『県庁の星』
2006年日本 脚本:佐藤信介 監督:西谷弘 出演:織田裕二、柴咲コウ、佐々木蔵之介、和田聡宏、紺野まひる、奥貫、井川比佐志、益岡徹、矢島健一、山口紗弥加、ベンガル、酒井和歌子、石坂浩二 『生きる』 1952年日本 監督:黒澤明 出演:志村喬、日守新一、田中春男、千秋実、小田切みき 『青いうた~のど自慢青春編~』 2006年日本 監督:金田敬 出演:濱田岳、冨浦智嗣、落合扶樹、寺島咲、緑魔子、団時朗、斉藤由貴、由紀さおり、室井滋 『UDON』 2006年日本 監督:本広克行 脚本:戸田山雅司 出演:ユースケ・サンタマリア、小西真奈美、トータス松本、鈴木京香、升、片桐仁、要潤、小日向文世、木場勝己 『雪に願うこと』 2005年日本 監督:根岸吉太郎 出演:伊勢谷友介、佐藤浩市、小泉今日子、吹石一恵、香川照之、小澤征悦 『地下鉄(メトロ)に乗って』 2006年日本 原作:浅田次郎 監督:篠原哲雄 出演:堤真一、岡本綾、常盤貴子、大沢たかお、田中泯、笹野高史、北条隆博、吉行和子 最近、いくつかアトランダムに日本映画を観ていて、「二度生まれ」("twice-born")という言葉を思い出した。 4年前に亡くなったアメリカの文芸批評家レスリー・フィドラーが、大不況時代の1930年代に育った自分たちの世代を定義して使った言葉である。 自分たちはまず革命気運の昂揚した「赤い時代」の空気を吸って「革命家」として生まれ、それから第二次世界大戦後にあらためて「人間」として生まれ直した「二度生まれ」だと。 成長譚やイニシエーション・ストーリーというのは、要するに「二度生まれの物語」である。 『県庁の星』では、主人公の野村聡(織田裕二)がまず「エリート」として、それから「人間」として、二度生まれを経る。 織田裕二くんは、実に実に「いやなやろー」であるやり手の出世主義者を演じて、これぞはまり役であると感じさせる。 織田裕二くんは相変わらず「織田裕二を演じている」ようにしか私には見えないが(ごめんね)、それが「せいぎのみかた」とか「とってもいいやつ」とか「かっくいいヒーロー」ではなく裏表のある「いやなやろー」役だと、あのにかっと大きな口で笑ったり眉を寄せて半ば怒ったような真剣な表情を見せてもなるほど活きてくる。 その虎視眈々と出世を狙う「いやなやろー」くんが、ほとんど経営破綻しているスーパーに出向し、いつもの濃紺のスーツの上にエプロンをまとって売り場に立つ。 スーツにエプロンというのはなかなかよろしい(それに織田裕二くんによく似合っている)。スーツが表象するばりばりのやり手の行政マンと、エプロンが表象する生活者という二重性を生きることを、彼は強いられるわけである。 しかしてさまざまな不合理な体験を経て、最後に人間的に目覚めた織田裕二くんがエリート主義者の表象たるスーツを脱ぎ捨て、生活者を表象するエプロンを選ぶ、というわけではないところがよい。 かつて県庁の星として、住民無視の巨大プロジェクトを推し進めるエリートの姿はもうないが、生活者の目線に立った行政マンを目指すわけである。 地域住民の声に耳を傾け、かつてのやり手行政マンのスキルを活かしてデータ収集と分析を経て、はるかに低予算で地域環境にも配慮した新たなプロジェクト提案をおこなう。 この提案により、地域住民無視で権力とゼネコンが結託した巨大プロジェクトは瓦解する、というわけでないところがよい。 ファンタジーは主人公の内側にある。外側の現実にではない。 なるほどわれわれに社会を変えることは決してできないが、自分が変わることはできるということか。 この映画を観ていて映画的記憶としてどうしても言いたくなるのは、このお話は黒澤明の『生きる』に似ている、ということである。 県庁ではなく市役所、ばりばり出世街道まっしぐらのにいちゃんではなく長年にわたって無為な「お役所仕事」を繰り返してきた初老の男、というふうに設定の違いはあるが、いずれもそれまでの人生が終わって象徴的な死を経験し、二度生まれを見る役人という点で共通している。 『生きる』はたぶん観てから30年以上たつけれど、ほんとに『県庁の星』はその「リメイク」なのではないかと思わせる。 『生きる』の主人公の渡邊勘治(志村喬)は定年間近の男である。 ひたすら書類に判子を押すだけ、昼食も「判で押したように」毎日これ冬は素うどん、夏はざるそばという、箸にも棒にもかからない、面白くもおかしくもない男。 