父親を捜し求める少年。書けない作家。写真を撮り続けるタバコ屋の中年親父。娘を捜し求める義眼の女性。義手を眺めながら過去の過ちを懺悔する男。『スモーク』は、何処かしら心に傷を負ったものたちの、出会いと信頼を結ぶ過程を、ユーモラスに人間味溢れた姿で描いたヒューマンドラマである。物語は個々のエピソードを扱いながら、ラシード、ポール、オーギーを中心にして進行していく。
○ラシード、ポール、オーギーの出会いと信頼を築く過程を描いたエピソード 蒸発した父親を捜し求める黒人の少年、ラシード・コール。本名、トーマス・コール。彼の父親は18年前に自動車事故を起こし、その時一緒に同乗していた彼の妻、ラシードの母親を死亡させ、それ以来どこかへ行ってしまっていた。やがて青年になり物心ついたラシードは、そんな父親の素性について大人たちから耳にするようになる。いいようのない憎しみを抱き、ある時父親の居所を耳にしたラシードは、彼を探すべく家を出る。そんな時、偶然にも地元の不良連中の銀行強盗を目撃してしまい、ひょんなことからその強奪金を盗んでしまう。彼らに命を狙われることを察した彼は、その行方をくらますべく地元を後に、父親のいる街へと姿を消す。 書けない作家、ポール・ベンジャミン。数年前に妻と子を不慮の事故で亡くし、それ以来彼は呆然自失とした日々を過ごしていた。ある日、いつものようにふらふらと道路を歩いていた彼は、危うく車に惹かれそうになってしまう。その時、偶然にも彼の命を救ったのが地元から行方をくらませてきたラシードであった。命の恩人としてラシードに礼を尽くそうとする中、ラシードの素性を察したポールは住居を提供しようとする。ラシードはそんな彼の真心を察して厄介になるのだが、スラム街から命からがら抜け出して来た彼は、その本名をラシードと偽ってしまう。もっともそんな彼の素性も、一つ屋根の下の生活を通じて次第に明らかになっていき、やがて両者は友として、時には家族のように接しあうようになる。 タバコ屋の雇われ店長をしている中年のオヤジ、オーギー・レン。過去において、恋人の為に窃盗を働き、その罪によってベトナム戦争に送られて友人の悲惨な死を目撃してきた男。彼のタバコ屋はいつもの常連達との他愛無い世間話で彩られた、何処かしら人を惹きつけるような人間臭い場所である。ポール・ベンジャミンもまた彼の店の常連であったが、とりわけお互いにプライベートな部分に踏み込もうとすることはなかった。ところが、ある晩に店内に置いてあった一台のカメラをきっかけに、オーギーがライフワークとして写真を撮っていることを知り、その写真集を目にすることになる。 オーギーは毎日、同じ時間に、14年間休むことなく、店先の交差点で一枚の写真を撮っているという。一体どうしてこんな写真を撮っているのだろうか、ポールはどう返答したらいいのか困る。オーギーは彼にもう一度、今度はゆっくり見るように勧める。ゆっくり見るポール。人々や車の移り変わり、太陽や雲がつくり出す日光や影のバランス。平日と週末の違いや気候の変化によって交差点の場景には何らかしら一定のリズムがもたらされていると知る。少しづつ、オーギーの写真集の見方に慣れてくると、今度は人々の区別に取入る。彼らの風体やしぐさを細部まで一人一人じっくりと眺める。やがて気がつけば彼らのその物腰から胸の内まで推し測ろうとしていた。 オーギーの写真がどういうものかわかった時、ふとポールは一枚の写真に今は亡き妻の姿を捕える。思わずむせび泣いてしまうポール。 写真集を通じてお互いのプライベートを知るようになった彼らは、今度は同じアーティストとして友として相手を意識するようになる。そして、写真集を読み終えた今、ポールは再び書くことをはじめようとする。 やがてポールの計らいによって、ラシードはオーギーのお店でアルバイトをはじめる。その頃オーギーは葉巻の密売に着手しており、正に計画に移そうと躍起になっていた時であった。つかの間の店番を任されたラシードだったが、不意にもその密輸葉巻を水浸しにしてしまい、怒り狂ったオーギーにクビを言い渡されてしまう。落胆したラシードを見て、ポールは盗んだ金でオーギーに償いをするように説得する。あくまで自分の未来の為のお金だと言い張るラシードに対し、人間関係の未来の為に使うべきだと反論するポール。やがてポールの説得に納得したラシードは、ポールに仲介役を頼み、償いの金としてそれをオーギーに渡す。 そんなやり取りのことも知らずに強盗団は、ラシードを求めてポールのアパートへとやってくるのであった。あいにくラシードは外出中であった為、ポールは彼らに対ししらを切り通す。しばらくして、彼らの攻防をふと窓越しに目にしたラシードは、すぐさま警察に通報しポールの危機を回避したのだった。翌日、再び行方をくらましたラシードを心配しながらオーギーとポールは、昨晩のポールの武勇伝を称えあった。 ○ラシードの父親との再会のエピソード やがて父親サイラス・コールが経営する郊外のガソリンスタンドにたどり着くラシード。一人黙々と仕事をする父親を前にして、彼は気持ちの整理をするが如く、しばらくの間その場景のスケッチを黙々と行う。ラシードの素性を知るはずもなく、サイラスはその沈黙を破るように会話をはじめる。互いの素性を探りあう中、ラシードはアルバイトとして雇ってくれるように催促する。かくしてラシードは二階の事務所の掃除係として住み込みのアルバイトを任される。