引き続き、ワシントン・アーヴィング(Washington Irving)著の『スケッチ・ブック』(Sketchbook)という短編集に綴られている「スリーピー・ホローの伝説」(The Legend of Sleepy Hollow)という作品について。
今回は前々回に投稿した入れ子構造(語り手の中の語り手)に続く節を考えついたので、前々回に投稿した内容と纏めて1つの章として投稿します。因みに、前回に投稿した印象と効果についての章を第1章としたいと思います。 第2章 入れ子構造 「スリーピー・ホローの伝説」では、入れ子構造の形式でストーリーが構成されている。以下は入れ子構造に関する説明である。 「1. 同様の形状の大きさの異なる容器などを順に中に入れたもの。重箱や杯などの入れ子細工。代表的なものとしてロシアのマトリョーシカ人形がある。 2. 1. から派生して、プログラミングにおけるネスティング(入れ子構造)のこと。 3. 同じく1. から派生して、劇中劇などのように、物語の中で別の物語が展開する構造のこと。」(1) 「スリーピー・ホローの伝説」では、作中で2つのタイプの入れ子構造の形式が見られており、本章ではその2つのタイプの入れ子構造が、ワシントン・アーヴィングの読者にユーモアを誘う技法として用いられていることを論じていく。第1節では作中でスリーピー・ホローの伝説」を語る複数の語り手について、第2節では伝説の中で伝説となるイカバッドについて説き、それぞれがワシントン・アーヴィングの読者にユーモアを与える技法であることを論じる。 第1節 入れ子構造(語り手の中の語り手) 「スリーピー・ホローの伝説」は、物語を語る中で物語を語る人物が複数存在する、入れ子構造の形式でストーリーが綴られている。作中では霜降り服の紳士(2)(P242)が「首の無い騎士の亡霊」(P194)の物語を「マンハットー市」(P242)の市会の席上でディードリッヒ・ニッカボッカー(Diedrich Knickerbocker)という人物に話し聞かせており、その人物の手記を元にして物語が進行している設定で描かれている。この入れ子構造の形式で描かれるストーリーに、ワシントン・アーヴィングの読者にユーモアを誘う技法が幾つか取り込まれている。 順を追って説明すると、先ずディードリッヒ・ニッカボッカーに物語を話した霜降り服の紳士が最初の語り手ではない。霜降り服の紳士は物語の最後に「そのことにつきましては、わたくし自身、半分も信じていないのです」(P242)と話している。このセリフはディードリッヒ・ニッカボッカーと同席して物語を聞いていた老紳士(P241)の批判に対して、霜降り服の紳士自身が述べたものである。つまり霜降り服の紳士は他人から聞いた話をディードリッヒ・ニッカボッカー達に語っていた設定が推測できる。 次に「首の無い騎士の亡霊」を手記として残したディードリッヒ・ニッカボッカーには2つの解釈が出来る。一つ目はディードリッヒ・ニッカボッカーがワシントン・アーヴィング自身であると同時に、小説の語り手であるという解釈である。その理由は、ディードリッヒ・ニッカボッカーとはワシントン・アーヴィングが使用していたペンネームだからである。 「1809年、ワシントン・アーヴィングが『ニューヨークの歴史』というニューヨークに住むオランダ人移民者についての本を著した。この時アーヴィングはオランダ系の名前であるディードリッヒ・ニッカボッカーというペンネームを用いた」(3) 作中では、冒頭に「故ディードリッヒ・ニッカボッカーの遺稿より」(P192)と記されていたり、あとがきとして「ニッカボッカーの手記より」(P240)とあることから、ワシントン・アーヴィングは自身を作品の中で殺してしまうという自作自演が読み取れ、彼のペンネームを知っている読者に対して笑いを誘う。それと同時に手記を残していたニッカーボッカーであるワシントン・アーヴィングこそが本当の語り手であることが分かる。これがディードリッヒ・ニッカボッカーにおける1つ目の解釈であり、ワシントン・アーヴィングの読者にユーモアを誘う技法でもある。 そして2つ目はディードリッヒ・ニッカボッカーが単純に小説の語り手と言い切れないという解釈である。