カテゴリ:2007年度卒論( 11 )

かけうどん「『猿の惑星』からみるアメリカ合衆国と人種問題」

目次
序論
第1章 『猿の惑星』シリーズ
 第一節 各作品の概要
 第二節 背景となるテーマ
第2章 種族的問題
 第一節 支配と対立
 第二節 猿からみる種族的対立
第3章 『猿の惑星』に込められた風刺
 第一節 アメリカ合衆国への風刺
 第二節 人間への風刺 
 第三節 テイラーからみるアメリカン・ヒーロー像への風刺
結論

参考文献

序論
 『猿の惑星』(Planet of the Apes,1968)は、フランス人作家ピエール・ブール(Pierre Boulle)が1963年に発表したスウィフト風社会風刺を絡めた思索小説である。『猿の惑星』は非人間が人間に、有色人種が白人に打ち勝つ、民族間の黙示録的イメージを描いた初の作品であった。この映画は人種問題と真正面から取り組んだ現代の寓話である。映画シリーズは、『猿の惑星』に続いて、『続・猿の惑星』(Beneath the Planet of the Apes,1970)、『新・猿の惑星』(Escape from the Planet of the Apes,1971)、『猿の惑星・征服』(Conquest of the Planet of the Apes,1972)、『最後の猿の惑星』(Battle for the Planet of the Apes,1973)、リメイク版の『猿の惑星』(Planet of the Apes,2001)の全六作あり、第一作のみブールの同小説を原作としている。
 『猿の惑星』シリーズの主人公は、どれも人種差別反対運動の先頭に立つ者で、自らの危険を顧みずに差別と戦う英雄像が含まれる。シリーズには人間の差異、恐怖、罪、生存、暴力、和解についての含蓄がある。
 本論文では、第一作から第五作までを取り上げる。
 第1章では、各作品の概要と、背景となる歴史的事実について触れる。
 第2章では、人間対猿の権力闘争から生まれる種族的問題を取り上げる。また、猿同士の間にも生じる種族対立についても見ていく。
 第3章では、シリーズに含まれる風刺から、アメリカ合衆国の社会と国内政治、人間についての風刺を取り上げる。また、第一作の主人公からアメリカン・ヒーロー像についてどのように描かれているのかを考察する。

結論
 本論文では、『猿の惑星』シリーズ五作から、それぞれの作品に映し出された世界の種族的問題と、アメリカ社会、人間、アメリカン・ヒーローへの風刺について述べてきた。
 1960年代から1970年代という人種問題の過熱化する時代に製作されたこれらの作品は、人間対人間の問題を、人間対猿に置き換えて表現し、政治的表現や主張が読み取れる要素や含蓄を交えたエンターテイメントである。
 シリーズは、人種革命、生態学的荒廃、核兵器による破滅などは、アメリカ国家が現在の体制を取り続けていると実際に起きてしまうだろうということを訴えた予言の書である。異なった種族が出会い、共に恐怖、不信、憎しみ、迫害、暴力などに苦しめられながらも、手を取り合って困難に立ち向かう状況を実現することを訴えているのである。


(1)Planet of the Apes (1968, Twentieth Century Fox Film Corporation)DVD: Twentieth Century Fox Home Entertainment Japan, 2007, PA,chapter 26. 以下、本作品からの台詞の引用はこのDVDからとする。他作品と区別するために、本文中にチャプター番号を(PA)で表記する。
(2)Conquest of the Planet of the Apes(1972, Twenties Century Fox Film Corporation)DVD: Twentieth Century Fox Home Entertainment Japan, 2007, CPA.chapter 4.以下、本作品からの台詞の引用はこのDVDからとする。他作品と区別するために、本文中にチャプター番号を(CPA)で表記する。
(3)「ウィキペディア フリー百科事典」
《http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89》
(4)Beneath the Planet of the Apes(1970, Twenties Century Fox Film Corporation)DVD: Twentieth Century Fox Home Entertainment Japan, 2007, BPA.chapter 13.以下、本作品からの台詞の引用はこのDVDからとする。他作品と区別するために、本文中にチャプター番号を(BPA)で表記する。
(5)「ウィキペディア フリー百科事典」
《http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%83%E3%83%84%E6%9A%B4%E5%8B%95》
(6)この1950、60年代の時代背景に関しては「ウィキペディア フリー百科事典」を参照とした。《http://ja.wikipedia.org/wiki/1950%E5%B9%B4%E4%BB%A3》、《http://ja.wikipedia.org/wiki/1960%E5%B9%B4%E4%BB%A3》
(7)ユダヤ人についての記述に関しては、チャールズ・E.シルバーマン『アメリカのユダヤ人』(明石書店,1988),pp.164―168, pp.170―174,pp.386―387 を参照とした。
(8) 小倉多加志訳『猿の惑星』(早川書房,1972),pp.95-96.
(9) (PA.chapter 4.) 映像特典・字幕解説より引用した。
(10) Escape from the Planet of the Apes (1971, Twentieth Century Fox Film Corporation)DVD: Twentieth Century Fox Home Entertainment Japan, 2007, PA,chapter 8. 以下、本作品からの台詞の引用はこのDVDからとする。他作品と区別するために、本文中にチャプター番号を(EPA)で表記する。
(11),(12) (PA.chapter 17.) 映像特典・字幕解説より引用した。
(13) (PA.chapter 4.) 映像特典・字幕解説より引用した。
(14) 亀井俊介『アメリカン・ヒーローの系譜』(研究社出版,1993),pp13.
(15) (PA.chapter 16.) 映像特典・字幕解説より引用した。
(16),(17) (PA.chapter 15.) 映像特典・字幕解説より引用した。

参考文献
小倉多加志訳『猿の惑星』(早川書房,1972)
亀井俊介『アメリカン・ヒーローの系譜』(研究社出版,1993)
チャールズ・E.シルバーマン『アメリカのユダヤ人』(明石書店,1988)
土井敏邦『アメリカのユダヤ人』(岩波書店,1991)
《http://ja.wikipedia.org/wiki/1950%E5%B9%B4%E4%BB%A3》
《http://ja.wikipedia.org/wiki/1960%E5%B9%B4%E4%BB%A3》
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by mewspap | 2008-02-23 15:04 | 2007年度卒論

HARU「Erin Brockovichにみるシングルマザーの成功」

目次
序論
第1章 エリンと子ども達の関係性
 第1節 子どもにとって必要な時間
 第2節 エリンにとって必要な時間
 第3節 専業主婦と仕事
第2章 夫の不在と父親の不在
 第1節 エリンとジョージの関係性
 第2節 ジョージと子ども達の関係性
第3章 エリンの強み
 第1節 善悪の区別
 第2節 エリンと住人達との信頼関係
 第3節 輝き
結論

