■シネマ◆
■の■■■ ■つぶ■■ ◆ その37(前) ■■■やき ■ ■ ◆ 2004-08-22 やっほ。 リハビリ「シネつぶ」その2です。 さぞやみなさん寝不足でしょうが、アテネ・オリンピックではニッポンがメダル獲得「ラッシュ」である。 関大からは2人の代表選手がいるが、いずれも文学部に在籍する学生である。 競泳の山田沙知子選手(400Mおよび800M自由形)、そして女子サッカーの下小鶴綾選手(DF)。 アテネへと出立する前に、山田選手とは少しお話しする機会を得た(職掌上の職権、というか「おこぼれ」である)。 下小鶴さんとお話する機会はなかったが、7月に図書館前で開催された壮行会では、奥ゆかしくも遠くから見守って健闘を祈る。 山田選手も下小鶴選手も結果は残念であったが、彼女たちの健闘を讃えると同時に、声を大にして感謝の意を表したい。 ありがとほお。 むろん、日本がオリンピック史上最多のメダルをゲットしつつあることには、アキモトせんせとしても歓喜落涙を禁じ得ない。 8月22日現在において日本代表の獲得メダル数は、金12、銀5、銅5、総計22 で、金メダルの数でアメリカ、中国に次いで第3位である。 だが、メダルの数に照準し、「ニッポンは……」で始まるちょいとナショナリスティックな定型句を繰り返すのも品がないであろう。 オリンピックというのは都市単位で開催されるものである(ギリシア・オリンピックではなくアテネ・オリンピックであり、オーストラリア・オリンピックでもアメリカ・オリンピックでもなかったし、4年後に開催される予定なのは中国オリンピックではない)。 選手たちは国を代表(represent)するのではなく、それぞれ個々の高い技能により選抜(select)されたと考える方が健全である。 ヤマサチ選手も下小鶴選手ももう今回はTVの画面に登場することはないので、早寝早起きのアキモトせんせとしてはたいへんつらいが深夜に放送される野球と柔道に照準する。 プロ選手を集めた中畑「監督」(誰が見たってそうでしょ)の野球は、なぜか"For the flag"を標語として採用している。 なんかこれには違和感を感じざるを得ない。 こういう表現はもっとも感情的な「ナショナリズム」を招来しやすい。 「長嶋」という記号はもっとも「国民的」という意味での「ナショナルなもの」であり続けてきたし。 だいたい、アフガニスタンからイラクにいたる混沌に日本がかかわる端緒となった、嗚々未提示国務副長官の"Show the Flag"という台詞と、シラブルの数まで一緒ではないか。 確かに、各球団から招聘されたばらばらの選手をオーガナイズするのはたいへんである。何か象徴的な標語が求められるのも理解できる。 でも、こういうときはふつう、"For the team"と言うのではないのですかね。 ベンチに掲げられた日の丸には「FOR THE FLAG 長嶋JAPAN」と刻まれ、その横には小さな日の丸とNAGASHIMAという文字と背番号3のユニフォームが掛けられている。 こういうきわめて象徴的な図像はどうも苦手である。 人は物理的なもの以上に象徴的なものによって動かされ、そのことを知悉した者は象徴の力を濫用して人を動かそうと試みるのが世の常である。 そして選手たちはみなベンチにぶら下げられたユニフォームにタッチしてからグランドに向かう。 単なる趣味の問題として受け取っていただきたいが、わたくしはこういう趣向が苦手だ。 わたくしも近代的「ネイション・ステート」という共同幻想をシェアする者のひとりとして、「ナショナルの人」ナガシマせんせにはぜひとも早期の回復を祈願したい。 そして回復を見たおりにはナショナル・チームのボスに復帰するのではなく、ぜひ刻下のプロ野球の現状と、日本プロ野球にずっと伏流してきた伝統的な「ナベツネ」的なるものへのクリティカルなコメントを出して欲しい。 それこそ「ナショナルの人」の喫緊の役割であると愚考するしだいである。 「ナガシマ・ジパング」は初戦のイタリア戦は12-0でコールド勝ち、オランダにも8-3と圧勝した。 そしてなんと、3戦目のキューバにも6-3で快勝を飾ってしまったではないか。 すごい。 ところが、次のオーストラリア戦では4-9で完敗を喫した。 うーむ。 「格下」などと甘く見ていたオーストラリアに負けたのである。 