラー」だったというところが、PCを逆転させまする。

PCを前提に観ているから、いやそれ「のみ」が、後半の逆転の意外性を用意している。
彼が黒人でなかったら、今更、実は彼が悪モンでしたというのはぜんぜん予想外ではない。

PCに乗っかかるのも、PCを逆転させるのも、PCメンタリティ構造はおんなじだよ。PCの覇権に囚われているんだよね。

アメリカのよい子も悪い子も、あんましPCをもてあそばないように。大人になんなさい。

2002-08-10
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by mewspap | 2005-10-30 23:30 | シネつぶアーカイヴ

シネマのつぶやき(その2)

■シネマ◆
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■つぶ■■ ◆ その2
■■■やき ■ ■ ◆ 2002-08-08

ゼミのみなさんへ

一仕事終えたら、夏風邪をひいてしまった。ごほごほ。

みなさんも注意しましょう。

◆『あの頃ペニー・レインと』ALMOST FAMOUS
d0016644_19381035.jpg2000年アメリカ
監督:キャメロン・クロウ
脚本:キャメロン・クロウ
出演:フランシス・マクドーマンド、ケイト・ハドソン、パトリック・フュジット他
【ジャンル:70年代ロック風俗青春物語】
監督・脚本のキャメロン・クロウの自伝的作品。

ケイト・ハドソン演じるペニー・レイン役は、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」に似ている。
いい役者である。表情、笑顔がいい。

「BGMに全編50年代の……」というのは『アメリカン・グラフィティ』を初め少なからずあるように思うが、60~70年代のサウンドを視座におさめること、つまりあの時代を「歴史化」するにはずいぶん時間がかかった。

あの時代と音楽を、少し年少のロー・ティーンの視点から、しかもライターという本来critical distanceを保持する者のinvolvementという「一回転半ひねり」で描いたのが成功の要因。

当事者が当事者の視点で描いたら息苦しいしね。

サイモン&ガーファンクル、ザ・フー、パープルにツェッペリンか。ああ懐かしい。
かつて、ディストーション・ギターの音を快く感じる若いモンは、カルシウム欠乏症であると言われたが、旨い魚喰ってカルシウムたっぷりの今でもやっぱり気持ちいいで。

『キャリー』(@スティーヴン・キング)の女の子が最後に門を叩く『ローリング・ストーン』誌の編集部が出てくるし(なぜかアジア系の編集者)、最後にはサンフランシスコにある当該のオフィス・ビルの入り口のショットも。

主人公の媒介者となる伝説的ロック評論家レスター・バングスの役割がいい。もっと強調すべきだね。年長の賢者にして指導者、文化英雄的なトリックスターで、彼こそ優等生の主人公を「異世界」へとつなぐ媒介者なんだから。
キャメロン・クロウは今後その点を注意するように。

ちういちうい。

欲望とは他者の欲望の模倣であるからして、当初パトリックくんはロック・ファンの姉の欲望を欲望し、レスター・バングスの欲望を欲望し、それからペニー・レインの欲望を欲望する。

他者の欲望の模倣が破綻したとき、パトリックくんは「大人」になるんだね。よかったね、パトリックくん。今度はきみが、後継の若者たちが模倣すべき欲望となるんだよ。

◆◆『15ミニッツ』FIFTEEN MINUTES
d0016644_19384684.jpg2001年アメリカ
監督:ジョン・ハーツフェルド
脚本:ジョン・ハーツフェルド
出演:ロバート・デ・ニーロ、エドワード・バーンズ他
【ジャンル:ポリス】
デ・ニーロが早々に殺されてしまう。狂い方・キレ方が足りなかった役柄だからか。
相棒である放火犯捜査消防士は、デイヴ・スペクターを長身にしたようなひと(エドワード・バーンズ)だが、デ・ニーロに対してちょっと格落ちなのは否めない。