参考文献

序論
 シングルマザーとは子どもを抱える独身女性の総称である。いわゆる「母子世帯」といわれる「母親と子どもによって構成されている世帯の世帯主」である。(1) 本論では、シングルマザーが子育てと仕事の両立を図り、そして社会的に成功を収めた実話を基にした現代アメリカ映画『エリン・ブロコビッチ』(Erin Brockovich, 2000)を分析する。映画冒頭部に“This film is based on a true story.”(2) と示されている。アメリカにおける一人のシングルマザーを、ドキュメンタリー映画(3)ではなく、映画作品として描いている。シングルマザーが子育てと仕事をしながら、どのように成功を収めるかを考察する。そして、この作品に登場するシングルマザーのエリン・ブロコビッチが、社会的に成功を収めた時に得たものについて論証する。
 第1章では、エリンが抱える3人の子ども達の中で長男に注目して、子育てと仕事の両立を図る母親を最終的には受け止める、長男の心境の変化を考察する。さらに、その2つの両立を図るエリンの子ども達に対する心境の変化についても考察する。
 第2章では、子ども達の父親代わりとなるジョージ(George)の存在に着目し、エリンと子ども達のそれぞれとの関係性にふれ、彼がエリンの家族と接していくことでどのような影響をもたらしたかを考察する。
 第3章では、エリンの潜在する強みがどのように活かされ、彼女がどのように仕事で社会的に成功を収めたかを考察する。

結論
 本論文では、シングルマザーが子育てと仕事の両立を図りながら成功を収める過程において、双方における問題解決を行い、そして自らの社会的成功を収めた結果何を得たかを、実在するエリン・ブロコビッチを基に製作された『エリン・ブロコビッチ』から論じてきた。仕事よって母親と過ごす時間を失った子ども達が、母親の仕事を理解することで、母親の子育てと仕事の両立に対する理解を母親は得る。そして、家庭において、子ども達が感じる父親と母親不在の寂しさをジョージが埋めることで、エリンが仕事に没頭出来る環境が出来たのだ。彼女は病気で苦しむ人たちの救済をする過去に抱いた夢を実現させ、自分の好きなことに時間を費やす自由を手に入れ、これらと共に子育てと仕事の両立を成し遂げ、そして、社会的に成功を収めたのだ。


(1)中田照子共著『日米のシングルマザーたち』(ミネルヴァ書房 1997)p.2
(2)Erin Brockovich(2000)DVD: Erin Brockovich(2000)エリン・ブロコビッチ コレクターズエディション(2000.11.22)以下本作品からの台詞の引用はこのDVDからとし、本文中にチャプター番号を( )で表記する。
(3)《http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%8389%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%BC》
(4)《http://www.brockovich.com/bio.htm》

参考文献
出光宏著『現代アメリカの家族問題 総合研究開発機構編』(出光書店 1984)
海老坂武著『新・シングルライフ』(集英社 2000)
カール・N・デグラー他7名著『アメリカのおんなたち』(教育社 1986)
ゴールドスタイン&ソルニット著『離婚と子ども』(昌文社 1986)
棚瀬一代著『離婚と子ども―心理臨床家の視点から―』(創元社 2007)
増田光吉著『アメリカの家族・日本の家族』(NHKブックス101 1969)
《http://archive.salon.com/ent/feature/2000/04/14/sharp/index.html?pn=5》
《http://en.wikipedia.org/wiki/Erin_Brockovich》
《http://www.chasingthefrog.com/reelfaces/brockovich.php》
《http://www.cinemasense.com/Reviews/erin_brockovich.htm》
《http://www.masryvititoe.com/erin_brockovich.shtml》
《http://www.pluggedinonline.com/movies/movies/a0000355.cfm》
《http://www.sonypictures.jp/archive/movie/erinbrockovich/》
《http://www.universalpictures.com/erinbrockovich/》
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by mewspap | 2008-02-23 15:03 | 2007年度卒論

makoto「Remember the Titans に見る人種問題」

目次
序論
第一章 「タイタンズ」の強み
 第一節 ブーンの人物像 
 第二節 ヨーストの人物像
 第三節 ブーンの意図
第二章変化を遂げた「タイタンズ」
 第一節 合宿の効果
 第二節 ゲリーの変化と影響
 第三節 ヨーストとブーンの関係性
第三章 「タイタンズ」の影響力
 第一節 感化されたゲリーの母親
 第二節「タイタンズ」に魅了される地域住民
結論

参考文献

序論
 アメリカ映画において、黒人差別を扱った映画は数多く存在している。(1)『タイタンズを忘れない』(Remember the Titans, 2000)もその中のひとつであり、私たち観る側の人間に人種差別の愚かさ、無意味さを伝えることを目的としている。つまり、本作はスポーツを媒体としているが、明らかに人種差別を扱った映画なのである。それを論証することを本論の目的とする。
 第一章では、高校フットボール・チーム「タイタンズ」のコーチであるブーンとヨーストの人物像と、ブーンがチーム内に存在する人種の壁を取り払うためにとった行動に焦点を当て、「タイタンズ」の強さを考察する。
 第二章では、「タイタンズ」が人種の壁を壊すことができたきっかけを述べた上で、チームの変化の過程を論じる。
 第三章では、人種問題を解決することによって強くなることができた「タイタンズ」が、その地域の住民たちに及ぼした影響を考察する。

結論
 本論文では、「タイタンズ」が強くなることができた要因、そして彼らが及ぼした影響を考察してきた。「タイタンズ」は心の中に潜む人種の壁を打ち壊すことによって、すべての試合において勝利を収め、ヴァージニア州の頂点を制することができた。彼らは対戦相手だけでなく人種差別という大きな問題とも戦い、そのどちらにおいても打ち勝つことができたのである。また、彼らは試合で勝ち続けることによって、人種差別の愚かさを地域住民たちにも知らしめた。「タイタンズ」の強さと影響力は決して他のチームが真似できるものではなかったのである。だからこそ、「タイタンズ」は歴史に名を刻むことができたと言えるだろう。   
 本論文では、人種差別の問題を中心に論じてきたが、人種差別に関連のある場面だけを抜粋したわけでは決してない。本作は、一貫して観る側の人間に人種差別の愚かさを説いている。つまり、本作はスポーツを媒介としているが、それは面白さを追求しているのではなく、わかりやすさを追求しているのである。だからこそ、本作は万人に人種差別の愚かさ、無意味さを伝えることを目的としている映画だと言えるのである。


(1) 映画『Malcolm X, 1992 』『Mississippi Burning, 1988 』『Crash, 2006 』『アラバマ物語, 1962』を示す。
(2) Remember the Titans(2000, Technical Black, Jerry Bruckheimer Films)DVD: Buena Vista Home Entertainment, 2000. 以下本作品からの台詞の引用はこのDVDからとし、本文中にチャプター番号を( )で表記する。

参考文献
本田創造著『アメリカ黒人の歴史』(岩波書店 1991)
脇浜義明編『アメリカの差別問題-PC(政治的正義)論争をふまえて-』(明石書店 1995)
T・F・ぺティグリュー著 今野敏彦 大川正彦訳『現代アメリカの偏見と差別』(明石書店 1985)
大塚秀之著『アメリカ合衆国史と人種差別』(大月書店 1982)
「ウィキペディア フリー百科事典」
《http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8C%97%E6%88%A6%E4%BA%89》
(「奴隷解放宣言」
《http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-emancipation.html》
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by mewspap | 2008-02-23 15:02 | 2007年度卒論

