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シネマのつぶやき(その20)

■シネマ◆
■の■■■
■つぶ■■ ◆ その20
■■■やき ■ ■ ◆ 2003-03-28

2002年度卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。

卒業式の日、わたくしは場内整理係として中央体育館に初めて入りました。
現在は東体育館と呼ばれているのが、かつての中央体育館だった。その後、新設された現中央体育館に名称込みでその「中央」性を委譲したのですね。

小春日和のなか、写真やヴィデオ撮影の砲列を避けながら、正門から新しい中央体育館にぷらぷら向かう。
おおお。
法・文・経・商・社・総情・工の5000人を越える卒業生が一堂に会すると、さすがに圧巻である。

今年の卒業生総代は文学部、それも我が英語英文学科の学生で、とっても立派な答辞を読んでいた(わたくしにはとても真似できない)。

そのあと法文学舎に戻って、英語英文学科の卒業証書授与式。
景気は悪く世の中が殺伐とし、戦争までおっぱじまってしまったが、今年の卒業生諸君は概して元気がいい。
カラ元気かもしれないけど、それでもまあよいではないか。
とりあえずおおきな声が出れば、物事はあとからなんとかついてくる(と思う)。
卒業生のみなさんに、幸多きことを。
うう。(涙)

そうそう、うちの子も保育園の卒園式を迎えました。
二つの世紀にまたがって雨の日も雪の日も通った保育園も、残すところあと明日の一日だけです。
卒業生のみなさんと同じく、この4年間通って、当初は自転車の補助座席で頼りないほど軽かったのが、ハンドル操作があやうくなるほどおっきくなりました。
2歳のときは身長88.0cm、体重12.5kgだったのが、こないだ測定したら115.2cm、21.0kgで、27cm伸びて8.5kgも増えているではないか(デカくなった)。
これでは自転車の補助座席に載せて坂道を登るのがしんどくなるはずだ。
この子も4月からは「ぴっかぴかの一年生」になります。
もうあんまり世話をやかせてくれなくなり、あんまり遊んでくれなくなって、愛娘がどんどんパパから離れ、遠くへ去っていきます。
うう。(涙)

すべての新しい人たちに祝福あれ。
あ"ー。(号泣)

あ、それから先日、博士号の学位記授与式というのもあった。
これはわたくしがもらう側。
わたくしは儀式、式典、セレモニーの類はてんで苦手である。
そんなわたくしも、ネクタイを絞めて新調のジャケットに身を包み、式に参列しました。
うちに帰ると、ムスメは自分の卒園証書とわたくしの学位証書を並べて見比べて喜んでいます(「パパの方がおっきい、なんでー?」)。

これで、とうとうアキモトせんせもハカセというのになってしまった。
うう。(あ、べつに泣かんでもいいんだ)

今回は『N.Y.P.D.15分署』『ザ・ディレクター「市民ケーン」の真実 』『リベラ・メ』『真実の行方』の4作品。

んじゃ、どぞ。

◆『N.Y.P.D.15分署』THE CORRUPTOR
シネマのつぶやき(その20)_d0016644_17462149.jpg1999年アメリカ
監督:ジェームズ・フォリー
出演:チョウ・ユンファ、マーク・ウォールバーグ、リック・ヤング、ポール・ベン・ビクター、アンドリュー・パング、バイロン・マン
前号で「一押し」のご紹介をした『スリー・キングス』で、「お国の戦争で中東くんだりまでやってきて『他者』に出会ってしまったなんも考えてなかったアメリカの若い兵士」を演じて秀逸だったマーク・ウォールバーグが出ているので借りた。オリヴァー・ストーンも製作に入っている。

よい映画である。

汚職警官と潜入捜査をする内部捜査官のお話で、汚職警官と内部捜査官が友情で結ばれるストーリーである。

チョウ・ユンファは、『アンナと王様』の威厳も『グリーン・デスティニー』(@「シネつぶ」その8)の華麗なるワイヤー・アクションもないが、演技の善し悪しを越えたよい役者である。
存在感があって表情もよい。年を重ねてますますその存在感を増し、ますます表情に深みを加えるタイプの役者だ。
たとえ加齢とともに身体能力が下降しても、きみは役者として十分大成できる。

ここでのチュウ・ユンファは、カンフーはおろか美しい身体運動をいっさい見せないキレたデカの役。
くわえ煙草に酒呑んで、女買って博打打って、チャイナ・タウンの裏社会に通じている。

『グリーン・デスティニー』の「ただしい」カンフーの師の面影はいずこにも見られない。

彼は表彰もされている立派な警部補だが、裏ではチャイニーズ・マフィアとつるんでいる。「名誉ある警官」でもあり「汚職警官」でもあり、そしてそのいずれでもない。

長年生きてきて、人間を見てきて、社会の裏側にも通暁した人間、というだけである。直情的なマフィアやスキル頼みのドロボーなんかではなく「ひねり」のある役だ。今のチュウ・ユンファならではこそ演じることのできる役柄でしょう。
重層的な役作りができる役者じゃないと、役者の方が役柄に「キャラ負け」しちゃうからね。