二人組の犯人のロシア人はずっとヴィデオを撮っていて、自由の女神を背景にして殺される最期まで「演じ」続ける。
犯罪の映像化と報道が「ワンセット」になっているアメリカの現状(あたかもニュース報道されないと事件が「現実」とならないかのようですね)と、それを欲望する他者たるロシア人(みずからの犯罪をドキュメンタリー風に撮影しないと自分たちの存在が「現実」とならないかのよう)という構図。

映像化を通じてでなければ、「この現実」をうまく掌握することができないという、シミュレーション社会ですな。

アメリカの報道番組。
ニュース・ショーもそうだけれども、出演者が体験談を語る告白番組もアメリカらしく、過剰なまでの言葉、言葉、言葉の奔流と、括弧付きの「民主主義」への皮肉が、番組に参加している聴視者の賛否のブーイングと拍手と"Oh!"という歓声に表れています。
そしてTV業界の裏話(テレビ局のアンカーが口にする"If they don't breed, they'll sleep."という月並みな台詞)も、規格化されすぎているね。

アメリカの裁判制度。
シリアル・キラーがinsanity故に無罪となり、体験談の出版と映画化で大儲けするような裁判制度にあきれ果てることは万人共通の反応でしょうけれど、弁護士がデイヴ・スペクター似くんに"This is the system."と宣うと、スペクター似くんは「被害者の人権はどうなるんだ!」とこれまた規格化された反問をします。

テレビ関係者と弁護士は悪モンで、一見悪そうな刑事デ・ニーロくんと、放火犯捜査消防士のスペクター似くん(セントラル・パークで黒人の強盗を木に手錠で繋いじゃってそれがまた人権侵害であり人種差別であると報道されて叩かれる)は良いモンってこと。

ぱちぱち。

後味の悪いイヤな映画。

デ・ニーロはショーン・コネリーのようなキレイなじいさん役は永遠に回ってこないのだろうか。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』や『俺達は天使じゃない』はよかったけれど、あの演技とは思えないほとんど癖になっている首を斜めにして薄ら笑ったり口をへの字に結んだりする顔は、正直ちょっと見飽きた。

デ・ニーロと同じ釜の飯を食ったアクターズ・スタジオ派のダスティン・ホフマンが、あの「むき」と口の端を持ち上げて、困ったような無理のある作り笑いを浮かべる人を完璧に演じる図像にも、同じような印象を受ける。

なんだか物語のロバート・デ・ニーロが演じる登場人物が「ロバート・デ・ニーロ」を演じたり、ダスティン・ホフマン演じる登場人物が「ダスティン・ホフマン」を演じたりしているんじゃないかという気がしてくる。

こういうのって役者冥利につきると言うのだろうか。よく分からない。

◆◆◆『グリーンフィンガーズ』GREENFINGERS
d0016644_1939966.jpg2000年イギリス
監督:ジョエル・ハーシュマン
脚本:ジョエル・ハーシュマン
出演:知らないイギリス俳優さんたち
【ジャンル:刑務所】
知らなかったがイギリス映画である。ガーデニングのお話だからか。

やっぱりハリウッド映画と違って、「いい話」をその「まんま」描いている。

いかにもという殺人犯の巨漢もイギリス英語をしゃべると可愛らしい(ような気がする)。
黒人の殺人犯も迫力がなくっていい(ような気がする)。

主演の人は知らない人ばかり。
主人公コリンを演じるクライヴ・オーウェンという人は、目はトキオの国分くんに似ていて、雰囲気は高倉健(気のせいだろうか)。

権力者および権力者側にいるひとがみないい人ばかりなのも特徴である。
所長、看守、女王、それにトニーとできてしまうお茶運びのおねえちゃんまで。

ほんとにもう先は長くないぞというガリガリの爺さんファーガソンは知らない俳優だけど、50年代からテレビや映画のゲスト・アクターを主にやってきたそうで、いかにも脇役の名優という感じ。
イギリスの老優と言えば、当然シェイクスピア劇で鍛えられた方であろう(思い込みだろうか)。
この人の師匠・導師としての重みがもちょっとあったら面白かったのに。

コリンがスミレの花を初めて咲かせるのに成功し、そこから天才庭師"greenfingers"の才能を目覚めさせてガーデニングに没入していくところ――つまり一番肝心なところ――は、あまり説得力がないと思うんだけれど。