国内では、近鉄とオリックスが「粛々と」(=周りの人たちのご意見を無視して)合併協議を進展させている。 さらにはもうひと組の合併が噂されるなど、4チームじゃパリーグが成り立たないので1リーグ制にと侃々諤々(「かんかんがくがく」)と読みます)やっておる。 そんななか、去る19日、かのライブドアの社長さんが今度は新球団設立構想を発表した。 「粛々と」合併協議を進める近鉄とオリックスに業を煮やし、事態の進展を期して新手の策に出たようである。 社長さんによれば、チーム名には近鉄とオリックスの合併によって消失するであろうことが見込まれる「バッファローズ」を冠したい由である。 大阪球場を本拠としたい旨である。 近鉄とオリックスの合併による新球団への移籍の選に漏れた選手やスタッフ(要するに「リストラ」された方々)を採用するとのことである。 それでもまだ選手が足りないであろうから、わたくしはここに新たな提案をしたい。 「ドリーム・チーム」を自称してはばからなかった日本のプロ集団に、苦杯をなめさせたオーストラリアのナショナル・チームを丸ごと買い取って、それを新チームの資源としてはいかがか。 むろん、それには膨大な資金を要しよう。 ライブドアの社長が「支払う意志はない」と明言されている野球連盟への加盟料6億円を買収費に充てて一助としてはどうか。 この際「外人枠」などという排外的でヘンテコでPCにもとる制度は連盟理事会の満場一致で廃する。 チーム名は言うまでもなく「大阪オージービーフ・バッファローズ」で決まりであろう。 わたくしも世間にはびこる数多くの野次馬の方々と同じく、一銭も金は出せんが口だけ出してかくのごとくご提案申し上げたい。 柔道に目をやれば、こちらも大活躍である(アキモトせんせは寝不足である)。 以前にもちょっと触れたけれど、「文弱の徒」アキモトせんせも実は高校時代には「ふりょうのそうくつ」だった柔道部に属していた有段者なのである(うそではない)。 よって、柔道への関心はたいへん深い(そしておのが柔道はたいへん弱かった)。 今回、90キロ級の泉浩選手の試合を見ていて、あれ、と思ったのだが、試合開始の礼をしたあと、両選手が握手をしている。 ボクシングで試合開始のゴングが鳴ってグローブを合わせるのに似ている。 我が邦の武道はいずれも、「礼に始まり礼に終わる」と相場が決まっていたのだが、握手の慣行はいつから始まったのであろうか。 かつては、スポーツであれ何であれいずれの現場においても、お辞儀か握手かのEither-Orの世界であったが。 「礼」と「握手」というのは、「挨拶」行動の典型的な文化的差異を見せる好例である。 月並みな「異文化交流」エピソードで、「外国人」が握手のために手を差し出す一方日本人がお辞儀する(あるいはその逆)という「てれこ」になるのがある。 「両方やってしまう」というのもなんだね、と思われる方もおられるだろうが、ま、いずれにしてもフレンドリーであることを表現し、コミュニケーションをはかっているのだからよいことだ(今般世界的に流行している銃弾や爆弾を通じた「コミュニケーション」よりもね)。 ともかく、銀メダルは残念そうであったが、ゆっくりと深々とした泉選手の礼は、たいへん美しいものであった。 ということでリハビリ2回目の今回は、伝統と近代の、田舎と都市の、旧きものと新しきものの、すなわち老人と子どもの「異文化交流」譚である。 ◆『おばあちゃんの家』THE WAY HOME 집으로 2002年韓国 監督:イ・ジョンヒャン 出演:キム・ウルブン、ユ・スンホ、その他素人の方々および暴れ牛1頭 秀逸な映画である。実によい映画であります。 ツタヤの惹句には次のように書かれている。 「ソウルに住む7歳の少年サンウは、母親とともにおばあちゃんの家に連れて行かれ、母親が仕事を見つけるまでの間、おばあちゃんと二人で暮らすことになった。読み書きができず、話すこともできないおばあちゃんをサンウは馬鹿にし、山での暮らしに不満を漏らすが、おばあちゃんのやさしくあたたかい態度に、サンウの心は次第にときほぐされて行く―。」 ツタヤの惹句にはひどい文章もあるが、このひとはうまいですね。 この紹介文をひとことに換言すれば、「おばあちゃんと孫のとってもよい話」ということである。 しかし、ここには徴候的に欠けているものがある。