序論
子供の考えていることが手に取るようにすべてわかる人はいないだろう。子供には純粋無垢で無邪気な一面がある。しかし彼らは大人の作ったモラルを知らないので、時に大人には理解できないような行動をとることもある。
『A.I.』(A.I. Artificial Intelligence, 2001)は、母親として認識した人間をただひたすら愛するようにインプットされた子供のロボットを作り出し、商品化する物語である。大人の望む、純粋無垢で従順な子供の姿をロボットに託したのだ。子供は純粋無垢で無邪気であるというイメージを持たれがちである。そして大人は彼らがそうであることを望んでいる。しかし子供はそんなイメージに当てはまらないような性質も持っている。本論文ではそんな子供を、子供らしくない子供と呼び、アメリカ映画における子供らしくない子供について論じる。
第一章では、『白い家の少女』(The Little Girl Who Lives Down the Lane, 1976)、『悪い種子』(The Bad Seed, 1956)、『ジョシュア 悪を呼ぶ少年』(Jushua, 2007)の三作品を取り上げ、それぞれの作品の中で描かれている子供がなぜ子供らしくないのか論じる。
子供らしくない子供を表現するときに、彼らが殺人を犯すことが多い。殺人は最も犯してはならないタブーである。第二章では、引き続き第一章で取り上げた三作品を考察し、子供らしくない子供たちがその重大なタブーを軽々と犯していくことで、観客に彼らを恐るべき存在として表現していることを論証していく。