2002-08-08
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by mewspap | 2005-10-30 19:40 | シネつぶアーカイヴ

シネマのつぶやき(その1)

■シネマ◆
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■つぶ■■ ◆ その1
■■■やき ■ ■ ◆ 2002-08-02

ゼミのみなさんへ

ようやく夏休みが見えてきましたね。
わたくしはすでに「宿題」の原稿をあげたぞ。

書評みたいなもんを書くお仕事なんだけれど、新刊書じゃなくって最低20年以上前に出版された専門書について、今日的意義を書けというご依頼である。

「旧著快読」という企画もののリレー連載の一環です。

『英語青年』っていう業界専門誌の10月号(9月9日発売)に載る(予定。編集者のオーケーがまだ出ていない。ダメ出しがコワイ)ので、生協で立ち読みしてくれろ。

さて、仕事はひとつあがったが、まだまだどんどん雑多な仕事がある。

この秋からはさらに、大の苦手とする学部行政上のお仕事を担当することになったので、死ぬほどいそがしくなるであらう。

気分転換に映画雑評を書いて憂さを晴らす。

おバカ映画についてのつぶやきぼやきを今後随時送りますから、暇つぶしに読んでちょうだい。
取りあえず、今年1月から観た映画について順番に。

それじゃ、みなさん、夏休みを有効に使いましょう。

シネマのつぶやき、レンタル・ヴィデオ屋さんで「さて何観ようかな」と迷ったらこれ観ましょ。

◆『小説家を見つけたら』FINDING FORRESTER
d0016644_19195256.jpg2000年アメリカ
監督:ガス・ヴァン・サント
出演:ショーン・コネリーその他のみなさん
【ジャンル:マイノリティの天才少年成長物語】
ショーン・コネリーにはだいたいハズレがないのでとっても安心。

ちょっとサリンジャーの感じもある元小説家と天才黒人少年のお話。

お化け屋敷的なアパートに隠棲した老人っていう設定やよし。偏屈で拒否的な態度やよし。
コネリーが課題を与えて、天才黒人少年くんがしだいに受け入れていくのもよい。

最後の、学校に登場して大逆転も、ドラマと障碍のある物語運びのクライマックスとして締めくくるのだろうから、よしとしよう。

天賦の才に恵まれながら、閉塞感のある貧しい黒人街の仲間たちの目からそれを隠しているが、ついには元作家の偏屈老人を媒介として「別の広い世界」へと出て行く。そしてストリートの仲間もそれを認めて祝福する。
この構成は『グッド・ウィル・ハンティング』と同じ。

◆◆『私が愛したギャングスター』ORDINARY DECENT CRIMINAL
d0016644_19205242.jpg1999年イギリス
監督:サディアス・オサリヴァン
出演:ケヴィン・スペイシーその他のみなさん
【ジャンル:泥棒団映画】
イギリス映画だね(アイルランド訛)。シブいケヴィン・スペイシー主演。
元ネタはもちろん我が邦のモンキー・パンチによるルパン三世と銭形警部のお話(だよね?)。

◆◆◆『キス・オブ・ザ・ドラゴン』KISS OF THE DRAGON
d0016644_19211839.jpg2001年アメリカ/フランス
監督:クリス・ナオン
出演:ジェット・リーその他のみなさん
【ポリス、麻薬シンジケート】
脚本・製作がリュック・ベッソンだって?
驚いた。ベッソンはどうなってしまったのか。

