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研究ノート7(LIN)

  このまえ、「ファンタースティック・フォー」を見た。この映画の原作は1961年スタン・リーのコミックである。そういえば、最近こういうコミックス・ムービーが流行ってる。”Spider-man"から”Batman Begins"、”Daredevil"、「X-MEN」シリーズなどいっぱい。それで、どうして今さら流行りになったかについて調べた。
  「アメリカ映画がわかる」と言う朝日新聞社が出版した本のなかに、みのわ あつおさんのレポート“超人からより人間らしいヒーローへ”から、ヒントを与えられた。(この本ではアメリカ映画に関する様々な分野に分けて、いろんな人のレポートがある。その中で親子関係や音楽などについてのレポートもあるので、皆さんの役にも立つと思う。興味ある方はぜひ参考してください)彼の調べによると、現在ヒーローのキャラクターと作風が現実性と信憑性を持っている。こういうキャラクターと作風の確立は映画の流れからではなく、1987年にフランク・ミラーの原作による「バットマン ダークナイト リターンズ」が発表されてからだ。この作品により、アメリカ・コミックスも哲学的な思想を打ち出すようになり、映画界にも影響を与えた。
  そういえば、スタン・リーの「F4」作のほうが20年も早かった。当時のStan Leeは、単純なヒーロー作りに限界を感じていた。彼はアーティストであるジャック・カービーと共に、それまでになかったキャラクター作りにチャレンジした。それは、ヒーローものの中に等身大の人間ドラマを持ち込むこと。その着想は大ブレイクし、当時低迷していたMarvels社の救世主になり、これをきっかけに"Spider-man"や"X-MEN”などが生まれていくのである。
  それで、Stan Leeに関する資料がほしくなる。図書館ではあまり見当たらないため、ネットで調べた。本の資料は多くないが、アマゾンでDVD二作を見つかった。一つは、「スパイダーマン誕生の秘密――スタン・リーの世界」、もう一つは、「アメリカンコミックス スーパーヒーロー クロニクル」である。今日届いたばかりなので、今の時点では、まだ見てない。これらの作品を見たら、まとめてブログにする。以上。
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by mewspap | 2005-09-30 11:34 | 2005年度ゼミ

研究メモ3.映画フランケンシュタインの逆襲(Asuka)

映画『フランケンシュタインの逆襲』(1957)
製作会社:ハマー・プロ(イギリス)
原題:CURSE OF FRANKENSTEIN
監督:テレンス・フィッシャー
出演:ピーター・カッシング(フランケンシュタイン男爵)、クリストファー・リー(クリーチャー)
あらすじ
 幼い頃から ヴィクター・フランケンシュタインはポール・クレンペという学者を家庭教師として家に招き知識を蓄えていった。やがて、二人は電気の研究を始め、電気で犬の死骸を蘇生さすことに成功する。フランケンシュタインは次に人間で同じ実験をしようとするが、クレンペは反対し、研究の手伝いをやめる。それでもヴィクターは研究をやめず、一人で材料を集めていく。死体を盗んだり、金を出して人体の一部を買ったり。しまいには家に招いた年老いた教授を、事故と見せかけて突き落とし殺害して彼の脳を手に入れる。せっかく優秀な脳を手に入れたが、机にぶつけて損傷してしまう。
つなぎあわせて造ったクリーチャーは凶暴だった。
その凶暴さを利用して、フランケンシュタインは邪魔になった家政婦をクリーチャーを使って殺害する。
フランケンシュタインの許婚を襲ったクリーチャーは(屋根か?忘れたが)落ちて、消える。
フランケンシュタインは、殺人者として刑務所に送られ、自分の造った創造物が殺人を犯したと主張するが、クレンペに知らないと言われ、死刑台に向かうシーンで終わる。

感想
 ハマーのフランケンシュタインの主題は「人が人を造ることの是非」で、人間創造と言う神の領域を侵したら報いをうけますよということである。ユニバーサルの作品とは違いヴィクターの悪行に焦点が当てられている。ここに出てくる怪物は人を見たら襲う、動揺することも、何かを求めることもない感情無しの、ロボットや物止まりである。ここでの真のモンスターはあまりの探求欲から自分の手で教授を突き落とし殺害した、ヴィクターだけではないだろうか。
ユニバーサル版で表現されている、「怪物の悲哀」はハマー版では全く見られない。
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by mewspap | 2005-09-27 00:44 | 2005年度ゼミ

研究ノート(3):結婚(YU)

