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『1Q84』:「秘密の共有」と「明晰な意思」(Mew's Pap)

1年次生向けのリレー講義で先週出した課題が昨日〆切だったので、オンライン投稿された課題のコメントをさくさく読む。
ふむふむ、おもしろい。
おもしろいけど、受講生数が多いので、これを分析・分類し、講義でリスポンスするためにとりまとめる作業に思いの外時間がかかる。

半日かけてようやく終えて、ソファに寝転んで『1Q84 』の続きを読む。

牛河の章である19章で、驚くべき覚知が訪れる。
 やがて牛河は息を呑んだ。そのまましばらく呼吸することさえ忘れてしまった。雲が切れたとき、そのいつもの月から少し離れたところに、もうひとつの月が浮かんでいることに気づいたからだ。それは昔ながらの月よりはずっと小さく、苔が生えたような緑色で、かたちはいびつだった。でも間違いなく月だ。そんな大きな星はどこにも存在しない。人工衛星でもない。それはひとつの場所にじっと留まっている。
 牛河はいったん目を閉じ、数秒間を置いて再び目を開けた。何かの錯覚に違いない。そんなものがそこにあるわけがないのだ。しかし何度目を閉じてまた目を開いても、新しい小振りな月はやはりそこに浮かんでいた。雲がやってくるとその背後に隠されたが、通り過ぎるとまた同じ場所に現れた。
 これが天吾の眺めていたものなのだ、と牛河は思った。……ここはいったいどういう世界なんだ、と牛河は自らに問いかけた。俺はどのような仕組みの世界に入り込んでしまったのだ? 答えはどこからもやってこない。無数の雲が風に吹き流され、大小二つの月が謎かけのように空に浮かんでいるだけだ。
謎を追い一つひとつのピースをつなぎ合わせて秘密の開示へと向かっていた牛河は、それまで知らなかった謎の核に触れる。
青豆、天吾、牛河、そして読者は秘密の共有者となる。
彼はその特異な風貌と同じく特異な能力を駆使して、物語世界で読者の代わりに謎を追い詰めてゆく代理人というだけでなく、読者と同じ地平に立ってこの世界への畏怖と驚異の念を共有する者となるのである。
このとき牛河は、青豆と天吾と寄り添っていたわれわれ読者の、同伴者となる。
別の言い方をすれば、青豆と天吾の視点から「牛河のような不気味な人間が跳梁跋扈する世界」を見ていた「物語論的に安全な立場」を奪われ、薄気味悪い牛河の「飛び出したような目」を我がものとすることを強いられるのである。
もはや牛河は私の「代理人」ではない。
私が、ずんぐりした体躯の、今にもくっつきそうな両のげじげじ眉毛をもった、いびつで異様に大きな頭をもった、世界から忌み嫌われる牛河なのだ。

20章の青豆の章で、今度は彼女が追跡者となる。
呆然と二つの月を眺めていた牛河に気づき、その跡を追う。
行き先は天吾の住むアパートである。
青豆はタマルに電話して善後策を依頼する。
そして付け加える。
「もうひとつあなたにお願いしたいことがある」と青豆は言う。
「言ってみてくれ」
「もしそこにいるのが本当に川奈天吾だとしたら、彼にどんな危害も及ばないようにしてもらいたいの。もしどうしても誰かに危害が及ばなくてならないのだとしたら、私が進んで彼の代わりになる」
単純で、明晰な、うむを言わせぬ意思である。青豆にとってそれは素朴な真実以外の何ものでもない。
by mewspap | 2010-04-19 18:28 | つれづれレヴュー


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