ジェット・リーの身体運動は芸術的なまでに美しい。

でも上腕の傷をみずから縫うシーン(『ランボー』のパクリね)は痛そうで、とても画面に目をやることができない。

◆◆◆◆『ファイナル・ファンタジー』FINAL FANTASY: THE SPIRITS WITHIN
d0016644_19214416.jpg2001年アメリカ
監督:坂口博信
出演:アニメのみなさん
【ジャンル:SF、終末論後の地球】
主人公アキの表情や動きが秀逸。でもばりばり戦闘するのに、髪の毛がさらさらしすぎなのではないか。
他のキャラクターはスットク・キャラばかり。
最後にみずからも致命傷を負いつつ、仲間を助けるためにファントムの注意を自分の方に向けさせる力持ちの「お前っていい奴だな」黒人(『エイリアン』その他)。
やたら饒舌でおバカだが意外に性格のいい若造。
男勝りでおおおおっとめちゃくちゃパワフルな攻撃力と熟練した火器の扱いを見せ、同時に死に際には男にはない静かな諦観を見せる女兵士(『エイリアン2』が先鞭をつけた)。
でも、力持ちの黒人は「言うまでもなく」、最後の最後に、饒舌のおバカ若造とやり手女兵士は「やっぱり」死んだね、予想通り。
老博士にしてアキの保護者(モデルはショーン・コネリー?)も、敵役の将軍=権力者=クーデーター実行者にして頭の固いファシスト(ジェイムズ・ウッズの声?)も定型である。

『アキラ』に出てくるソルをパクっているのはいただけないが、かまきりみたいな異星人の戦争や、ミジンコとタコとイカの混じったようなファントムもよろし。

最後に登場する、ガイア説にこと寄せた「青いガイア」は落とし所としては理解できるが、いささか旧弊でつまらん。

アキは存在感溢れた主人公だけれども、その相手役の男に存在感もキャラの説得性もないのが残念。

生き残りの人類を統べる委員会(黒人、賢そうなおば(あ)ちゃんが執行委員というPC的配慮等々)もよくあるパターン。宮崎駿が『未来少年コナン』でもう描いているでしょ。

「悪」が外部にあるのというのは幻想であって、「悪」は内部に入り込んでおり(The Spirits Withinね)、善悪が分かちがたいというところが「東洋的」である。
目に見える外部の「悪」と闘うというのではないところがいい。それがちょっと哀しそうなアキの表情によく出ている。
そして結局ファントムも単なる悪ではなく、怒り憎み哀しんで暴走している存在に過ぎないのである。

異星の戦争の意味論が描かれていないように思うけれど、それも仕方がないのであろう。
かつて遠くの星で戦争があって、終末兵器で星が滅んだ。その恨みが彗星に乗っかって地球にやってくるなんていう「怪談話」は、日本人しか思いつかない「この恨みはらさでおくべきかぁ~」発想で意表を衝かれる。

おぞましい未知の敵の形象化って、テンタクル系やアメーバ系の「どろどろ」「にゅるにゅる」「にょんにょん」が多いですね。時代が「おたく」に淫していた1980年代を苗床とする果実であろう。

それと「ギコギコ」「ズバズバ」の昆虫・爬虫類のギーガー的想像力の『エイリアン』系。
『スターシップ・トルーパーズ』なんてそのまんまカマキリと蠢く虫虫虫だったもんね。
硬い鎧のような外装とどうなっているのかよく分かんないドロドロ内部が想像力をかき立てるのだろうか。

カフカ的(クローネンバーグの『イグジステンツ』的)に、あの硬い甲羅をぶちゅっとつぶしたらドロドログチャグチャってとこが視覚的想像力を衝いてくる。

2002-08-02
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by mewspap | 2005-10-30 19:30 | シネつぶアーカイヴ

シネマのつぶやきアーカイヴの設置(Mew's Pap)

観た映画について書きたいことはいっぱいあるのだが、時間的になかなか思うにまかせない。
せめて埋め草に、「シネつぶアーカイヴ」のカテゴリを設置して、旧聞に属することではあれど、現在のブログ版「シネマのつぶやき」の前身にあたるメルマガ・ヴァージョンを順次アップしていきます。

ま、遊びです。

読み返すと、へんてこなこと考えていたんだね。
何が言いたかったんだろう。
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by mewspap | 2005-10-30 19:17 | シネつぶアーカイヴ

目次(LIN)

アメリカン・コミックス・スーパーヒーローのヒット作から見るアメリカ大衆の望み(仮)

