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エミ

ライトの人種的劣等感との争いと克服――『アメリカの息子』から――

目次
序論
第一章 ビッガー・トマス
 第一節 憎悪
 第二節 恐怖
 第三節 殺害
第二章 心理変化
 第一節 逃走
 第二節 裁判
 第三節 運命
第三章 「孤独と悲劇の作家」リチャード・ライト
 第一節 1930年代
 第二節 環境と主要作品
 第三節 描写法
結論

参考文献

序論
 黒人小説家リチャード・ライト(Richard Wright, 1908‐1960)が書いた『アメリカの息子(Native Son)は、1940年に発表された小説である。
 小説は三部構成となっており、それぞれのセクションは“Fear”,“Flight”,“Fate”とFで始まる表題が付けられている。『アメリカの息子』を一言でいうならば、主人公ビッガー・トマスという黒人青年の行動をドキュメンタリー風に追い、アメリカにおいて生活する黒人の運命を暴いたのであるが、それとともに、社会の外にあるもの、すなわちアウトサイダーの心理を追ったという点で、社会小説とも心理小説ともいえる。恐怖・憎悪・恥辱という心理をアメリカ社会と結びつけて、黒人というアウトサイダーを選び出して追求したものである。また、この小説はライトの経験を基にしながら書かれているところが多数あるため、ライトとビッガーとの共通点が多く存在している。
 著者であるライトは人種問題、階級闘争といった社会問題もさることながら、こうした問題が一人の人間の内面に及ぼす心理的な影響を通して、現代人の問題を追及した。
 第一章では、主人公ビッガーの性格描写と、どんなに親切にされても白人を恐怖と憎悪の対象でしか見られないビッガーの持つ白人への偏見や、白人=悪という固定観念を論じる。
 第二章では、殺人を犯してから生き甲斐を得たビッガー、白人弁護士マックスの弁論によって変わる白人への視点、死刑を宣告されてからのビッガーの心理状況を彼の台詞とともに論じる。
 第三章では、作家リチャード・ライトと、彼の生きた時代を見ていく。また、この小説がただの抗議小説ではないことを検証していく。

結論
 白人支配のアメリカでまともな職にもつけない黒人青年が、裕福な不動産会社の社長の運転手に雇われ思いやりある待遇からしばし訪れた幸福を味わうが、社長の娘の誘惑から本能として持ち合わせている白人の恐怖と憎悪にかき立てられ思わぬ殺人を犯し、処刑される。題名Native Sonが示すように、主人公ビッガーは、人種差別問題を深く宿したアメリカ社会の産んだ息子である。白人は黒人への恐怖から、黒人は白人への憎悪と防衛から殺人を犯すのである。そして彼は殺人を犯したことにより初めて生きた実感を持ち、自身の気持ちを聞いてくれたマックスという一人の白人共産党員によって白人にも心を開き、初めて白人という人間について考えるようになる。
 そして思想的にも小説第三部で、白人女性を殺し裁判を受けるビッガーに、彼が犯した罪は彼個人の責任ではなく、白人社会の責任であるとするマックスの弁護を拒否させて、彼自身主体性をもった一人の人間として自分が犯した罪の責任を自ら取り、社会に責任を転嫁せず運命を受け入れて、処刑される。
 確かにある面では、彼も白人アメリカ社会の黒人に対する差別を告発・抗議している。しかし、彼は人種問題というアメリカ社会に特有な問題にとどまらず、黒人によって象徴される普遍的な人間の問題を追及している。
 ここには黒人のアメリカ社会への烈しい抗議の声が聞かれ、黒人の側から人種問題をとりあげ、黒人の手によって完成された最初の黒人文学としてこの作品の価値は不滅である。
 きっと著者であるライトも、黒人の現状を抗議したいだけではなく、本当は白人と黒人の壁がなくなって欲しいと願い、その気持ちを当時のアメリカ国民に訴えたかったのではないだろうか。また、この作品はライトが共産党入党中であるから、共産党については善の存在として書かれており、共産党についても人々に知って欲しいというプロバカンダ的な意図もあったのではないだろうか。
 高度に発達した資本主義国アメリカにおいて、前近代的とも言える黒人差別が今日なお存在している。しかし、黒人初の大統領オバマ氏が誕生し、アメリカの歴史は変化しつつあるのだ。


(1)Richard Wright, Native Son (HAPPER & ROW,PUBLISHERS,1940)p.14. 以下、本作品からの引用はこの版からとし、本文中にページ番号を( )で表記する。
(2)佐々木みよ子編 加藤万な子『ヒーローから読み直すアメリカ文学』(勁草書房、2001)pp.131-146

参考文献
有賀夏紀 油井大三郎『アメリカの歴史』(有斐閣、2003)pp.120-pp.140
池上日出夫 伊藤堅二 須田稔 田中礼『アメリカ黒人の解放と文学』(新日本出版社、1979)pp.95-pp.99
岩元巌 徳永陽三『アメリカ文学思潮史』、(沖積舎、1999)pp.377-381
大内義一『アメリカ黒人文学』(評論社、1977)pp.97-pp.105
尾形敏彦 浜本武雄『アメリカ文学の新展開、小説』(山田書店、1983)pp,185-pp.202
加藤恒彦 北島義信 山本伸『世界の黒人文学―アフリカ・カリブ・アメリカ』(鷹書房弓、2000)pp.180 pp.182
亀井俊介 『アメリカ文学史Ⅲ』(南雲堂、2000)pp.49-pp.57
関口功『アメリカ黒人の文学』(南雲堂、2001)pp.109-pp.155
田島俊雄 中島斎 松本唯史 原雅久『アメリカ文学案内 世界文学シリーズ』(朝日出版社、1977)pp.82-83pp.213
西山恵美『もうひとつのアメリカ像を求めてーライト、ドライサー、ヘミングウェイ、モリスンを読むー』(英宝社、2003)pp.5~pp.71
日本アメリカ文学・文化研究所『論文・レポートを書くためのアメリカ文学ガイド』(荒地出版社、1996)pp.114-pp.119
渡辺利雄『講義 アメリカ文学史〔全3巻』第Ⅱ巻』(研究社、2007)pp.349-pp.361.
by mewspap | 2009-02-21 10:56 | 2008年度卒論


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