UG「武士道――The Last Samuraiから読み取る――」

目次
序論
第一章 オールグレン大尉
 第一節 運命との葛藤
 第二節 武士生活からの目覚め
 第三節 武士への生まれ変わり
第二章 オールグレンをとりまく人々
 第一節 勝元盛次
 第二節 敵役
第三章 武士道
 第一節 名誉
 第二節 正義
結論

参考文献

序論
 エドワード・ズウィック(Edward Zwick)が監督を務める『ラスト・サムライ』(The Last Samurai, 2003)は、それまでのハリウッド映画に一線を画する映画である。『インデペンデンス・デイ』(Independence Day, 1996)、『アルマゲドン』(Armageddon, 1998)、『パール・ハーバー』(Pearl Harbor, 2001)など近年の多くのハリウッド映画では、アメリカ合衆国が悪に立ち向かい、最終的に敵対するものに勝利する英雄的国家として描かれている。なかでも『パール・ハーバー』は第二次世界大戦の真珠湾攻撃が中心に描かれ、アメリカを奇襲攻撃した日本が敵役として描かれている。
 しかし、本作品では日本特有の精神である武士道に対し、アメリカが武士道を退け、日本に西洋化を取り組む働きが武士道と相反するのである。そして、ハリウッド映画で描かれるようなアメリカが悪に勝利する典型的物語とは対照的に、武士道の根絶を企むアメリカを敵役とし、武士道がそれに立ち向かうという、武士道の正当性と優位性が描かれている。
この映画は西洋の軍人であったオールグレン大尉による日記体の一人称映画であり、彼が登場しないシーンはほとんどない。そして、彼を語り手とする回想の物語が展開し、彼の経験を観客に共有させながら物語は進められていく。
 本論では、オールグレンを中心として、彼が西洋の軍人から侍へと生まれ変わる過程と、彼をとりまく環境や様々な人物との関係性を考察する。さらに、侍に生まれ変わる過程の中で主人公にどのように彼らが影響を与えていくかを論じていく。そして、この映画の重要なテーマである武士道がこの作品の中で、オールグレンの中でいかに目覚め、彼がヒーローとなっていくかを考察する。
 第一章では、オールグレンが侍へと生まれ変わる過程を論じていく。その中で、オールグレンの日記体の語りやセリフの変化を考察し、彼の中で目覚めていく武士道を論じる。
 第二章ではタイトルとなっている「ラスト・サムライ」の由来である勝元や、日本の西洋化を目指し、武士道を排除しようとするオールグレンの敵役のアメリカ軍人のバグリーとオールグレンとの関係がオールグレンの侍へと生まれ変わる際にどのような影響を与えていったかを考察していく。
 第三章ではこの映画の重要なテーマである武士道が本作品で正当性と優位性を保持しているものとして、どのように描かれているかをオールグレンや勝元といった侍に着目しながら考察していく。

結論
 本論では『ラスト・サムライ』を取り上げて、オールグレンが武士道の精神を得ていく過程や、その過程がどのように彼に影響を与えている人々について考察し、その中で武士道がどのように描かれ、オールグレンがどのように目覚め、最後には武士道が正義として描かれている点を中心に論じてきた。
 オールグレンはアメリカ軍人としての運命に囚われていたが、勝元の捕虜となることで、そこから解放される。彼は戦後、敗戦した人として、いわばゼロ以下から出発する。そして、侍である勝元に出会う。彼は囚われの身でありながら、武士との共存生活を経て、そして勝元と会話をすることで武士道の精神を引き込むことが出来たのである。彼は勝元が示す武士道の「義」にオールグレンは惹かれる。新渡戸稲造が「義は自分の身の処し方を道理に従ってためらわずに決断する力である。死すべき時には死に、討つべき時には討つことである」(9)と述べていたように、オールグレンはバグリーを自らの手で討つことで、義を貫こうと決意するのである。彼はそれが自らの正義であると考えたのである。その結果、彼は武士道を躊躇なく受け入れることができ、そして、アメリカが望んでいた日本の西洋化よりも武士道の正当性や優位性が彼によって証明されたのである。


(1)The Last Samurai(2003,Warner Bros.)DVD: Warner Home Video, 2005, chapter 3, 以下、本作品からの引用はこの版とし、本文中にチャプター番号を( )で標記する
(2)新渡戸稲造著,高橋俊訳『武士道―入門―』(本の森,2004), pp.73
(3)同上,pp.73
(4)新渡戸稲造著,岬隆一郎訳『いま、拠って立つべき”日本精神”武士道』(PHP文庫,2005),pp.16
(5)新渡戸稲造著,高橋俊訳『武士道―入門―』(本の森,2004), pp.62
(6)同上,pp.61
(7)新井出/編,第5版,『広辞苑』(岩波書店,1998)pp.1463
(8)新渡戸稲造著,岬隆一郎訳『いま、拠って立つべき”日本精神”武士道』(PHP文庫、2005), pp.37
(9)新渡戸稲造著,高橋俊訳『武士道―入門―』(本の森,2004),pp37.

参考文献
新渡戸稲造著,岬隆一郎訳『いま、拠って立つべき”日本精神”武士道』(PHP文庫,2005)
新渡戸稲造著,矢内原忠雄訳『武士道』(岩波文庫,1938)
新渡戸稲造著,高橋俊訳『武士道―入門―』(本の森,2004)
歴史思想研究会/編,『新渡戸「武士道」が本当によくわかる本』
新井出/編,第5版,『広辞苑』(岩波書店,1998)
樋口尚文著,『テレビヒーローの創造』(筑摩書房,1993)
藤本幸治「ハリウッド映画に見る日本人の生死観とヒーローイズム--映画「ラスト・サムライ」の場合」,『cosmica』第35巻,(2005),pp.1-10
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by mewspap | 2008-02-23 15:01 | 2007年度卒論

TSUMA「Rockyにみる親子像」

目次
序論
第一章 擬似父子関係
 第一節 ボクサーとマネージャー
 第二節 ロッキーとマリー
第二章 ロッキーとロッキーJr.
 第一節 乳児期 幼児期
 第二節 児童期
 第三節 成人期
結論