序論

第一章:時代流れの中のアメリカン・コミックス・スーパーヒーロー
     1939年スーパーマンの誕生からスーパーヒーローの歴史が始まり、そして1950年代スーパーヒーローが厳しい時期を経て、1960年代から新たな発展に入り、さらに2001年のあの事件による変わった表現。この章では、時代の順番で、アメリカン・コミックス・スーパーヒーローの歴史とその歴史による変化について書く。

     第1節 夢のようなスーパーヒーロー
          1939年スーパーマンの登場から1950年代までの間、アメリカでは多くのスーパーヒーローが生み出された。この節では、当時のスーパーヒーロー像について語る。

     第二節 コミックス・コードによるスーパーヒーローの抹殺
          1950年代に、コミックスが非難を受けて、コミックスの出版にはコミックス・コード局の承認印が必要とした。それで、アメリカン・コミックスはどうどう廃れていた。

     第三節 スーパーヒーローの復活
          1961年、スタン・リーの「Fantastic Four」の登場で、当時コミック業界を変えた。その後、多くの新しいスーパーヒーローが誕生し、一大現象になって、映画界にも進出した。

     第四節 “9・11”同時多発テロ事件以来のスーパーヒーロー
          “9・11”以降、アメリカの表現が変わった。多くの作品の中でスーパーヒーローの無力さを描かれた。

第二章:ヒット作の背景作り
     今まで多くのアメリカン・コミックス・スーパーヒーロー・ムービーがヒットした。ヒットした作品には幾つかの共通点がある。この章では、「スーパーマン」、「バットマン」、「スパイダーマン」を中心として、数々なヒット作の共通点について論じ、そのヒットした理由を掘り出す。

     第1節 大都会を舞台に
          ほとんどのスーパーヒーロー物語の舞台は大都会である。大都会が舞台として選ばれた訳について語る。

     第二節 共感できる主人公
          人間的感情移動できる主人公ほど作品がヒットする。そんな主人公はどういう風に作り上げたのかについて語る。

     第三節 存在感のある相手役
          主人公の存在感も必要が、相手役の存在感も大切である。相手役の選び方などについて語る。

     第四節 愛する者は足引っ張り
          スーパーヒーロー物語もラヴストーリーである。しかし、その愛する者の存在で主人公の弱点を実体化する。

第三章:フィクション世界とリアル世界
     アメリカ大衆を相手にして作品を作るので、その作品によって、当時アメリカ大衆の望みあるいは何を求めているのかが分かる。1960年代以降の作品から見たスーパーヒーローはそれまでのと比べて、近い存在になってきた。しかし、“9・11”の事件でアメリカ大衆はスーパーヒーローの概念について見直した。この章では、その変化と新たなヒーロー像について論じる。

     第一節 リアル化したフィクション
          内面の描き方や人間的要素などを作品の中に入れることで、フィクションをリアル化にする。

     第二節 フィクションヒーローからリアルヒーローへ
          “9・11”が原因として、アメリカン・コミックスは「リアルヒーロー」路線になった。

結論



参考資料
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by mewspap | 2005-10-28 15:55 | 2005年度ゼミ

「よくない友人」猫元せんせ(Mew's Pap)

とある授業で再びプレゼンのイラストで私が登場。
与えられたキャラは、18歳の女の子が付き合っている「よくない」友人。
d0016644_12435916.jpg
ほっとけ。




(C)Daisuke Abe
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by mewspap | 2005-10-28 12:47 | Mew's Pap

スケルトンと下書き第1稿について(Mew's Pap)

スケルトンについて
卒論のスケルトン(骨子)の締め切りを学祭期間中とします。
11/10(木)には全員の分が揃うように。骨子は全員で共有しますので。
提出方法は本ブログへの投稿による。
以下のようなフォームを心がけること。

卒論タイトルおよびサブタイトル(仮)
序論
第1章 タイトル
メモ(第1章でどういうことを論述するか)
第1節 タイトル
メモ(第1節でどういうことを論述するか)
第2節 タイトル
(以下、節を設ける場合は同じくメモを付す)
第2章 タイトル
メモ(第2章でどういうことを論述するか)
第1節 タイトル
(以下、同じ)
・・・
結論