彼は自分が病で死期が近いと知り、初めて「人間」になる。 何十年も書類だけを相手にし、かつて役場の机から離れることのなかった役人が、貧しい地域の住民から要請のあった悪臭を放つどぶ川の改善工事のために奔走する。 そしてどぶ川を公園へと変える「人間」としての最後(で最初)の仕事を完了する。 夜、自分が作った公園のブランコにひとり揺られながら、遠くを見つめて「命短し恋せよ乙女」と静かな低音で歌う。世界の映画史に残る名シーンであろう。 命短し人間たれ青年よ、と志村喬翁は織田裕二くんに諭している。 プロジェクトの規模こそ小さいが、織田裕二くんの映画と違って、「自分が変わることによって現実は変わる」と主張することのできた時代の映画である。 成長譚における二度生まれモチーフは、最近観た『青いうた~のど自慢青春編~』『UDON』『地下鉄に乗って』『雪に願うこと』でも、不思議なひねりを利かせて反復されていた。 ふつう成長譚のフォーミュラは、主人公が経験を経て大人になる、というものである。 しかしこれらの映画は一様に、東京で一旗揚げようとするとか、アメリカでスターを目指すとか、起業して金儲けをするとかという、個人的な欲望に駆動されて故郷を捨て、家族を捨て、親を忌避した者たちが、「子どもであること」に回帰する物語なのである。 父親や母親の子であること、兄の弟であることに戻っていく「成長」物語である。 大人が成長して子どもになる。そういう不思議なイニシエーション・ストーリーなのである。 現代日本は「子ども返り」を勧奨して倦むことを知らない。 昭和30年代ブームもそれを示しているのかもしれない。高度経済成長とバブルとその崩壊後の「失われた10年」を経て、「大人」へと成長した日本はかつての「子ども」時代へと帰りたいと望んでいるのではないか。 皮肉屋のレスリー・フィドラーは、イニシエーション・ストーリーを逆転させて、そこに「転落」の物語原型を見ている。 彼に言わせれば、イニシエーション・ストーリーというのは巷間流布されているような、経験を通じて開眼し、「大人」へと成長するなどというお話ではない。 それは「無垢」なる者が「経験」を経て「堕落」する物語に他ならないのである。「イニシエーションとは知識を通じての成長への転落である」とフィドラーは言う。 フィドラーせんせ、「成長への転落」とはすごいことおっしゃる。 その背後にあるのは、エデンの園でりんごを囓って「人間」へと成長=堕落したアダムとイブの神話がある。 りんごは甘く、苦かった。 今やもうしぼんで腐ったりんごは捨てて故郷に戻ろう、というのが今日の日本映画が反復するモチーフなのである。 みんな、かつての貧しいけれど優しい抱擁で安心感を与えてくれた「旧き良き日本の故郷」の父や母のもとへと帰ろう、というエートスが日本映画を支配しつつある。かつて「成長」期には徹底的に否定し拒否した「ふるさと」が回帰してくる。 でも「楽園」からはとうの昔に追放されちゃっていて、そのゲートも固く閉ざされている。 それがつねに解放されていて、放蕩息子が帰ってくるのを待ち続けているというのが、りんごを囓って「成長への転落」を経た大人が切に必要としているファンタジーなのかもしれない。 現代日本が「子どもをやり直す」上の映画は、いずれも男が主人公である。 『地下鉄に乗って』では、象徴的な意味ではなく本当に時間を過去にさかのぼる。 迷路のような地下鉄はギリシア神話の迷宮のようで、錯綜した地下トンネルをくぐり抜ける空間移動が時間移動のメタファーとなる。 そもそも空間的な見当識を危うくする地下、騒音、暗闇が、時間超越のメタファーを用意するのである。 この映画のすごいところは、主人公の小沼信次が、これから生まれる自分自身たるお腹の子に手をやって、これから自分自身を生む母を抱きしめるシーンである。 空間上の見当識の混乱は、このように図像的に時間上の見当識の混乱と等価のものとして提示される。 その図像が示しているのはやっぱり、時間を遡及して「子どもに返る」物語は、「男」の自己愛に彩られたファンタジーで終わるということなのでしょう。
by mewspap
| 2007-04-16 11:36
| シネマのつぶやき
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