参考文献

序論
 夢と努力をテーマに、典型的なアメリカン・ドリームを描いた作品『ロッキー』(Rocky、1976)は、国内外において、アカデミー賞を初めとする、数多くの映画賞を受賞した。そしてこの作品はアメリカン・ドリームへの憧憬を再燃させ、当時アメリカ映画の新しい潮流を成していた『俺たちに明日はない』(Bonnie and Clyde, 1967)や、『イージー・ライダー』(Easy Rider, 1969)に代表される、アンチ・ヒーロー、アンチ・ハッピーエンドのアメリカン・ニューシネマの終焉を決定付けた。
 主演のシルベスタ・スタローンは当時、全くの無名俳優で、作品の主人公であるロッキーと同じように、その日暮らしの生活をしていた。しかし1975年3月24日ボクシングの世界ヘビー級タイトルマッチ、モハメド・アリ対チャック・ウェプナーを観戦した事が彼の運命を変える。試合はモハメド・アリの勝利だったが、当時世界最強と言われていたモハメド・アリからダウンを奪い、「2度と対戦したくない」と言わしめるなど、予想外の活躍を見せたチャック・ウェプナーをモデルにし、わずか3日間で書き上げた脚本を元にした作品で、一躍スターダムを駆け上がった。(1)
 好評を博した『ロッキー』は、『ロッキー2』(Rocky 2,1978)『ロッキー3』(Rocky 3,1982)『ロッキー4』(Rocky 4,1985)『ロッキー5』(Rocky 5,1990)『ロッキー・ザ・ファイナル』(Rocky Balboa,2006)とシリーズ化をしていくわけだが、単にアメリカン・ドリームを描いているだけではない。そこには家族愛、師弟愛など様々なテーマが織り込まれている。本論では、シリーズで描かれる父子関係、そして擬似父子関係といったテーマを取り上げ、真に強い絆を築くまでの過程を考察する。
 第一章では、シリーズを通して描かれている家族愛、師弟愛といった愛情の中でも、まず『ロッキー』から『ロッキー3』さらに『ロッキー5』に至る4作品で描かれているロッキー(Rocky)と、彼のトレーナーであるミッキー(Mickey)、そして『ロッキー5』でのロッキーと、彼の弟子であるトミー(Tommy)の関係を比較することによって、ボクサーとマネージャーの関係を超えた擬似父子関係を築くために必要なものがどのように描かれているか論じる。さらにロッキーと、『ロッキー』、『ロッキー・ザ・ファイナル』で登場するマリー(Marie)との間で擬似父子関係が築き上げられていく様子を考察する。
 第二章では、『ロッキー2』から『ロッキー・ザ・ファイナル』で描かれているロッキーと、息子のロッキー・ジュニア(Rocky Jr.)との父子関係が、物語が進むにつれ、様々な困難を乗り越え、より強い信頼関係を築いていく様子を考察する。

結論
 本論文では、ロッキーシリーズで描かれる擬似父子関係、そして父子関係に注目し、真に強い絆が築かれるまでの過程を考察してきた。
ロッキーとミッキーは、同じ目標に向かって互いを思いやる事によって、そしてロッキーとマリーは、お互いに相手の事を考えた行動をとる事によって、真の親子に勝るとも劣らない擬似父子関係を築き上げた。
 ロッキーとロバートの実の親子関係では、ロバートが幼児期においては、互いに思いやり、非常に良い関係が築かれている。しかし多感な児童期に、トミーの登場によって親子関係はすれ違い始める。だが、お互いの意見をぶつけ合い、ロッキーが父親としての自覚を持つ事によって、二人の関係は修復する。そして成人期においては、ロバートは初め、父親の影に潜む自分の境遇に苛立ちを感じ、父親に八つ当たりをするなど二人の間に良好な親子関係が築かれているとは言えない。しかし父親からの言葉や、ボクシングを通してくじけそうになっても立ち向かう父親の背中を見て、ロバートは改心し、父親に尊敬の念を抱くようになる。このように二人は素直な気持ちをぶつけ合う事によって、様々な困難を乗り越え強固な信頼関係を結ぶ事が出来たのである。
 擬似父子関係と、強い信頼関係を持った父子関係を築くために共通しているのは、自分だけの事を考えるのではなく、相手の立場に立って行動しているという点である。


(1)「ロッキー-Wikipedia」《http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC_(%E6%98%A0%E7%94%BB)》を参照した。
(2)作品区分を明かにするために、以下は『ロッキー』(Rocky, 1976, United Artists配給)を(R, chapter )『ロッキー2』(Rocky 2, 1979, United Artists配給)を(R2, chapter )、『ロッキー3』(Rocky 3, 1982, United Artists配給)を(R3, chapter )、『ロッキー4』(Rocky 4, 1985, Metro-Goldwyn-Mayer配給)を(R4, chapter )、『ロッキー5』(Rocky 5, 1990, Metro-Goldwyn-Mayer配給)を(R5, chapter )『ロッキー・ザ・ファイナル』(Rocky Balboa, 2006, 20世紀フォックス配給)を(RF, chapter )と表記する。
(3)春日キスヨ著『父子関係を生きる-男と親の間』(勁草書房,1989), p.22 
(4)久世妙子 水嶋秀夫 松田惺 水山建吾著『子どもの発達心理学』(有斐閣双書, 1987), p.105
(5)同上, p.44 「子どもが親との間で形成する愛着の関係は、子どもが外の世界へと乗り出していくうえでの心理的な基地となるとともに、他の人々との間に結んで行く対人関係の基礎ともなる」を参考にした。
(6)同上, p.180 「子どもは皆、親あるいは保育者・教育者に受け容れてもらいたい基本的な欲求を持っているが、それが阻害され時、精神エネルギーの豊かな子は、乱暴・反発などの形でリアクションを示すことが多い」
(7)この作品では、大人になったロッキー・ジュニアは本名のロバートと呼ばれているので、本節では以後ロッキー・ジュニアの事をロバートと記述する。
(8) 春日キスヨ著『父子関係を生きる-男と親の間』(勁草書房,1989), p.172

参考文献
春日キスヨ著『父子関係を生きる 男と親の間』(勁草書房,1989)
久世妙子 水嶋秀夫 松田惺 水山建吾著『子どもの発達心理学』(有斐閣双書,1987)
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by mewspap | 2008-02-23 14:58 | 2007年度卒論

nyanko「Smoke――嘘と盗みが癒す喪失感――」

目次
序論
第一章 『スモーク』の背景と起源
 第一節 共作
 第二節 「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」
第二章 幸せまでの道のり
 第一節 喪失
 第二節 嘘と盗みがもたらす出会い
第三章 擬似家族
 第一節 ポールとラシード
 第二節 ラシードとサイラス
 第三節 オーギーとフェリシティ
 第四節 ポールとオーギー
 第五節 ピクニック・テーブル
結論