卒業論文のテーマを 「アメリカの家族の移り変わり」と題して今まですすめてきたが、家族という大きな枠ではなく、アメリカでの結婚や離婚の問題にテーマをしぼろうと思う。「幸せな家族」の象徴とされる50年代から、今に至るまでの、アメリカでの結婚観の移り変わりに焦点をあてて研究をしていきたい。アメリカにおける女性問題や社会問題にも目を向けていく。


現在のアメリカ人は、今でも50年代の家族の姿を理想としている。”HAPPILY MARRIED” といわれるその姿は、妻が家にいて、夕食時には両親と子供達がそろって団欒するものである。しかし、結婚年齢がどんどん高くなり、離婚、未婚、非婚、同棲が増え、この理想的な核家族は壊れてきてしまっている。だが、理想の家族とは、男性からの視点であって、女性からの視点ではどうだろう。

離婚が激増したのは、60年後半からで、これは60年代末から70年代に起こったウーマンリブ運動が離婚しやすい状況を作ったと考えられる。この運動によって夫や家庭を捨てる女性達が増えたのだ。

1980年の国勢調査による離婚率を見てみると,1960年には2.2%。 1970年には3.5%。1980年には5.3% 。となって、その数は年々増え続けている。

現在、日本でも離婚率は年々増えており、できちゃった婚や、未婚の母も増えているように思う。(具体的な数字は調べ中)

1960年以後のアメリカの家族の変動の道を日本も歩むのではないだろうか。
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by mewspap | 2005-09-25 22:12 | 2005年度ゼミ

研究ノート9・chiaki

『Road to Pardition』 演 トム・ハンクス、ポール・ニューマン

マイケル・サリヴァン 映画の語り手。彼の視線から見た父親の姿が描かれる。
マイク・サリヴァン マイケルの父。父親同然のジョン・ルーニーの下で殺し屋として働く。
ジョン・ルーニー 田舎町を仕切るマフィアのボス。マイク一家を助け、家族同然に接する。
コナー・ルーニー ジョンの息子。何かと父にかわいがられるマイクに嫉妬し、サリヴァン家の妻            アーニーと、マイケルの弟ピーターを殺害する。

 この映画には三つの『父親と息子』の姿が描かれている。

マイクとマイケル・血はつながっているが、マイケルは父に弟のように愛されていないと感じている。復讐のための旅をつうじて、父との絆が強まり、「俺に似ているからうまく接することができない」という父の本音を知ることになる。

ジョンとルーニー・血はつながっているが、ルーニーは父に認められていないと感じている。父ジョンは何かとマイクを取り立て、簡単な仕事にもマイクを連れていくように命ずる。また、マフィアの仲間の前で大声で父に怒鳴られ、プライドを傷つけられた。その腹いせに、マイケルとマイケルの家族迫害を計るが、失敗する。父親に、幼い子供のように「お父さんごめんなさい」と泣いて謝る。父は杖でめったうちにしようとするが、最後は実の息子を抱きしめる。ジョンは復讐を誓うマイクから必死にルーニーをかくまう。

ジョンとマイク・血はつながってないが、ジョンのマイクに対する信頼とマイクのジョンに対する厚い忠誠心が二人の関係をゆるぎないものにしている。妻と子供を殺害されたマイクは、怒りに燃えながらも、ジョンの元を訪れて話をしに行くし、ジョンもまた、マイク殺害については深く悩む。二人はお互いに殺さなければならないと知りながらも、自分の中の絆と葛藤する。血のつながりのないマイクに対して、ジョンは「息子の部屋をお前に渡すことはできない!」と実の血のつながりの重要性を訴える。しかし、ジョンはマイクに殺されるが、その際、「お前でよかったよ」と最後の言葉を残す。マイクは泣いている。二人が冒頭の葬式パーティーの席で、言葉すくなにピアノを連弾する姿を、実の息子ルーニーが遠目からながめているシーンが印象的。
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by mewspap | 2005-09-24 22:02 | 2005年度ゼミ

映画レビュー『亡国のイージス』(M2)

『亡国のイージス』 2005年秋・邦画

監督  阪本順冶   主演 真田広之


戦後60年。人々は平和の意味を問いただす事を忘れ、恥を恥と思うこともなくなってしまった。そんな緩んだ空気を抱く日本に突きつけられた危機にそれぞれの運命をもった男達がぶつかり合う。