つまりディードリッヒ・ニッカボッカーはワシントン・アーヴィングが意識的に操る語り手であり、読者にユーモアを誘うもう1つの技法であるという解釈である。順を追って説明すると、先ずワシントン・アーヴィングのプロフィールから述べる。 「アーヴィングは1815年にヨーロッパへの旅に出た。1819年~1820年、彼は最も有名な作品『スリーピー・ホローの伝説』と『リップ・ヴァン・ウィ ンクル』を含む文集『スケッチ・ブック』を刊行した。ヨーロッパ滞在中、彼はアメリカのイギリス使節団のメンバーであったが、ひまな時に彼は大陸部へ旅行に出かけ、オランダやドイツの民間伝承を幅広く読んだ。『スケッチ・ブック』に収録されている物語はヨーロッパでアーヴィングが書き、ニューヨークにある出版社へ送られて、アメリカの雑誌に掲載された。」(4) 上述の注釈より、ワシントン・アーヴィングがオランダやドイツの民間伝承を読んだ(または聞いた)話をモデルに「スリーピー・ホローの伝説」を作りだした事実が判断できる。更に詳しく述べると「スリーピー・ホローの伝説」は「G・A・ビュルガーの『幽霊の首領』とJ・K・A・ムゼーウスが集成した『ドイツ民間童話』に含まれているポーランドとチェコスロヴァキアの国境に聳えるスデーティ産地の精を扱った「デューベザール伝説」による作品」(5)であると言われている。 またワシントン・アーヴィングはディードリッヒ・ニッカボッカー以外にも複数のペンネームを使用していた。以下は注釈(4)より掲載されているワシントン・アーヴィングのプロフィールから作成した、アーヴィングが使用したペンネームの流れである。 本名・ワシントン・アーヴィング アメリカ独立確定の年に生まれたアーヴィングは独立革命の英雄、合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンにちなんでワシントン・アーヴィングと名づけられた。 ↓ 最初のペンネーム ジョナサン・オールドスタイル(Jonathan Oldstyle) 代表作・『ジョナサン・オールドスタイルの手紙』(Letters of Jonathan Oldstyle) ↓ ディードリッヒ・ニッカボッカー 代表作・『ニューヨークの歴史』(A History of New-York) ↓ ジェフリー・クレイヨン(Geoffrey Crayon) 代表作・『スケッチ・ブック』 上述した、ワシントン・アーヴィングが『ドイツ民間童話』に含まれている「デューベザール伝説」という話をモデルに「スリーピー・ホローの伝説」を作りだした事実と複数のペンネームを使用していた事実から、ディードリッヒ・ニッカボッカーが単純に小説の語り手だと断言できないという解釈が推測できる。何故ならワシントン・アーヴィングがオランダやドイツの民間伝承をモデルに物語を作りだしたことから、「スリーピー・ホローの伝説」を作成するに当たり、作家としての独創性を強く発揮できない点で、ワシントン・アーヴィングが物語を記すに当たって語り手の存在に一層配慮したはずだと考えられるからである。 ワシントン・アーヴィングは「スリーピー・ホローの伝説」を記すに当たり、首無しの騎士の存在を「しかし、この妖術をかけられた地方につきまとう主領の精霊で空中の魔力の総大将とおぼしいのは、首無い騎士の亡霊である。ある人たちのいうのには、これはヘッセからアメリカに渡った騎兵の幽霊であり… …亡霊が夜半の疾風のように、速くこの窪地うぃ通り去るのは、刻限におくれたために、大いそぎで夜明け前に墓場へ帰ろうとしているのだということだ。」(P194)と、如実のように語る。だが同時にゴシック的恐怖を否定する説明「しかし、こういうことも夜だけの恐怖にすぎず、心の迷いで暗闇に横行する物の怪にすぎなかった。そして、今までに彼は幽霊をたくさん見たことがあるし、ひとりで散歩したときには、いろいろな形をした悪魔に取りかこまれたこともあった。だが、昼の光をさせば、こういう悪魔どもはすべてうさん雲散霧消し、悪魔がいようと、また、それがどんな仕業をしようと、彼は愉快な人生をおくったにちがいない。」