参考文献

序論
 映画『スモーク』(Smoke,1995)はポール・オースター(Paul Auster)が1990年に『ニューヨーク・タイムズ』に掲載した短編小説「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」(Auggie Wren’s Christmas Story)をもとに作られた映画である。この映画の監督を務めたウェイン・ワン(Wayne Wang)はこの短編に関心を持ち、積極的なアプローチの後にポール・オースターが脚本を書くことを承認し、映画化に至った。小説だけではなく、映画においてもイマジネーションが重要だと考える小説家ポール・オースターと「最高の小説家に備わっている配慮と忍耐力をもって、物語を語っていく」(1)監督ウェイン・ワンの共同作業で生まれたこの映画『スモーク』は「フツーの人たちのフツーの生活が鋭い洞察力によって描かれている。そして人々の間に流れる愛情をそらぞらしく強調したりもしない」(2)。
 この映画では初めから、主要登場人物である煙草屋オーギー(Auggie)、小説家ポール(Paul)、ラシード(Rashid)、ルビー(Ruby)、サイラス(Cyrus)がそれぞれ何らかの喪失を抱えている。その喪失からくる悲しみや心の傷が、物語が進むにつれて徐々に回復していく。しかも、ここでその喪失感を癒すきっかけとなるものは「嘘」と「盗み」である。最終的に、この嘘と盗みがこれら主要登場人物の喪失感を癒してこの物語は完結する。
 本論文では、『スモーク』がポール・オースターとウェイン・ワンの共同作業の結果どのような映画になったか、またこの映画において、嘘や盗みというマイナスの要素がどのようにして主要登場人物の喪失感を癒しているかを論じる。
 第一章では、ポール・オースターとウェイン・ワンのインタビューからこの映画について考察し、「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」において「盗むこと」「与えること」「嘘をつくこと」「真実を語ること」がどのように描かれているかを分析する。
 第二章では、具体的に映画に焦点を当てる。主要登場人物が映画の初めから持っている喪失感が、嘘と盗みから生まれる出会いを通してどのように癒されるのかを考察する。
第三章では、嘘と盗みが人々の喪失感を癒し、幸せに導く過程で生まれる擬似家族関係について考察する。

結論
 本論文では、ポール・オースターとウェイン・ワンが共同で『スモーク』を制作することで、『スモーク』はどのような映画になったか、そして、この映画における嘘や盗みがどのようにして人々の喪失感を癒していくかに焦点を当ててきた。
 「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」では、オーギーの語るクリスマス・ストーリーにおけるロジャーの盗み、オーギーとエセル婆さんの嘘を伴った演技がきっかけで、オーギーとエセル婆さんは擬似家族関係で結ばれる。また、オーギーが語る嘘を匂わせるクリスマス・ストーリーがきっかけで、ポールとオーギーは擬似家族関係をより強固なものにする。しかし、これらはあくまでもきっかけであり、擬似家族関係を結ぶ最も重要な要素は「信じること」である。たとえ嘘であったとしても、信じることで嘘は真実となり、人々の関係を深めている。そして、擬似家族関係を築いたことにより、彼らはそれぞれの喪失感が癒されたのである。『スモーク』においても、このオーギーとエセル婆さんの擬似家族関係を核として物語が構成されている。ポールとラシード、ラシードとサイラス、オーギーとフェリシティ、ポールとオーギー、彼らがそれぞれ嘘と盗みを介して擬似家族関係を築くことによって、当初から抱えていた喪失感が癒されるのである。そして、擬似家族関係を築いて、ひとまず喪失感が癒されたことを象徴するものとしてピクニック・テーブルのシーンが登場する。
 このように『スモーク』では一般的には悪事とされる嘘と盗みが、人々の出会いを生み、人々が擬似家族関係を結ぶきっかけとなっている。そしてその結果、彼らは喪失感を癒していく。このように擬似家族関係を結び、喪失感を癒すための絶対条件が、たとえどんなに疑わしいことであってもそれを「信じること」なのである。


(1) Paul Auster, “The Making of Smoke: Interview”in Three Films (Picador, 2003),p.7. 尚、日本語訳の部分は、ポール・オースター(柴田元幸他訳)『スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス』(新潮文庫,1995)を参照した。
(2)木崎巴「映画『スモーク』――煙草の重さを量れるか(飛耳張目(ひじちょうもく))」『文學界』第49巻第11号(1995.11),p.151.
(3)飯野友幸編著『現代作家ガイド1 ポール・オースター〔増補版〕』(彩流社,2000),p.125.
(4)Auster,“The Making of Smoke”,pp.6-7.
(5)Ibid,p.16.
(6)Ibid,p.18.
(7)“F.E.R.C Research Data”《http://www.ntv.co.jp/FERC/research/20030216/f1440.html》を参照した。
(8)「私は多文化の融合の産物―話題作『スモーク』の監督ウェイン・ワンに聞く」『ニューズウィーク日本版』第10巻第45号(1995.11.29),pp.82-83.
(9)“Strong Smoke Rises From Collaboration”《http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/e/a/1995/06/16/WEEKEND12043.dtl》
(10)飯野『現代作家ガイド1』,p.125.
(11) Auster,“The Making of Smoke”,p.7.
(12) Auster,Smoke in Three Films,p.164. 以下、本作品からの引用はこの版とし、本文中にページ番号を( )で表記する。
(13) Auster,“The Making of Smoke”,p.7.
(14)勝井伸子「『スモーク』ポール・オースターのポストモダン的クリスマスストーリー」『奈良県立医科大学看護短期大学部紀要』4 (2000.3),p.112.
(15) Smoke(1995,Miramax)DVD: Pony Canyon,2003,chapter 10. 以下、本作品からの引用はこの版からとし、本文中にチャプター番号を( )で表記する。
(16)木崎「映画『スモーク』」,p.151.
(17)大江智明「盗みと嘘から生まれる擬似家族関係」2005年度卒業論文(関西大学文学部英語英文学科),p.6.
(18)同上,p.9.
(19)“Strong Smoke Rises From Collaboration”
(20)ヘラクレイトスは、万物の変化を河の流れにたとえて、「同じ河に二度入ることはできない」と述べている。「ヘラクレイトス-Wikipedia-」《http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%B9》

参考文献
Paul Auster,“The Making of Smoke: Interview”in Three Films (Picador, 2003)
青木冨貴子「映画「スモーク」の語るブルックリンのクリスマス」『週間文春』第37巻第49号(1995.12.21),pp.60-61.
飯野友幸編著『現代作家ガイド1 ポール・オースター〔増補版〕』(彩流社,2000)
勝井伸子「『スモーク』ポール・オースターのポストモダン的クリスマスストーリー」『奈良県立医科大学看護短期大学部紀要』4(2000.3),pp.109-116.
きさらぎ尚・淀川長治「スモーク」『キネマ旬報』1174(1995.10.15),pp.55-59.
木崎巴「映画『スモーク』――煙草の重さを量れるか(飛耳張目(ひじちょうもく))」『文學界』第49巻第11号(1995.11),pp.150-152.
大江智明「盗みと嘘から生まれる擬似家族関係」2005年度卒業論文(関西大学文学部英語英文学科)
ポール・オースター(柴田元幸他訳)『スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス』(新潮文庫,1995)
ポール・オースター『空腹の技法』(新潮社,2000)
安原顕「愛煙映画『スモーク』を満喫」『Voice』(1995.11),pp.56-57.
「私は多文化の融合の産物―話題作『スモーク』の監督ウェイン・ワンに聞く」『ニューズウィーク日本版』第10巻第45号(1995.11.29),pp.82-83.
淀川長治・杉浦孝昭「煙の向こうに人生が見える」<おしゃべり映画講座87「コールド・フィーバー」「スモーク」>『広告批評』188(1995.11),pp.85-89.
「ヘラクレイトス-Wikipedia-」《http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%B9》
“F.E.R.C Research Data”《http://www.ntv.co.jp/FERC/research/20030216/f1440.html》
“Strong Smoke Rises From Collaboration”《http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/e/a/1995/06/16/WEEKEND12043.dtl》
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by mewspap | 2008-02-23 14:56 | 2007年度卒論