 海上自衛隊イージス艦「いそかぜ」の訓練航海中、副長(副艦長)の宮津は身分を偽って乗り合わせた某国対日工作員のヨンファと共謀の上艦長を殺害し、「いそかぜ」を乗っ取った。彼らは乗務員を強制的に退艦させる。そして日本政府に向けていくつかの要求と共にこう宣言する。
「現在、本艦の全ミサイルの照準は東京・首都圏内に設定されている。その弾頭は通常にあらず。」 
彼らは1リットルで東京を壊滅させる威力を持つ特殊兵器を持っていた。この事態に防衛庁情報局が解決に当たる。情報局が特殊兵器発弾を阻止するために前もってイージス艦に送り込んだ、隊員がいる。彼に課せられた運命とは、、。
 そんな中、退艦させられていた先任伍長の仙石が「いそかぜ」をとりもどすべく、一人イージス艦へと戻ってくる。彼はこの船の構造を誰よりも知り尽くしていた。仙石は「いそかぜ」を守るべく、そして生きることを追い求めて戦っていく。

 
亡国とは日本のこと。イージスとはギリシャ神話に登場する最高神ゼウスが娘アテナに与えた、あらゆる邪悪を払う「無敵の盾」のこと。同時に、最新鋭の防空システムを搭載し、専守防衛の象徴ともいえる海上自衛隊の護衛艦をも指し示す。つまり日本の盾である。

この手の、タイムリミットが迫った日本の危機という設定は他でもあるかもしれない。しかし、そのクオリティは高く、ひとごとではないリアリティを感じさせる作品である。原作の小説を読んだことのある人にとってはもう少し付け足して欲しい部分などがあるようだが、始めてみる人はストーリーを読み解いていくのに没頭するだろう。終始緊張感が漂い、体力もとても消費した。


登場人物も皆骨太で根性が座った性格ばかりであり、それを力ある役者陣が演じている為大変中身が濃く、そして重い。ただテロリストを倒す目的ではなく、人の死に対して感慨深く、その重さと防衛の任務に対する誇りが表されている作品だ、ということで防衛庁や自衛隊も協力を快諾したようである。

日本や大多数の命の危機を救うことも重要なことだが、そのために失われて良い命など無く、個々の命の重みや生き抜くことへの執念がメッセージとして伝えられているように感じた。

ただ、真田広之はとてもおじさんな体型になったなぁとしみじみ感じる。彼はもっとスレンダーだったはず。(役作りのためだろうか?)
緊迫感の中でマイペースに熱く進む彼の役はとても印象に残っている。坦々としているにも関わらずとにかくかく熱い。恰幅のあるその体格がさらにそのマイペースな様子を増していた。
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by mewspap | 2005-09-23 14:12 | 2005年度ゼミ

参考文献見つけました・chiaki

 何気なく近所の図書館で卒論に役立ちそうな文献を探していたら、意外に収穫があって、みなさんにも役立つんではないかと思うので書いておきますね。

『シネマのなかの臨床心理学』 著・山中康裕、橋本やよい、高月玲子 1999年11月初版 発行所・株式会社有斐閣
『現代・アメリカ・映画』 著・田中英司 2004年4月初版 発行所・河出書房新社

たくさんの作品が扱われていました。ためになると思うので、読んでみます。
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by mewspap | 2005-09-15 21:20 | 2005年度ゼミ

研究ノート8・chiaki

『チャーリーとチョコレート工場』 監督 ティム・バートン 主演 ジョニー・デップ

 とりあえず、私はジョニー・デップをかっこいいとは思わない。気持ち悪い。

 まだ見ていない人にはネタばれになってしまうかもしれませんが…(これから見る予定の人は読まないでください!!)素直で家族思いな子供が一番いい思いをし、悪い子はひどいメにあうんだよ。そして生きるうえで一番大事なものはお金でも名声でもなく、あたたかい家族なんだよ。ということを、ブラックユーモアたっぷりに子供にもわかりやすいように作られた道徳的作品だった。「研究ノートに書こう!!」と思いながら見なければ、ティム・バートンが作り出す不気味なおとぎのチョコレート工場の中をイキイキと怪演するコスプレ俳優ジョニデと、びっくりするくらい良い子なチャーリーが作り出すおとぎ話を大人でも十分楽しめると思う。