(P204)を、幻想を用いて包み隠したり、物語に登場する人物の人格を操るなど、読者に対して巧みに首無しの騎士の存在を幻想か否かのバランスを計っている。そのため読者はこの物語を半信半疑で読み進めてしまうので、最後には首無しの騎士が主人好イカバッド(Ichabod)の恋敵であるブロム(Brom)であったと語り手に騙され、笑みをこぼす。つまりこの物語において、語り手という存在はそれ程洗練や熟練が必要となる重要なものになると言え、ディードリッヒ・ニッカボッカーが単純に語り手と言い切れない解釈に繋がる。これがディードリッヒ・ニッカボッカーにおける2つ目の解釈であり、ワシントン・アーヴィングの読者にユーモアを与える技法である。 総じて、物語を語る中で物語を語る人物が複数存在する、入れ子構造の形式でストーリーが綴られている「スリーピー・ホローの伝説」はディードリッヒ・ニッカボッカーがワシントン・アーヴィングであるか否か、どちらの解釈が真にしろ、読者にユーモアを与えてくれる物語だと言える。 第2節 入れ子構造(伝説の中の伝説) 前節でも述べたとおり「スリーピー・ホローの伝説」は、物語を語る中で物語を語る人物が複数存在する、入れ子構造の形式でストーリーが綴られている。加えて「スリーピー・ホローの伝説」では、物語を語る中で物語を語る人物が複数存在する形式以外にも、イカバッドが伝説の中で伝説となる入れ子構造の形式がストーリーを構成するにあたり用いられている。 「じつをいえば、この幽霊の冒険談はある年とった農夫から聞いたのであるが、この農夫が、その後数年してからニューヨークに行ってきて、故郷にもちかえったしらせによると、イカバッド・クレーンはまだ生きており… …彼は遠方に住居を変えて、学校で教えるかたわ法律を勉強し、弁護士になり、政治家に転じ、選挙運動に奔走し、新聞に寄稿もし、ついに民事裁判所の判事になったということだった。」(P239) このようにイカバッドは、首無しの騎士に扮したブロムに追いかけ回され、スリーピー・ホローから失踪した事件の後に、法律を勉強して、最終的には民事裁判所の判事になったことが、後日談として本文で語られている。けれども、スリーピー・ホローに住む住人は、その事実を信じようとはしない。 「しかし、田舎の老婆たちは、こういうことについては最上の審判官ではあるのだが、彼女らは今でも、イカバッドは超自然的な方法でふしぎにも運び去られたのだと言っている。この近辺のひとびとは冬の夜に炉をかこみ、好んでこの物語をするのである。例の橋はいよいよもって迷信的な恐怖の対象となり、そのためであろうが、近年になって道すじが変えられ、教会へ行くには水車用水地の端を通るようになった。学校は使わなくなって、間もなく朽ち落ちてしまい、不幸な先生の幽霊が出るといわれたものである。農夫の子が、静かな夏の日ぐれに家路をたどるときには、しばしばあの先生の声が遠くに聞こえ、もの悲しい賛美歌を人影もないしずかなスリーピー・ホローで歌っているような気がした ものである。」(P240) 上述したようにイカバッドがその後判事となった知らせを聞いても、彼がスリーピー・ホローで首無しの騎士によって神隠しにあったと考えているからだ。更にはこの神隠しの話しを好んで行い、一層迷信的な恐怖の対象として、首無しの騎士が出現した橋やイカバッドの学校を避けて、遂には彼が静かな夏の日ぐれにもの悲しい賛美歌を歌う幽霊として存在しているように扱われている。つまりイカバッドは首無しの騎士の伝説に取って代わって「不幸な先生の幽霊」として、スリーピー・ホローの伝説の中で伝説化されたのである。この「不幸な先生の幽霊」が伝説の中で伝説となる入れ子構造の形式が、ワシントン・アーヴィングの読者にユーモアを与える技法へと、如何にして繋がっているのかを証明するが、その前に先ず、イカバッドがカトリーナに求愛し、振られ、ブロムが扮する首無しの騎士の幽霊に打ちのめされてスリーピー・ホローを追放されるが、その根本的な原因は彼自身の物質的・人間的豊かさの欠落であることを説く。 第1章で説明したように、イカバッドは「オランダ人に対立するニューイングランドのヤンキー」である。加えて「飢餓の権化」として描かれているなど、彼が貧しい生活を送っていたことが分かる。