REI「Crashに見る人種差別」

目次
序論
第一章 『クラッシュ』
 第一節 ロサンゼルス
 第二節 登場人物の多様性と二面性
第二章 差別
 第一節 コンプレックス
 第二節 無意識の差別意識
 第三節 差別的言動から見られる社会的背景 
第三章 変化
 第一節 自尊心
 第二節 親友
 第三節 再会
結論

参考文献

序論
 『クラッシュ』(Crash)は、2005年公開のアメリカ映画である。監督はポール・ハギス(Paul Haggis)で、1991年にハギス自身が愛車のポルシェをカージャックされた事件を原案にして、ボビー・モレスコ(Robert Moresco)と共に脚本を書き、映画化した。この作品は第78回アカデミー賞を受賞し、ハギス自身も監督として第9回ハリウッド・フィルム・フェスティバルにおいて、ブレイクスルー監督賞を受賞している。
 本論では、さまざまな人種の登場人物がさまざまな形で接触した時に見られる、差別的言動について考察していくと共に、接触をきっかけに変化していく登場人物の姿にも着眼し論じていく。
 この作品は人種差別が根強く残るアメリカのロサンゼルス州を舞台に、異なる人種・社会的階級の人間がそれぞれの悩みを抱えながら生活し、さまざまな形で接触していく様を描いている。「この映画のテーマは人種や階級についてではなく、見知らぬ人間への恐怖についてである。この映画は見知らぬ悪人についての映画ではない。自分が知っている人たち、我々のような人間、自分たちについて描いた映画だ。彼らは試され、何も考えていなかったことに気づく。登場人物は誰一人無傷で逃れることはできない。彼らはすさまじく欠点だらけの人間たち。まさに僕たちそのものなんだ。」と、ハギス監督は作品のテーマは人種や階級ではないとコメントしている。しかし、メインのテーマではないながらも作中には多くの人種差別や階級の違いが描かれている。登場人物は人種や階級、職業などのあらゆる点で多様に描かれている。このような登場人物の多様性について考察していく。また、この作品では普段関わることがない異なる人種の人間が、ひとつの事件を中心にさまざまな形で接触する。さまざまな人種がさまざまな形で複雑に接触し、人間関係が形成されていき、登場人物はそれぞれ変化していく。
 第一章ではまず、作品の舞台となっているロサンゼルスについて触れたうえでそこに暮らす登場人物の多様性、登場人物の二面性について考察する。ロサンゼルスにはさまざまな人種が住んでおり、チャイナタウンなどの移住民族地区も存在する。そんな街で人々はお互いに関わることなく自分たちの生活を送っている。本作品に登場する人物はそれぞれ人種も社会的階級も異なり、さまざまな面で多種多様である。警察官として働く者もいれば自動車強盗をして生計を立てている者もいる。しかし、それだけでは「善人」「悪人」といった単純な判断はできず、それぞれ良い面も醜い面も持っており、作品全体を通して登場人物の二面性が描かれている。第一章では、作品の中で描かれている登場人物の多様性、二面性について考察していく。
 第二章では、さまざまな登場人物が見せる差別的言動、そして彼らが持っている偏見意識について見ていく。登場人物の言動から、それぞれの登場人物が抱いている差別意識を読み取っていく。第一章でも述べるように、異なる人種の登場人物はそれぞれ職業も社会的階級も異なり、普段は関わることはない。そんな彼らが接触する時、差別的言動が生まれる。それらの言動から、登場人物の異なる人種に対する差別や偏見意識、また社会的な背景も見ていく。さまざまな形で見ることが出来る差別的言動から、異なる人種に対する登場人物の差別意識を読み取っていく。
 第三章では登場人物の変化について考察する。異なる人種の人間と「接触」することをきっかけに、それぞれが傷を負い、さまざまな形で登場人物に劇的な変化が見られる。その中でも、最終的に差別に打ち勝つ希望の光を見出す登場人物に着目していく。接触が登場人物に変化のきっかけを与え、登場人物が変化していく様子を、彼らの言動から読み取っていく。そして登場人物が見出した希望の光はどういったものであるのか考察していきたい。

結論
本論文では、『クラッシュ』の中に描かれているさまざまな形の差別意識の存在と、その中で異なる人種との接触が生む登場人物の変化について論じてきた。
 登場人物はそれぞれ人種も社会的階級も異なり、関わることはなかったが、意識的、無意識的に関わらず何らかの偏見や差別意識を他の人種の人間に対して抱いていた。そんな彼らが接触した時、差別意識が言動として形となる。そしてさまざまな形で傷を負った登場人物は、それらの接触をきっかけに変化する。本論では差別がなくなることのない生活の中にも生きていく光を見出した登場人物に着目し、彼らが変化していく姿を見てきた。黒人としてのコンプレックスを払拭し、自尊心を取り戻した者、本当に自分のことを心配してくれる人間の存在に気づいた者など、さまざまな形で登場人物に変化が生まれた。人種差別自体はなくなったわけではないが、接触をきっかけに、自分の中にあった差別意識に気付いたりと、普段抱えていた問題を自分なりに解決してみせた。そこには大切なパートナーの存在や仲間、家族の存在が描かれている。人種差別の苦しみに打ち勝つものが、大切なものの存在、その存在に気づくことであると言えるだろう。


(1) Fox::Log映画『クラッシュ』
 《http://www.silfon.net/MT/archives/2006/01/post_213.html》
(2) 「ウィキペディア フリー百科事典」
 《http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8》
(3)Crash (2004,LIONS GATE FILMS.) DVD:東宝株式会社,2006,chapter1. 以下本作品からのセリフの引用はこのDVDからとし、本文中にチャプター番号を( )で表記する。
(4) 『Fox::Log映画「クラッシュ」』
 《http://www.silfon.net/MT/archives/2006/01/post_213.html》
(5)「映画のことならeiga.com」
 《http://eiga.com/special/show/1044_0》
(6)「ウィキペディア フリー百科事典」
《http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 》

参考文献
「ウィキペディア フリー百科事典」
《http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
エレーン・ランドー著、松本利秋監訳、大野悟訳 『オサマ・ビンラディン』(2001 竹書房)
ベンジャミン・クォールズ著、明石紀雄、岩本裕子、落合明子訳『アメリカ黒人の歴史』(1994 明石書店)
ローリー・ミルロイ著、早良哲夫訳『サダム・フセインとアメリカの戦争』(2002 講談社)
矢部武著『人種差別の帝国』(2004 光文社)
『Fox::Log映画「クラッシュ」』
《http://www.silfon.net/MT/archives/2006/01/post_213.html》
「映画のことならeiga.com」
 《http://eiga.com/special/show/1044_0》
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by mewspap | 2008-02-23 14:55 | 2007年度卒論

ぽん「Sister Act とSister Act 2にみる人々の成長」

目次
序論
第一章 対照的なデロリスと修道院のシスター達
 第一節 楽観的で行動派のデロリス
 第二節 シスター達の思い
第二章 デロリスとシスター達の変化
 第一節 聖歌隊の指導
 第二節 お互いに支えあうデロリスとシスター達
 第三節 デロリスの救出
第三章 生徒達の変化
 第一節 デロリスと生徒達の距離
 第二節 成功への一歩  
 第三節 リタの葛藤   
結論