 チョコレート工場に招待された五人の子供のうち、チャーリー以外の子供達は、現在の子供を象徴するような小憎たらしいガキである。私は彼らを見て、キリスト教の七つの大罪を思い出した。「高慢」「大食い」「嫉妬」「怠惰」「怒り」「貪欲」「肉欲」…"Lust"(肉欲)の罪は描かれていなかったが、四人の子供達はそれぞれ大罪をあらわしているように思った。わがままにチャーリーの工場を動き回る彼らはそれぞれ一人づつ、舞台から姿を消していく。ブルーベリーになる子、ゴミ箱に父親ごとつっこむ子、ぺらぺらに薄く伸びてしまう子。最後まで残ったチャーリーに、工場主ウォンカ(ジョニデ)が「工場を全部譲る」と言うが、チャーリーは家族と一緒にいられないならいらない!!とつっぱねる。そこで、チャーリーに家族愛を見せつけられたウォンカもまた、絶縁状態にあった歯医者の父親と和解するのだ。非常に、わかりやすい!! 舞台から消え去った子供達は最後、この子供にしてこの親ありのバカ親と共に工場を後にするのだが、工場でありえないめにあっても、「死んでいない」というところが子供むけファンタジーだった。

 昔、推理小説か恐怖小説で「集団で旅にでて、一人づつ減っていく」というものがあった。一人づつへっていく、というものは、次は誰の番なんだろう…と、見る側に次の犠牲者を予測させるところに怖さがある。今回もそういうものだった。次は誰がどんな風に消されるのか?見る側は最初からチャーリーが生き残ることはわかっているので、そんなに怖くはないけれど。

 監督が作り出したチョコレート工場の映像は本当に不気味。入り口のメルヘンな人形たちは「ウィリー・ウォンカを讃える歌」を歌いながら、まるで遊園地のような明るさと楽しさを期待させるのに、派手な火薬のせいで人形は燃え、溶け出し、目玉がえぐれるのだ。…怖い。工場で働くウンパ・ルンパという、背が小さく、全員が同じ濃い顔のどこかの島の原住民たちは、ウォンカの命令どおり忠実に働くが、子供達が消えるたびにあらわれ、子供達のダメなところが歌詞になっている歌を歌い踊る。一見楽しそうだが、濃い顔の小さい人間が集団で踊る中、子供が消されていくのもまた、怖い。

 最後、チャーリー家族はウォンカの工場の中でお菓子の雪ふる家で、ウォンカも交えながら家族仲良く暮らしている。ラストは「良かった良かった」で終わっているが、チャーリー家族もまた、ウンパルンパや機械と同じ、ロボットのようだとも言える。嘘みたいに仲のいい家族が、チョコレート工場の中で嘘の雪が降る嘘の生活を続けている。それは、家族のいないウォンカが、家族愛ごっこをするためのロボットと一緒なのではないだろうか。歯磨き粉工場をクビになったお父さんが、歯磨き粉工場の機械を直す仕事に就いたっていうのも何だかおかしいし。

 ファンタジー映画をいじわるな目で見てしまう自分がイヤです。ウォンカのお父さんが、スターウォーズEp1、Ep2の悪役・シディアス卿だとわかった自分に感激しました。自己満足ですみません。

 先の選挙では自民党が大勝しましたが、先生はどう思われますか?
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by mewspap | 2005-09-15 01:24 | 2005年度ゼミ

シネマのつぶやき:『奥さまは魔女』――スーパーウーマンよ、家庭に帰れ?(Mew's Pap)

d0016644_1221313.jpg『奥さまは魔女』BEWITCHED
2005年アメリカ
監督:ノーラ・エフロン
出演:二コール・キッドマン、ウィル・フェレル、シャーリー・マクレーン、マイケル・ケイン、ジェイソン・シュワルツマン
あれれ。

台風一過にとことこ近所の映画館まで出かけていったのに、はずしてしまった。

しっぱひ。

『奥さまは魔女』のリメイクTVドラマ製作でサマンサ役に採用されたイザベル(ニコール・キッドマン)は、実のところほんとうに魔女でした、というお話。

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by mewspap | 2005-09-08 12:03 | シネマのつぶやき

"aging"のモチーフ(Mew's Pap)

『アバウト・シュミット』は一年ほど前に観たのだけど、これもまた人生の「アフター・ファイヴ」の生き方という"aging motif"の映画である。

若いころから教え込まれるのは、特にアメリカ人の場合は顕著だろうけど、「獲得していく」ことだ。ゼロから始め、みずからの努力と才覚で"a self-made man"となって人生で成功すること。

しかし、この獲得のエートスからいつかは外れ、物も関係性も失っていく時期が訪れる。人生の必定なんだから、それを思い出そうねという映画である。

引退後の安楽生活「GDR」(Golden Days of Retirement@スティーヴン・キング)が「訪れない」映画を、ジャック・ニコルソンは続けて二本撮っている。