配布した2004年版ゼミ冊子に掲載している、卒論本体の目次を参照すること。
その目次形式に内容のメモを付すこと。

下書きについて
下書き締め切りは遅くとも11/24(木)とします。
書式はビジネス・フォーム(A4版、40字×36行)によるワードファイル、5~6枚(400字詰め原稿用紙換算で20~25枚)で提出すること。

下書きは複数名で査読し、執筆者にコメントを述べることになります。

大事な時期です。がんばりましょう。
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by mewspap | 2005-10-25 16:03 | Mew's Pap

たこ焼きパーティのお知らせ(Mew's Pap)

学園祭期間中の11月3日(木)文化の日、毎年恒例のたこ焼きパーティをナベシマせんせのけんきゅう室で開催します。

開始時間未定。たぶん3時ころから夕方。
主要参加者は文学部のたこ焼き好きの先生ら。

参加自由。
出入り自由。
チェ・ゲバラを信奉するゲリラ的開催につき極秘。秘密遵守のこと。
参加費無料。ゼミ生の分はアキモトせんせのおごり(Mew's Papゼミの学生に限る)。
ただし、参加条件はアキモトせんせがたこ焼き焼いているときにうちの子(女、9歳、とってもかわいい、緊張しいの笑い上戸)の遊び相手・話相手をすること。

古来より長き伝統を誇る「ナベシマせんせんちのたこ焼きパーティ」がいかなるものか、詳細を知りたい向きは以下のURLで間借りさせていただいている「シネマのつぶやきのやどかり」(その41)で昨年の事例報告を参照のこと。

http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~booomweb/

以上。
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by mewspap | 2005-10-19 18:54 | Mew's Pap

研究ノート9(LIN)