他方、マーク・ウォールバーグは若き捜査官。
元弁護士で、父親は汚職でクビになった元警官で、強い正義感はもっているけれど経験値は低い若い警官の役である。
折しも先行する「トン」と新興の「ドラゴン」との中国系マフィア同士の抗争が続くなか、彼はチャイナタウンを所轄する「15分署」に転属となってチュウ・ユンファのパートナーとなる。
だが、実のところ彼はこの分署の汚職を捜査すべく派遣されてきた内部捜査官なのである。

経験値が低く正義感の強い若者と、裏社会の腐敗を含め社会の現実を体現する年長者、という話型である。
ここまでは定型だが、そのあとが違う。

若いマーク・ウォールバーグが直面するのは、まったくの異質の文化だからである。

マーク・ウォールバーグの相方が白人デカだったならば、単なる「善悪二元論」と「無垢と経験」に還元されてしまい、「クリーンなデカ」か「悪徳corruptデカ」になってしまうのだが、チャイナタウンという舞台と「中国系アメリカ人」チュウ・ユンファの起用が奏功している。

アメリカの白人の単純な世界観とまなざしに、底知れぬ歴史と入り組んだ人間関係を暗示する中国人社会が、他者として屹立するからそんな表層に流れない。

素朴アメリカニズムや、「正義/不正」という分節軸で差異化する単純な善悪二元論では割り切れない人間というのを、「悪徳警官」チュウ・ユンファを通して、若いマーク・ウォールバーグくんは知ることになる。

アメリカもずいぶんと遠い道のりを歩んで、このような単純な色分けを拒む世界観にいたった。

と思っていたら大間違ひで、現職のぶっしゅ大統領は全速力でこの道程を逆行して見せている。

うーむ、やっぱりアメリカは「懐が深く」て一筋縄ではいかない。

そういうわけで、この映画もやはり現実原則を代表する年長者と若者との「師弟関係の物語」となる。
マークくんはおいしい役を取った。

◆◆『ザ・ディレクター「市民ケーン」の真実 』RKO 281
シネマのつぶやき(その20)_d0016644_1747328.jpg1999年アメリカ
監督:ベンジャミン・ロス
出演:リーヴ・シュレイバー、ジェームズ・クロムウェル、メラニー・グリフィス、ジョン・マルコビッチ、リーアム・カニンガム、フィオナ・ショー、ブレンダ・ブレッシン、ロイ・シャイダー
TV用ドラマなんだ。すごいじゃん。

製作にリドリー・『エイリアン』『ブレードランナー』『グラディエイター』『ハンニバル』・スコットね。

おお、『フレンチ・コネクション』ではジーン・ハックマンにさんざん苦労させられた警部、『ジョーズ』では鮫の餌食になりかけた警察署長ロイ・シャイダーが、ハリウッドの映画製作会社の重役に出世している。

しかも、今度はわがまま天才小僧オーソン・ウェルズに苦労させられている。
きみの顔は苦労性顔だ。トラブルが向こうから寄ってくるんだよ。ご苦労さん。
そうだ、『2010年宇宙の旅』では木星くんだりまで行って、苦労をかけたね。
わたくし的には、ハードボイルドでいまいち冴えないきみの顔つきや役柄がけっこう好きだよ。

おおっと、ジョン・マルコヴィッチじゃないか。ただのアル中の脇役か。

これまたおおっと、『ベイブ』の無口でやたらと背の高い農夫ジェームズ・クロムウェル、新聞王ハーストに出世か!

新聞王ハーストというメディアの支配者v.s.『市民ケーン』(1941)で映画史に燦然と輝く早熟な天才オーソン・ウェルズを描いている。

「事実の報道」を建前としつつ、虚実をない交ぜにした新聞メディアと、「フィクション」の世界で真実を描き出した映画メディアとの対立の物語とも言える。
だが、オーソン・ウェルズが「作り出した」ケーンという新聞王ハースト像も、ハーストの「物語」の一面にすぎない。

最後、オーソン・ウェルズに敗れて去ってゆくハーストは、「わたしにもいくらでも言い分はある」という台詞を吐く。

かくして語られるべき「物語」の多様さが示唆される。
『羅生門』的に、それぞれがある「事実」に関して独自に「物語」を紡ぎ出し得るのだ。
つまり、オーソン・ウェルズが『市民ケーン』を通じて描き出した「ハースト像」というのも、ひとつの「物語」なのである。それは唯一の客観的真実というのでは決してなく、「もっとも成功した」物語と呼ぶべきものだ。

◆◆◆『リベラ・メ』LIBERA ME
シネマのつぶやき(その20)_d0016644_17472963.jpg2001年韓国
監督:ヤン・ユノ
出演:チェ・ミンス、チャ・スンウォン、ユ・ジテ、キム・キュリ
『タワーリング・インフェルノ』を嚆矢とし、『バック・ドラフト』でピークに達した消防士もの。