序論
 本論文ではウーピー・ゴールドバーグ(Whoopi Goldberg)を主役に配した連作映画『天使にラブソングを・・・』(Sister Act, 1992)と『天使にラブソングを2』(Sister Act2, 1993)を取り上げる。『天使にラブソングを・・・』は、歌って踊るエネルギッシュなデロリス(Deloris)と、修道院のシスター達の活躍が描かれたミュージカル・コメディである。映画の魅力の一つとしてシスター達の歌が挙げられるが、この映画がヒットして以来ゴスペルが大ブームとなっている(1)。
 主人公デロリスは、小さい頃から自由気ままに生きてきた女性である。物語は、彼女が偶然殺人現場を目撃したことから始まる。殺人犯に命を狙われるようになった彼女が、取っておきの隠し場所だと警察に紹介されたのが修道院であった。デロリスは悪戦苦闘しながらもシスターとしての生活に段々と慣れていくのであるが、物事全てに消極的だったシスター達もデロリスに出会ってから除々に積極的になっていく。そんな中、法王臨席のミサの直前にデロリスは誘拐されるが、シスター達のおかげでデロリスは無事に救出される。ミサでの聖歌隊の歌は大成功をおさめ、幕を閉じる。
 続編の『天使にラブソングを2』では、以前の仲間であったシスター達に頼まれ、デロリスは再びシスターに扮し、高校での社会奉仕をすることになる。授業を聴かずに騒ぐ生徒に圧倒されながらも、彼女なりに音楽の素晴らしさを伝えようとする。閉校の危機を前にして、生徒達は州の合唱コンクールに出場することを決意し、練習を重ねて見事優勝を勝ち取り、何かをやり遂げる喜びを知る。
 これら二つの作品は人とのつながりを通して、行動することの大切さや人を思いやる気持ちに気がつき、人々が成長していく過程について描かれている。本論文では、デロリスとシスター達、高校の生徒達に焦点を当て、これらの登場人物がどのように変化していくのか、またその成長がどのように描かれているのかを論じる。
 第一章ではデロリスとシスター達の会話や行動に注目し、彼女達のキャラクターや心に秘めた感情を考察する。
 第二章では、聖歌隊の指導や奉仕活動を通して、デロリスとシスター達がどのように変化していくのかを考察する。自分のことしか考えることが出来ず、修道院での生活に対して愚痴ばかりこぼしていたデロリスと、何をするにも消極的だったシスター達は互いに支え合って成長していく。その過程を分析する。
第三章では、デロリスと接することによって改心していく生徒達の姿が、どのように描かれているのかを考察する。

結論
 本論文では、『天使にラブソングを・・・』におけるデロリスとシスター達、そして『天使にラブソングを2』における高校の生徒達に焦点を当て、これらの登場人物がどのように変化していくのか、またその成長がどのように描かれているのかを論じてきた。
 『天使にラブソングを・・・』では、デロリスとシスター達はお互いに刺激し合い、支え合いながら共に成長する姿が表現されている。双方に見直すべき点があり、また見習うべき点が存在していたのである。デロリスはシスター達との友情を通じてそれまでになかった協調性が身につき、周りの人達への気遣いが出来るようになっていく。一方シスター達もデロリスの積極的な姿に刺激され、自ら行動することの大切さに気付かされる。『天使にラブソングを2』においても、デロリスやシスター達とのつながりを通して生徒達が成長していく過程を中心として、物語が構成されている。生徒達はデロリスやシスター達と接することで、周りを見て行動することができるようになり、また何かをやり遂げる喜びを知る。それと共にデロリスやシスター達が得たものも大きい。
 このように、『天使にラブソングを・・・』と『天使にラブソングを2』では、成長は一方的にするものではなく、人とのつながりを通じて初めて生まれる、お互いが共有するものとして描かれているのである。


(1)なんでもQ&A《http://www.jaog.org/nagoya/syokuq&a.htm》
(2)Sister Act (Touchstone Pictures,1992)DVD: Buena Vista Home Entertainment, 2004, chapter 1. 以下、本作品からの引用はこの版からとし、本文中にチャプター番号を( )で表記する。
(3)Sister Act2(Touchstone Pictures,1993)DVD: Buena Vista Home Entertainment, 2005, chapter 5. 以下、本作品からの引用はこの版からとし、本文中にチャプター番号を( )で表記する。
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by mewspap | 2008-02-23 14:54 | 2007年度卒論

K.M., "The Loss of Innocence in Philip Pullman's 'His Dark Materials' Trilogy"

Contents
Introduction
Chapter 1. The Initial Innocence
 1. Lyra's Ignorance of Her Destiny
 2. The Ability to Read the Alethiometer
 3. Grace of the Aurora and the Armored Bear
Chapter 2. The Process of Losing Innocence
 1. Lyra's Loss of Pantalaimon
 2. Lyra's Awakening to Her Womanhood
Chapter 3. After the Loss of Innocence
 1. Lyra's Loss of Innocence
 2. Regaining the Ability to Read the Alethiometer
 3. Gaining Wisdom
Conclusion
Notes
References

Introduction
 ‘His Dark Materials’ trilogy, namely The Golden Compass, The Subtle Knife, and The Amber Spyglass, is a grand adventure story for both adults and children by Philip Pullman. The story is set in the parallel universes in which the characters of various kinds such as witches, bears, fairies, angels, scientists and scholars live, and it involves a lot of elements from fantasy, myth of Genesis, science fiction to philosophy.
 In this paper, I will deal with the main theme of the story─the loss of innocence. The protagonist Lyra Silvertongue’s loss of innocence is described as positive in this story. She must once lose her “initial innocence,” and then she must strive for adults’ “grace” and finally gain “wisdom” by work. In conclusion, Lyra’s loss of innocence is essential for her to begin her life-long work for wisdom.
 In Chapter 1, I will demonstrate that Lyra is endowed with “the initial innocence.” I will also consider the “grace” of the Aurora and the armored bear and what they mean to Lyra.
 In Chapter 2, I will argue that Lyra’s loss of her daemon Pantalaomon foreshadows her loss of innocence. I will also deal with the process in which Lyra awakens to her womanhood.
 In Chapter 3, I will demonstrate how Lyra loses her gifted initial innocence by awakening the self-consciousness and her sexuality. After losing her innocence, Lyra must regain it through conscious efforts and finally gain “wisdom” by her life-long work.

Conclusion
 In this paper, I have argued how Lyra’s loss of innocence was described in the story. In Chapter 1, I explained that Lyra was endowed with the initial innocence, which was quite different from the earned one.
 In Chapter 2, I showed that Lyra’s loss of Pantalaimon in the travel to the land of the dead suggested her loss of innocence, and she awakened to her womanhood by learning love and her motherhood.
 In Chapter 3, I demonstrated that Lyra lost her given unconscious grace, and then she had to earn it by conscious work and gain wisdom by her life-long work for it.
 In conclusion, the loss of innocence is essential for her to begin her life-long work for wisdom.Lyra must lose her innocence once, and then she must regain it, and finally gain wisdom. Thus, Lyra’s loss of innocence was described as positive in this story.