2001年の『プレッジ』でも、ジャック・ニコルソンは引退した刑事役で、いわば待ちこがれた「GDRの悦楽」を放棄して未解決の事件解明に残りの人生を賭け、そしてしだいに現実と妄想との識別がしがたくなってゆく物語の主役であった。

『アバウト・シュミット』もそれに劣らず陰鬱な作品である。「この人狂ってる・・・」観の強い役柄をこなしてきたジャック・ニコルソンが、おんぼろのトシヨリを演じるんだから。陰鬱さは、このキャスティングに帰するところが大きいかも。

例えばラテン系ではなく、いかにもドイツ系というシュミットという名も、生真面目な男が残り少ない人生をsoul-searchingな後悔の念で生きざるを得ないというイメージ形成に寄与している。

シュミットには「何かを育てる」ということが必要である。
いつまでも主観的には幼い娘や、フォスター・ペアレントとなるンドゥグに対して。

ジャック・ニコルソンに優る「狂いキャラ」のデニス・ホッパーは、2000年の『チャイルド・コレクター:溺死体』(@「シネつぶ」その14)で、家庭を顧みることのなかった刑事が、事件を通じて長く音信も途絶えていた成長した娘と和解する。
表面的には陰惨な事件を題材にしているとはいえ、やはりこれはファンタジーである。

理解されることもなく、係累もなく、親しい人にも逃げられ孤独な死を死ぬ『プレッジ』の主人公や、結局は失ったものを回復できない『アバウト・シュミット』の主人公の方が、リアリズムに徹した描き方なのでしょう。
たとえ偽善でも、お手軽価格だからというのが理由であっても、フォスター・ペアレントになって文通しているアフリカのンドゥグが送ってよこした手をつないだつたない絵が、逆にばりばり頑張って生きてきたアメリカ人に、人生の「アフター・ファイヴ」を生きる理由を与えてくれるというのが救いである。

ということで、デニス・ホッパーはファンタスティックな「狂いキャラ」で、ジャック・ニコルソンはリアリスティックな「狂いキャラ」であることがわかった。
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by mewspap | 2005-09-07 16:46 | シネつぶアーカイヴ

研究ノート7・chiaki

『About Szhmidt (アバウトシュミット)』 演 ジャック・ニコルソン

ウォーレン(ジャック・ニコルソン) 定年退職した元保険会社部長。
ヘレン ウォーレンの妻。ウォーレンの定年退職直後に死亡。
ジーニー ウォーレンの娘で、遠く離れて暮らしている。結婚を控えている。
ランドール ジーニーの婚約者。
ンドゥグ アフリカの孤児。ウォーレンがチャイルドリーチを通じて養父になった。

 仕事人間だった男が、定年退職をむかえた後、妻に先だたれ、残された時間をどのように使えばいいのか模索する話。
 ウォーレンは定年退職するも、仕事のない時間をどのようにすごせばいいのかわからずもてあましている。それとは対照的に、妻へレンは大きなキャンピングカーを買い、それに乗って旅をする新しい人生に期待を抱いていたが、彼女は突然死んでしまう。結婚を控えた娘は父を置いて帰ってしまい、ウォーレンは一人ぼっちになる。この映画はアフリカ孤児基金を通じて、養子となった会ったこともないンドゥグに、ウォーレンが日々のことを手紙に書き、それが読まれる形で話がすすめられていく。ウォーレンはあったことのないンドゥグの手紙には、自分の気持ち、怒りを赤裸々に綴り、また都合の悪いことはいいようにねじまげて書く。ウォーレンにとって、ンドゥグへの手紙は愚痴の掃き溜めなのだ。しかし、最後にンドゥグからの絵を見たウォーレンは、形ないものだった養子がリアルに思えて、人間と人間が手をつないだその絵に涙する。
 娘は定年退職した父のことをうっとぉしく思っていて、ケチでへんくつな父親の面倒を見たがらない。
 ウォーレンはヘレンとの引退後の新しい人生の象徴だったキャンピングカーで、自分の生まれた生家から大学までの人生をたどりなおす。それで、ウォーレンが目が覚めたり人間的に生まれ変わったりはせず、ただ、妻ヘレンへの思慕をはっきりとあらわすようになる。
 
定年退職して、自分の人生の意義が見出せない不安と寂しさに、心打たれた。超高齢化社会をむかえている日本、だんかいの世代が一気に退職する近々、ウォーレンのような不安を抱く日本人のお父さんはたくさんいると思う。
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by mewspap | 2005-09-07 00:44 | 2005年度ゼミ