そんで『タワーリング・インフェルノ』と『バック・ドラフト』を韓国でやりたかったのだということがわかる。

途中まで主人公とワルモノとの顔の識別ができなかった。すまない。
放火犯は市川染五郎で、小児病棟の女先生は倍賞美津子で、主人公の「先輩」は高倉健である(というふうに識別したらようやくわかった)。

放火犯の極限のチャイルド・アビュース体験のトラウマをもっときちんと描きましょうね。
そうしていたら、『永遠の仔』のような哀切感が醸成されたでしょうに、残念。そこが失敗。

台詞の少ない火炎の美学を追究しようとしたのはわかるが、恋愛ドラマを交ぜるのがいまいち。

プロの消防士たちの行動にもしばしば疑問あり。
双子のパパが死ぬのは変。
台詞をしゃべるために、フェイスガードも酸素マスクも外して火災現場をうろつくのも変。
仲間を死なせてしまった罪悪感などは、放火犯のトラウマ的犯罪動機に比べたら影が薄い。

『アポロ13』で証明した演出・特撮・はらはらどきどき=『バック・ドラフト』ロン・ハワードには結局負けてしまう。

ツタヤの惹句によれば、「消防車輌300台、LPガス6トンを投入した火災シーンは、CGでなく"本物の炎"。さらに、撮影スタジオでなく大都会の真ん中に立つ本物の高層ビルを爆破。俳優たちはスタントマンを拒否するなど、緊迫感と、迫力、恐怖、熱気がリアルに伝わってくる大スぺクタル。」と相成る。

認めよう。

でも確かにがんがん建物が燃えて「爽快」だけど(ふつうヒトというのは大量の炎を目にするとデヘヘヘヘ~となる)、爆薬やLPガスの量じゃないんだってば、映画っていうのは。

◆◆◆◆『真実の行方』PRIMAL FEAR
シネマのつぶやき(その20)_d0016644_17475576.jpg1996年アメリカ
監督:グレゴリー・ホブリット
出演:リチャード・ギア、ローラ・リニー、エドワード・ノートン、フランシス・マクドーマンド
もはやハリウッド映画の一大ジャンルをなす法廷もの、弁護士ものです。

弁護士は定石どおり「やり手のヤッピー男」(リチャード・ギア)だが、検事は女性でさらに裁判長は黒人の女性。
とってもポリティカリーにコレクトである。

リチャード・ギアを「完全に喰った」エドワード・ノートン、双子を用いるのは禁じ手のトリックだが、ここでは「二重人格」の人物である。
二重人格というのは役者がポイントである。やっぱエドワード・ノートン、うまいわ。この映画で1996年度ゴールデングローブ賞助演男優賞をとった。
マーク・ゴールドバーグとともに、ハリウッド演技派の将来はきみたちに任した。

しかし、いつも同じ演技しかできないリチャード・ギアに比して、エドワード・ノートンはほんとに役者巧者である。

『スコア』(@「シネつぶ」その19)でも「二重」人格の人だった(実は演技)。
『ユージュアル・サスペクツ』(@「シネつぶ」その15)のケヴィン・スペイシーを彷彿とさせる。
だが、あまりの演技巧者であるがゆえに、彼の利点はそのまま欠点になる可能性がある。
イノセントなキャラも、ぶっきぃな「ひとごろし顔」も、片方だけの役柄じゃノートンくんには役不足の感がある。

人間の裏側の顔もお見通しで、「真実」など相対的なものだと高をくくっていたヤッピー弁護士くんが、人間のさらなる奥淵をかいま見てしまって、途方に暮れて立ちすくむシーンで終わる。
「真実」でさえ手玉に取れると思っていたヤッピー弁護士くんの、「望んでいなかった」成長物語である。

ショーン・コネリーの『理由』(@「シネつぶ」その3)と同じく、とっても「よい子」の冤罪をはらし、機能不全に陥った社会システムを糾すために立ち上がった「ただしい弁護士」のお話、というのを一回転ひねって、頭もキレるし精神もキレてる「わるい子」が「よい子」の振りをしていて弁護士くんは騙されました、人間って奥深くって恐いし、正義を旗印にした弁護士ってのも社会システムの虜囚にすぎないってことを学びましたってお話。

ショーン・コネリーもリチャード・ギアも「とってもいい人顔」してるでしょ。ああいう正義の人って、イジメたくなるんだよね。

やり手の女検事は公共の場でやたらと煙草を吸うシーンがあるけれど、それが彼女の神経質さといらだちを表す。
こういう「小技」が効いてくるんだよね。『アイ・アム・サム』の「カフェイン中毒」の女弁護士のコーヒーみたいに。

2003-03-28
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by mewspap | 2006-01-05 15:45 | シネつぶアーカイヴ


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