Notes
1 Philip Pullman, The Golden Compass (Yearling, 2001), p. 31. Further references to The Golden Compass will be cited as GC, The Subtle Knife as SN, and The Amber Spyglass as AS with page numbers corresponding to the Yearling editions.
2 Wendy Parsons and Catriona Nicholson, “Talking to Philip Pullman: An Interview,” The Lion and the Unicorn, 23 (January, 1999), p. 118.
3 Ibid., p. 120.
4 Millicent Lenz, “Story as a Bridge to Transformation: The Way Beyond Death in Philip Pullman’s The Amber Spyglass,” Children’s Literature in Education, 34 (March, 2003), p. 50.
5 Parsons and Nicholson, “Talking to Philip Pullman: An Interview,” p. 120.
6 Ibid., p. 119.
7 Anne-Marie Bird, “Without Contraries Is No Progression: Dust as an All-Inclusive, Multifunctional Metaphor in Philip Pullman’s ‘His Dark Materials,’” Children’s Literature in Education, 32 (June, 2001), p. 116.

References
Anne-Marie Bird, “Without Contraries Is No Progression: Dust as an All-Inclusive, Multifunctional Metaphor in Philip Pullman’s ‘His Dark Materials,’” Children’s Literature in Education, 32 (June, 2001).
Millicent Lenz, “Story as a Bridge to Transformation: The Way Beyond Death in Philip Pullman’s The Amber Spyglass,” Children’s Literature in Education, 34 (March, 2003).
Wendy Parsons and Catriona Nicholson, “Talking to Philip Pullman: An Interview,” The Lion and the Unicorn, 23 (January, 1999).
Philip Pullman, The Golden Compass, BookⅠof ‘His Dark Materials’ (Yearling, 2001).
Philip Pullman, The Subtle Knife, Book Ⅱ of ‘His Dark Materials’ (Yearling, 2001).
Philip Pullman, The Amber Spyglass, Book Ⅲ of ‘His Dark Materials’ (Yearling, 2001).
“Southern Cross Review” 《http://www.southerncrossreview.org/9/kleist.htm》
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by mewspap | 2008-02-23 14:53 | 2007年度卒論

kenji「The Devil Wears Pradaのアンドレアとミランダ――自己投影する二人の女性――」

目次
序論
第一章 アンドレア
 第一節 アンドレアの服装の変化
 第二節 アンドレアの仕事に対する姿勢
 第三節 アンドレアと周りとのすれ違い
第二章 ミランダとエミリー
 第一節 アンドレアから見たミランダ
 第二節 エミリー
第三章 ミランダのかすかな微笑みと省みるアンドレア
 第一節 ミランダのかすかな微笑み
 第二節 省みるアンドレア
結論


序論
 本論文では、雑誌『ランウェイ』(Runway)の編集長ミランダ(Miranda)、主人公アンドレアの同僚であるエミリー(Emily)、そしてアンドレアの周りにいる友人や恋人、家族とアンドレアとの関係について見る。そこから、アンドレアがどのような心境で『ランウェイ』で働いているのか、そして彼女が自分の信念を貫くことが多くの事を犠牲にするのだと感じ、葛藤する姿を見ていく。それらを考察することで、彼女がミランダの姿を見ることによって真に自分を省みることになるまでの経緯について見ていくものとする。
 第一章では、まず初めにアンドレアの変化の始まりとなる服装の変化について見ると共に、彼女が持つ『ニューヨーカー』への思いについても見ていく。そして、アンドレアの仕事に対する姿勢を物語の流れに沿って見ていくことで、常にミランダの下での仕事に不満を持っていた彼女が、どこかでミランダを認めていたということを明らかにしていく。また、『ランウェイ』で働く中での彼女の変化を追っていくために、ミランダの存在によって変わっていくアンドレアとその友人や恋人、家族とのすれ違いを見ていく。以上を考察することで、アンドレアが自分自身を省みる事をしないことから、気づかぬうちにミランダと同じ道を辿っているということについて言及していく。
 第二章では、アンドレアが自分の事を多くは語らないミランダをどのように見ているのかを考察することで、彼女がミランダの仕事への姿勢を認める中、実際にどのような点でミランダと同じ道を辿っているのかを明らかにしていく。また、アンドレアとエミリーがお互いをどのように見ているのかについて述べていくことで、ミランダの下で働く二人の内、アンドレアだけが自分の現状を理解し、省みることに繋がっていくのかについて見ていく。
 第三章では、自分の信念を貫き、多くの事を犠牲にしてきたことを物語るミランダの微笑みと、それと共に語られた言葉について考察することで、彼女の心境を読み解く。そして、アンドレアがミランダの言動からこれまで信念を貫いてきたミランダの姿と今の自分の姿を重ね合わせることで、真に自分を省みることになるまでを述べていく。

結論
 本論文では、まずアンドレアとその友人や恋人、家族とのすれ違いを見ることで、彼女が『ランウェイ』で働くことを優先し、自分の現状を省みることをせずにいたことを見てきた。そして、その彼女の言動がミランダと同じ道を辿っているのだということを述べた。
 次に、アンドレアが仕事をこなす中でミランダの仕事への姿勢を認める一方、彼女が多くの事を犠牲にしてまでも自分の信念を貫くミランダの生き方を非難するのを見た。しかし、そのミランダの生き方は、『ランウェイ』で働くアンドレアの姿と同じであるということをここでも述べてきた。また、同僚のエミリーを取り挙げることで、アンドレアがいかに仕事やミランダに対して疑問を持って働いていたのかを明らかにした。そこから、アンドレアだけが自分の信念を貫くことを止め、自分を省みることへと繋がっていくのであると述べた。第三章では、ミランダが見せたかすかな微笑みと言葉が、彼女のこれまでの多くの事を犠牲にしてまでも信念を貫く生き方を物語っているということを読み解いてきた。また、そのミランダの言動は彼女自身の姿を、自分の信念を貫こうとするアンドレアの姿に重ね合わせるものとなっているのだということに言及した。
 アンドレアは、そのミランダの言動とそれと共に述べられた「私の若い頃に似ている」という言葉を何度も頭の中で繰り返すことにより、今の自分の姿とミランダの姿を何度も重ね合わせることになったのである。その結果ようやく、彼女は真に自分を省みることとなり、ミランダの下を去るのである。それは、ミランダが自分の信念を貫くことで得たものが、自分にとって本当に求めていたものではないのだとわかったからである。


(1) Lauren Weisberger, The Devil Wears Prada (Anchor Books, 2003), p.32. 以下、本作品からの引用はこの版からとし、本文中にページ番号を ( ) で表記する。尚、日本語訳の部分は、ローレン・ワイズバーガー『プラダを着た悪魔』(早川書房,2006)を参照した。
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by mewspap | 2008-02-23 14:52 | 2007年度卒論