それは「母親とともに」「母親が仕事を見つけるまでの間」と2度出てくる「母親」に関する点だ。 この文章からは、「とっても可哀想ながんばり屋のおかあさん」が想起されるが、とんでもない。 この映画は、わたくしが唖然とした驚きをもって、近年映画デビューを飾るのを目撃した「ビッチ(bitch)としての母親」が登場する。 その原型は、我が娘を人身売買ブローカーに売り飛ばし、その足で新しい男と出奔する『シッピング・ニュース』(@「シネつぶ」その28)の母親ペタルである。彼女は「ビッチ・ママ」像の原型にして教祖に他ならない。 我が子を「ハグして抱っこして頭をよしよし」とか、「ベッドランプの灯りのなかシーツにタックしてくれてお休みのキス」とか、「朝食のテーブルについた子どもの前にできたてのベーコン・エッグのお皿を出して"Finish your milk."と優しく言う」とか、「母性」にまつわる記号的な図像をどんどん剥奪していって、そこにいよいよ立ち現れた究極の姿を「ビッチ・ママ」とお呼びすることにしたい(異論は許さん)。 サンウの母親は、冷たい世間で女手ひとつで子育てしてきた、と言えば聞こえはいいが、田舎から都会に出てきて男にだまされ(たのであろう)、子どもを産んだ挙げ句に男に捨てられた(に違いない)のであり、救いがたい母子家庭なのである(に決まってる)。 職能も経験も技術も地位も知己も金もなく、無学無能の徒で若さも魅力もしだいに失われつつある不機嫌なボンクラ・ママ、というのが彼女の立ち位置である(ほんとだよ)。 それから、実は『ウォルター少年と、夏の休日』の母親(キラ・セジウィック)もそうなんだよね。 男たらしで惚れっぽくて捨てられ癖のある、無学無能のどーしょーもない「ビッチ・ママ」なのだよ。 このような「ビッチ・ママ」が映画デビューを果たし、当たり前のように描かれ定着されつつあることには一驚を禁じえない。 生活に疲れたサンウの母親は、職探しすることを口実に故郷のおばあちゃんのところにサンウを「一時的に」預けにゆくのだが、ほとんどそれは「子捨て」と言ってよい状況であるとアキモトせんせは認定しよう。 またその故郷の実家というのが、今をときめくウォン・ビンの出身地らしいのだけれど、ほこりっぽい山道を小型おんぼろバスにゆられゆられて地の果ての終点にいたり、そこからさらに徒歩でうんこらうんこら登っていった山上の最果ての土地に、ようやく生家の「小屋」が見出される。 生活インフラの欠如したそこでの暮らしぶりは、「非都市的」とか「近代以前」とかいう表現が美辞麗句になってしまう「うるとらド田舎」のそれなのである。 さらにツタヤの惹句について言えば、「おばあちゃんをサンウは馬鹿にし、山での暮らしに不満を漏らす」などという甘いもんじゃない。 幼児的自己中心性を遺憾なく発揮し、天上天下唯我独尊、したい放題やりたい放題わがまま放題、サンウは悪行の限りを尽くす。 供された食事には手を付けずに持参した缶詰をむさぼり食う、ゲーム機に熱中しておばあちゃんを無視する黙殺する、「触るな」「汚い」と悪態をつき、「耳も聞こえないバカ」と悪罵の言葉を投げつける。 夜、戸外便所は恐いと付き合わせる。挙げ句に「見るな」「近づくな」と専横な態度をとる。 おばあちゃんが長年使ってきた鉢を蹴落として叩き割る。 履き物を隠す(おばあちゃんは岩場を降り下った川縁まで裸足で洗い物をしに行く羽目になる)。 昼寝しているおばあちゃんのかんざしを盗む(おばあちゃんはスプーンで髪留めの代替をする羽目になる)。 バザーで野菜を売りに町に下りれば、なけなしの売り上げでサンウはお店でラーメン食わせてもらい(おばあちゃんは見てるだけ)、お菓子を買ってもらい、帰途は自分だけバスに乗り、おばあちゃんの荷物も持ってあげない(おばあちゃんは荷物を抱えたまま独りてくてく歩いて山道を帰る羽目になる)。 はたまたケンタッキー・フライドチキンが食べたいというサンウのリクエストに応え、そぼ降る雨のなか出かけていって物々交換でなんとか手に入れてきたニワトリを手ずからシメて、一生懸命作ってくれた鶏料理の食膳を、サンウは「ケンタッキー・チキンとちがう」と(星一徹ばりに)ひっくり返す。 ばあん。 駄々をこねる。ふてくされる。泣きわめく。 やだやだ。ぷんぷん。ぎゃあぎゃあ。 このようなくそガキが万死に値することは衆目の一致するところであろう。 