 やっと注文した資料の一部は届いた。スーパーマンの第一作とFantastic Fourの原作。スーパーマンのDVDを見たが、Fantastic Fourのは第1部ではない。だから、今年公開した映画とは全く繋がれない。ショック!!って、「Stan Lee's Mutants, Monsters & Marvels スパイダーマン誕生の秘密――スタン・リーの世界」というDVDを見たので、それについてまとめたいと思う。
 「Spider-man」は、「ハルク」の次の作品。当時新しいヒーローには、新しいパワーが必要だった。だが飛べて、強い以外に何が残っているかを考えたスタンは、虫のように壁を這える男を思い付き、幼い頃読んだ「ザ・スパイダー」という大衆小説から名前を取った。小説の男はクモらしくなく、ただ帽子をかぶった暗殺者。スタンは出版者のマーティンに話したが、最初は応じてくれなかった。その後、スタンは他の作品を作っていたが、心の中ではspider-manを忘れなかった。そこで、「Amazing Fantasty」という大人向きのコミック雑誌は廃刊に決めた。最終号の内容は誰も構わないから、その最終号の表紙にスティ―ブ・ディッコが描いたspider-manを載せた。9ヶ月後、販売部数が分かってきた所、マーティンが「Spider-man」の連載をしようとスタンを誘った。それで今に続いている。
 Spider-manのPeter Packerはまだ10代の若者で、恥ずかしがり屋で、モテるわけでもない。それまでのスーパーヒーローと違って、みんなと同じ実生活の悩みをし、普通の生活を送っている。それで、読者は感情移入ができるわけ。しかも、彼は頭からつま先までスーツに身を包んでいる。だから、アフリカ人でもアジア人でもインド人でも、だれも彼になれる。そのスーツによって、世界中が共感できる。
 スタンはPeter Packerがヒーローになることに理由が欲しかった。例え特別なパワーがあっても、悪党と戦う必要はない。もしPeterがBen伯父さんの死に責任を感じれば、最高の動機になる。メイ伯母さんは生きて病気がちという設定も大切である。ストーリーを面白くするために、ヒーローに人生の決断を迫られることが必要。病弱な伯母さんのおかげで、Peterはただ無心に悪党と戦えなくなる。それに、彼は正体を明らかにさせない。心臓弱い伯母さんにとって、Peterはただ一人の肉親。彼女はPeterを愛していて、過保護すぎるぐらいいつも彼を心配している。もしPeterが彼女に正体を明かせば、心配を増やすだけだ。これもまた、彼にとって一つの問題。
 コミックでは、最後のページになるまで、メリー・ジェーンの顔がいつも花や手に隠れていて描かれなかった。これも現実味を持たせる工夫の一つ。実は、メリーの前に、グエン・ステーシーという人物がいた。グエンは優しくて、みんなに愛されて、背が高くて、スタイルも抜群のブロンド美人。一方、メリーは赤毛で、ヒップで、クールで、個性的で、パーティ好きな楽しい子という設定だった。メイ伯母さんはPeterに隣りの家の子を紹介したい。しかしPeterは何としても避けたかった。最後のページでPeterがドアをあけると、メリーが立っていた。
 J. Jonah Jamesonは不滅存在的なキャラクター。彼は短気で、不機嫌で、バカで、自分を過大評価するキャラ。Peterがフリーランスなのは、自由にspider-manになるため。そのために、スタンはかれをフリーのカメラマンにした。Jamesonはスパイダーマンを嫌っているが、新聞のために写真が要る。当時ヒッピーが流行っていたから、彼が10代の若者も嫌いという設定だ。彼にとって、若者はすべて長髪の堕落した共産主義者だ。その設定で、Peterは嫌われつつも働いた。Jamesonはけっして悪党ではないが、差別的で怒りっぽいだけで、よくあるタイプ。コミックで、Jamesonと対照的なのは、黒人編集者のロビー・ロパートソンだ。彼は新聞社内でも理論的で、冷静なキャラクター。実際は彼が新聞を作り、Jamesonをなだめるチャラ。彼はPeterを怪しんでいると、スタンが読者に思って欲しかった。Jamesonは怒りで正体に気付く余裕もないから。
 2000年から、マーベル社は映画界に進出し始めた。それまではDC社の「スーパーマン」や「バットマン」などだった。先ずヒットしたのは「ブレイド」、そして「X-MEN」、続いて「Spider-man」、さらに「Daredevil」、「超人ハルク」など。「Spider-man」は契約の問題で2002年公開したが、案は20年前からあったと言われている。一社のキャラクターがこれほどたくさん映画化されるのは珍しい。しかも、「ブライド」と「X-MEN」の公開で、ファンは若年層だけではなく、よい映画を期待する大人も見に行くことが分かった。
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by mewspap | 2005-10-16 15:37 | 2005年度ゼミ

研究ノート8(LIN)