ここで改めて相手がサイラスであると明らかになるが、一方のラシードはその素性を未だ隠すべくポール・ベンジャミンと名乗ってしまう。 こうして始まったガソリンスタンドでの労働生活の中で、ラシードは次第に父親の本当の姿を知るようになっていく。18年前の事故の傷跡である左手の義手を眺めながら、父親サイラスはその事故について物語る。自分が左手を不自由にしながらも生きているのは、妻を死亡させた罪深さを終始懺悔するように神様が与えた罰の証であると、真面目に述べるサイラス。実際にもサイラスはスタンドを興しながら、幸せな家庭を築こうと努力していた。複雑な趣で父親を眺めるも、ラシードはいつか自分の本名を打ち明けようとを思う。 しばらくして、休日のある日、彼はサイラスが居ない頃合を計りオーギーとポールに彼の着替えを持ってきてもらう。すると、不運にも彼と休日を過ごそうとサイラスが家族を連れてやってくる。両者に取り囲まれたラシードは、バツ悪く身分を隠そうとするもついにその本名を白状させられてしまう。トーマス・コールと名乗ったラシードに対して不意をつかれサイラスは彼につかみかかる。彼らを止めようとするも2人の怒りはすさまじく、やがて妻の一声でサイラスは正気を取り戻す。左手の義手を眺めながら涙を流すサイラス。 こうして、本当の親子の再会が果たされた今、一同はテーブルを囲みながら静かにそのひと時を過ごすのであった。 ○オーギーとルビーの娘を巡るエピソード ある日、タバコ屋にオーギーの元恋人ルビー・マクナットという女性がやってくる。彼女の娘フェリシティが家出をして、現在はここブルックリンのスラム街でドラッグに浸りながら、そのお腹には子供を孕み、昔のよしみでその出産費用を援助してくれるよう申し出てきたのだ。剣幕で迎えるオーギーに対して、ルビーはその娘が2人間に生まれた子供であるとつい口走ってしまう。全くの不意をつかれた彼は、冷静を装い、過去を引っ張り出しては娘の出生についてしらを切り、仕舞にはとある投機に出資したので金はないと追い返してしまう。次にルビーは車を走らせ店から出てきたオーギーの不意をつき、彼を無理やり娘の元へ連れて行くようにする。実際に対面すれば何とかなると高をくくっていた彼女だが、娘はすでに中絶を済ませており、当惑するオーギーとルビーを尻目に2人はさっさと追い返されてしまう。 なすすべ無しとあきらめて、娘を置いたまま故郷に帰ろうとするルビー。その時、オーギーは娘の厚生費として袋に入った札束を彼女に託す。その金は、ラシードがオーギーへの償いとして支払った金、強盗団に盗まれた金であった。 最後に、彼はその娘が本当に彼の子供であるのかどうなのかルビーに訊ねる。彼女はわからないと述べ、それは彼自身に決めてほしい問題であると応える。 ○ポールの恋愛エピソード ラシードの誕生日、ポールとラシードは書店で買い物をしていた。その時ふとポールは女性の店員エイプリル・リーに声を掛けられ、彼の愛読者であると告げられる。当惑するポール。彼女のポールに対する熱いまなざしを察したラシードは、彼女を誕生日会へ招待することを思いつく。エイプリルの素性を知るにつれ次第にポールは彼女に関心を寄せていく。それを契機にやがて2人はお互いに恋人として意識するようになっていく。 ○オーギー・レンのクリスマス・ストーリー ある日、ポールはニューヨーク・タイムズからクリスマスの日に載せる物語を執筆するよう頼まれる。何を書いたらいいのかわからないポールは、オーギーにそのことを打ち明ける。するとオーギーは昼飯のおごりの代わりに、とっておきのクリスマス・ストーリーを提供すると述べる。そのクリスマス・ストーリーとはオーギーの実話だという。 ある日、タバコ屋で子供が万引きをし、彼は財布を落としていった。その中には、母親とその子が写った写真が数枚と彼の免許書が入っていた。財布も返すことなくしばらく経ったクリスマスの日、何の予定もなかったオーギーはふとその財布を返しいこうと思い立つ。 その子の家に着いてドアをノックすると、一人の盲目の老婆、その子の母親がでてきた。彼女はクリスマスの日に息子がやって来たのだと勘違いし、息子の名を呼びながら彼を抱きしめる。一方のオーギーもつい抱き返してしまい、何を思ったのか当の息子の振りをしてしまう。もっとも互いに赤の他人であることは感じていたのだが、その場の雰囲気で本当の親子を演じながらクリスマス・パーティーを楽しんだ。 やがてお婆さんはワインを平らげて眠りこけ、オーギーは用を足しにトイレへ向う。その時、トイレの中には息子が盗んだものと思われるカメラが数台置いてあり、ふとその一つを盗んでしまう。眠りこけた彼女を置いて財布を返し、オーギーはその場を立ち去っていく。 物語を話し終えると、オーギーはお婆さんに嘘をついたことと、カメラを盗んだことを後悔していると述べる。ポールは、オーギーがお婆さんに楽しいひとときを与えた上に、カメラも有効に使っていると返答する。やがて、ポールはその話が全部はったりだと察するのだが、物語においてもっとも重要なことは、その真偽よりも人が語るありのまま物語にあると思うのであった。
by mewspap
| 2006-07-07 22:14
| 2006年度ゼミ
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