これを裏付けるものとして「学校からあがる収入はわずかだったし、とても毎日の糧をもとめるにも足りないくらいだった」(2)(P199)という文章が原作でも明記されている。対してカトリーナは第1章の人物描写で「カトリーナ・ヴァン・タッセルという、オランダ人の金持ち農夫の一人娘がいた。彼女は花はずかしい十八歳の乙女だった。しゃこのように丸々と肥って、熟して柔らかで赤い頬は、まるで彼女の父のつくった桃にも似ていた。… …さらに男性の胸をときめかすような短いスカートをはき、この界隈きっての綺麗な足とくるぶしを見せつけたものである。」と述べたように、イカバッドと違って裕福で充実した生活を送っている。つまりカトリーナは「ヨーロッパ的な古い伝統と、アメリカにおける定着と自足が産み出した豊かさの象徴」(7)(P60)として描かれているのだ。そして同時にイカバッドがオランダ人社会における物質的豊かさにおける利益だけでなく、人間的豊かさにおける利益すらも「がぶりとのみこんでしまう」ほど貪欲なヤンキーであり、スリーピー・ホローを脅かす脅威であったことが言える。 伝説や迷信、幽霊の存在が、長期に渡った定住の中から生じる人間的豊かさだとワシントン・アーヴィングが考えていることから、定住を脅かす物質的・人間的豊かさが欠落したヤンキーは追放されなければならない。この追放に伝説を用いたことこそが、ワシントン・アーヴィングの、読者に対してユーモアを与える技法である。 「『スリーピー・ホローの伝説』は『ドイツ民間童話』の一伝説の焼直しではあるが、いわば、伝説の根拠を破壊する勢力を追放するという形の伝説に再伝説化したものなのである。」(7)(P60) イカバッドは迷信深く、怪談や伝説を好んでいるが、伝説の根拠を破壊する勢力としてオランダ人社会であるスリーピー・ホローに受け入れられない。物質的・人間的豊かさが欠落しており、オランダ人社会における物質的・人間的豊かさを脅かす「飢餓の権化」であったことが原因で、自身が好んだ伝説そのものに利用されて、スリーピー・ホローを追放されてしまう。伝説の中で伝説になる入れ子構造の形式には、イカバッド自身ではなく、彼の幽霊だけがスリーピー・ホローで新しい伝説として受け入れられてしまうという、ユーモアを読者に対して与える技法として用いられていることがいえる。 注 (1)Wikipedia(入れ子) 《http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E3%82%8C%E5%AD%90》 (2)ワシントン・アーヴィング(吉田甲子太郎,訳)『スケッチ・ブック』(新潮文庫,1957)以下、本作品からの文の引用はこの本からとし、本文中にページ番号を( )で表記する。 (3)Wikipedia(ニッカーボッカーズ) 《http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%BA》 (4)Wikipedia(ワシントン・アーヴィング) 《http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0》 (5)鏡味 国彦 齊藤 昇『英米文学への誘い』(文化書房博文社,2008) (6)ドナルド・A・リンジ(古宮照雄/谷岡朗/小澤健志/小泉和弘,訳)『アメリカ・ゴシック小説~19世紀小説における想像力と理性~(松柏社,2005) (7)武藤脩二著『印象と効果』(南雲堂,2000) 参考文献 (1)ワシントン・アーヴィング(吉田甲子太郎,訳)『スケッチ・ブック』(新潮文庫,1957) (2)http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=3501&pg=20031226 (3)鏡味 国彦 齊藤 昇『英米文学への誘い』(文化書房博文社,2008) (4)ドナルド・A・リンジ(古宮照雄/谷岡朗/小澤健志/小泉和弘,訳)『アメリカ・ゴシック小説~19世紀小説における想像力と理性~』(松柏社,2005)
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