  コミックの原作を手に入れるために、色々調べた。だが、関係品はかなり多いが、原作の第1部はなかなか見つからない。特に、スパイダーマンの原作は売り切れ状態になっていて、予約しなければいけなかった。スーパーマンの作品も多くなく、映画化したものだけ手に入れた。ほかの作品に関する資料もアメリカからの発送なので、今はまだ届いてない。これら資料のまとめは、次回の研究ノートにする。これからは、前回言った「アメリカン・コミックス・スーパーヒーロー・クロニクル」について、まとめたいと思っている。
  まず、スーパーヒーローの起源はアメリカン・コミックスである。1930年代後半の登場以来、派手な雑誌はヒーローたちに冒険の舞台を与えていた。アメコミにより、人々が世界における個人の力を再認識したと考えられる。近代都市には、どこか収容所の雰囲気がある。大都会を自然環境に例えるなら、いろんな深さのある谷になる。底辺では閉ざされた雰囲気だが、上に飛べば空間が広がる。スーパーヒーローは街から広い空に飛ぶというわけだ。アメリカのビッグ・シティは人類の功績の象徴であり、人々の想像力を膨らませる。そんな背景ではあらゆる事が起こる。スーパーヒーローにとって最も活躍しやすい場所である。
  「スーパーマン」と「バットマン」も大都会を背景にしたものである。実際に存在したものではなくても。この二作は精神の正反対の面を象徴する存在と言われている。スーパーマンの明るいに反して、バットマンは暗い。バットマンは復讐心を抱き、両親の無念を晴らしたがっている。一方、スーパーマンはモーセ(キリスト教上の人物)的で、より良き未来を築くために現れた。
  1950年代、コミックスが非難を受けた。コミックスの暴力性と若者に対する悪影響を心理学的に分析した心理学者もいた。様々な自説でコミックは有害がと決め付けた。それで、出版社が団結して、自主規制コードを作った。コミックスを販売するには、コミックス・コード局の承認印が必要になった。それで、アメリカン・コミックはどんどん廃れていった。
  その後、フラッシュとグリーンランタンが出て、スーパーヒーローが復活した。だが、本当に業界を変えたのは「Fantastic Four」の登場だった。「Fantastic Four」は、ジャック・カービーの画とスタン・リーの脚本で、1961年に世に出された。これは全く新しいコンセプトだったし、新しいファンもできた。それで、社名を”タイムリーコミックス”から”マーヴるコミックス”に変えた。「スーパーマン」や「バットマン」で有名なDC社のキャラクターは輝けるアメリカン・ヒーローで、みんなカッコよくて、いい事ばかりする。マーヴル社のキャラクターは、元マンスターで斬新なヒーローになる。当時は核実験や核の事故があり、人々はそのニュースに衝撃を受けていた。「Fantastic Four」は宇宙に行き、宇宙線を浴びて、一人は怪物になり、一人は火焔人間になり、一人は“力場”を創って透明になれる美女、もう一人は伸縮できるゴム人間になった。マーヴル社が創った彼らはモンスターであり、ヒーローである。
  マーヴル社のキャラクターとそれ以前のキャラクターが異なる主な点は、内面の描き方である。以前の作品では、ヒーローの特殊能力と悪役との戦いだけが書かれていた。スタン・リーはヒーローたちの人生をその冒険と同様に興味深くするように創った。彼はスーパーヒーローの人間的要素をも盛り込んだ。「Fantastic Four」の4人は、個性的でよく喧嘩するし、ロマンスもある。スパイダーマンは一番現実的なキャラクターである。10代のヒーローは初めてだった。スタン・リーは彼に10代らしい悩みを持たせようとした。彼は生活費や家族のことで悩み、恋にも悩む。他のヒーローたちは超人的過ぎて、人間的な感情移入が難しい。だが、スタンが創ったキャラクターは、超人的であっても、人間と同じように弱点を持っている。X-MENの場合は、ミュータントのキャラクターたちは偏見で誤解されている。世間は彼らを恐れ、嫌がっている。彼らの能力は思春期のころに明らかになるけど、思春期は普通の子供でも変化に戸惑い、ミュータントも同じで、突然の変化が理解できない。
  さらに、マーヴルコミックスは革新的で、悪役に特別なパワーを与えた。それまでの悪役は正気を失った科学者やギャングや宇宙からの怪物だった。マーヴルの悪役たちは邪悪なスーパーヒーローだった。善の反対をなす者を悪として認められた。超人的な悪役は多くの点でスーパーヒーローに似ている。ヒーローに近づけるほど、効果的な悪役ができると言われている。Dr.ドゥーム(「Fantastic Four」)は科学者で、爆発で顔がつぶれて鉄仮面をつける。彼の格好は「スター・ウォーズ」のダース・ベイダーに引き継がれている。
  映画監督たちはコミックを映画化するときに、本質を損わず、一般の映画でも、コマ割の構成とか想像力などコミックの手法を取り入れている。Tim Burton監督はキャラクターの両面性に力を入れた。バットマンと悪役たちは、最も心理的に掘り下げられて、コミックの頂点を極めている。
  アメリカン・コミックス・スーパーヒーローはアメリカと共に歩き、アメリカの人々を感動させた。彼らはアメリカを面白くするのに一役買い、同時に商業的価値も非常に高い。コミックは楽しいものだった。なのに、今のコミックはユーモアが欠け、深刻になりすぎて魅力の一部を失ってると言われている。
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by mewspap | 2005-10-10 01:34 | 2005年度ゼミ