くそガキへの対処法は、はりとばす、というシンプルかつ直裁なやり方を措いて他なしと衆議一致を見るところと信ずるが、唯一おばあちゃんだけはそれに反対票を投ずるであろう。 だって衆議もなにも「大人の男」(つまり、はりとばす、という「現実原則」をパフォーマティヴに遂行する主体と通常見なされている存在)がこの映画には登場しないのだから。 おばあちゃん以外に登場するのは、近所に住む二宮金次郎みたいな働き者の男の子と、やんちゃな女の子と、なぜか放し飼いの暴れ牛くらいなのだから。 この村には「大人の男」、すなわちスーパーエゴや制度というものが欠けている。 暴れ牛を「うむ、これこそ悪しき者に懲罰を与える超自我の象徴としてフレームに登場するのである」などと考えてはいけない。 何の理由も脈絡もなくどこからともなく突如として姿を現す暴れ牛が追っかけまわして苛めるのは、子どもながらに真面目で勤勉な二宮金次郎くんなのだから。 その非倫理性、無根拠性、暴走性、狂気の目、ロゴスの欠如が暗示するのは、むしろサンウ的で放埒な「イド」である。 話が逸れた。 んなことはどうでもよいのである。 耳も遠く口もきけず、直角に腰の曲がったおばあちゃんは、「やさしくあたたかい態度」でサンウに接するとされるが、そんな甘いもんではない。 シェル・シルヴァスタインの『おおきな木』(The Giving Tree)のごとくすべてを許し、決して裁くことなく、決して罰することなく、すべてを受け入れるのだよ。 一家に一台こういうおばあちゃんが欲しいところである、というわたくしの見解もおおかたの合意を得られるものと思量される。 ずいぶん以前に読んだ本だけれど、庄司薫の『ぼくの大好きな青髭』で登場人物が語る中国の故事を思い出した。 仙人とその娘をめぐる逸話で、こんな話。 なんの取り柄も能力も美質もないとあるボンクラ青年が旅の途中で道に迷い、一軒の家を見つけて宿を乞う。 そこの主人は仙人で、ボンクラ青年にお前はわしの娘と結婚するのだと言うんですね。 その娘というのがこれまたたいへん美しい人でした。 そうしてボンクラ青年は夢心地のそれはそれは幸福な毎日を送ります。 ところが、そのうちボンクラくんは故郷が恋しくなる。すると仙人は不思議な力を持つお守りを渡して、旅の途中で何かあったらこれを使えと言ってくれます。 あろうことか、ボンクラ青年はそのお守りの力を濫用して悪さをし、とある町で見つけた美しい娘を誘拐してしまいます。 非道な男ですね。 町の人たちは怒り嘆いてボンクラ青年を追いかけますが、彼にはお守りがあるので捕まえられません。 悪い奴ですね。 するとそこに、するすると雲に乗ってかの仙人と娘が現れます。 「ひどいわひどいわ」とよよと泣き崩れる娘、そして「美しい娘と幸福な日々を与えてやったのにお前という奴は!」と怒髪天を衝く仙人が杖の先から雷の閃光を……とはならない。 仙人は「これこれ、悪さしたらいかんじゃないか」とにこにこ笑いながら言います。 そうして、ボンクラ青年は仙人と妻である娘に再び迎え入れられ、いっしょに帰っていきます。 しばらく幸せな日々を過ごしたあと、またぞろボンクラくんは望郷の念にかられ、再び仙人からお守りをもらうと旅に出ます。 そして、案の定またしても悪行のかぎりを尽くし、巷間騒がし多くの人の怒りを買うわけです。 すると、またしても仙人と娘が現れて、「だめじゃないの」と笑って迎え入れられるのです。 なんの特技も取り柄もスキルも魅力もないボンクラ野郎なんだけれど、仙人と美しい娘がいつも待っていてくれて、たとえどんな非道なことをしようともにこにこと笑って迎え入れてくれる。 幸福な暮らしと美しい娘というのは、何か艱難辛苦を乗り越えた報償だとか、刻苦勉励の努力のたまものだとか、きらびやかな才能や能力に対する栄冠だとか、人々に善行を施したご褒美としてなんかでなく、どうしようもないボンクラ野郎に無条件に与えられるものなのである。 人生はこうでなければならない。 というお話。 いい話ですね。まことに佳話でしょ。 (以下その37後半に続く)
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| 2006-01-07 00:00
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