今が通りすぎていった後に

d0016644_9385796.jpg一仕事終わったし久しぶりに映画見よっとお出かけし、車内で一昨日の朝日新聞を拡げたら、土曜おまけの『be on Saturday』がはさまっていた。

連載の特集記事「うたの旅人」は、今回、往年のスカイラインCMソング「ケンとメリー~愛と風のように~」を取り上げている。

うむ。懐かしいですね。
日産スカイラインは、1970年代初めにこの「ケンメリ」のCMで大ブレークしたのである。途切れそうでいて伸びのある高音で歌う謎めいたデュオBUZZ(当時フォークシンガーとかロックバンドってテレビに出なかったんです)の曲も一世を風靡した。

わんぱく小僧であった猫元少年も、「スカイライン的なるもの」への憧憬を抱いたものである(ミニカーも買った)。丸形のテールランプは独特で、ほとんどジープのヘッドライトみたいだった(かっくいい)。

その後、ときおり街中でスカイラインを見かけたが、ドライバーズ・シートの年長のにーちゃんたちはケンとはほど遠く、助手席のねーちゃんたちもメリーとは似ても似つかぬおかめ面・・・いや、もとい、CMで生成された幻想を叩き壊すのに十分であった。

そりゃそうだわな。ケンメリと比べてはかわいそうである。



BUZZの歌は(おそらく『イージー・ライダー』に影響を受けて)日常を捨てて旅に出るというモチーフだった。
youtubeで往時のCMをそのまま見ることができる(便利な世の中になった)。
http://www.youtube.com/watch?v=qQNfeA6ZsDc
いつだって どこにだって
はてしない空を 風は歌ってゆくさ
今だけの歌を
心はあるかい 愛はあるのかい
スプーンとカップをバッグにつめて
今が通りすぎてゆく前に
道のむこうへ 出かけよう
今が通りすぎてゆく前に
愛と風のように 愛と風のように


いつだって どこにだって
知らない町を 風は歌ってゆくさ
ふたりの歌を
心はあるかい 愛はあるのかい
見なれた時計を 部屋に残して
今が通りすぎてゆく前に
朝が来たら 出かけよう
今が通りすぎてゆく前に
愛と風のように 愛と風のように
しかしこの歌詞をよく見ると、自動車で旅に出るという「空間」についての物語に擬していて、実は「時間」をめぐる物語なのだと分かる(ということに30余年ぶりに気づいた)。

空間モチーフは、時間モチーフの「後追い」をするだけだ。
冒頭からして「いつだって」に始まり、そのあとに「どこにだって」が続く。
そして「今だけの歌を」という時間モチーフが繰り返され、さびのところでは「今が通りすぎてゆく前に」が二度にわたり反復される。

2番も同じ。
「見慣れた時計」は残していかなければならない。「朝が来たら」出かけるのだ。

1番も2番も(ボブ・ディランの「風に吹かれて」を模して)「風は歌ってゆくさ」と断言調で始まる。
だがそれは、「はてしない空」とか「知らない町」という徹底して不確かで曖昧なものに仮託した断定であり、ただの「強がり」でしかない。
その一方で、もっとも身近にあるはずのものは、およそ疑問文でしか口にできないものなのである(「心はあるかい」「愛はあるのかい」)。

ここに絡め取られた哀切と諦念は、すでにそれが失われてしまった未来のある時点から現在を遡及的に振り返るまなざし、「いまだ達成されいない=必ずや訪れるに違いない」欠落を先取り的に了解する喪失感に彩られた視線に由来するものなのである。

過去のある時点に発して現在までその影響が継続用法的に及んでいる現在完了形という通常の時間軸が混乱をきたしたかのように、未来のある時点に発して現在までその影響を遡及的に及ぼしている未来完了形の継続用法という逆立ちした語法なのである。

この記事の筆者は、とある編集者のコメント「カップルはメリーが主役。2人の目線を追うと、メリーが見ているものをケンが気遣って見ているという男女の関係が浮かびます」を引いていた。
それがこのCMの「時代を先取りする仕掛け」であると。

ぶっぶー。違うよ。

天真爛漫なメリーちゃんに比して、ケンちゃんはつねにすでに先取り的な喪失感を抱いておるのだよ。

この旅も永遠には続かず、メリーちゃんの天衣無縫な無垢も失われてしまうことを、未来完了形継続用法的に「知っている」まなざしなのだ。

ケンちゃんの目は無邪気なメリーちゃんのそれと違って悲しげでしょう。
そういえばCMの映像も、つねに「今ここ」を見つめて無邪気に楽しんでいるメリーちゃんに対して、ケンちゃんはいつもどっかぼんやりと遠くを見ている風情だった。

もしケンちゃんが何かを気遣って見ているのだとしたら、それはメリーちゃんが見ているものをではない。彼女が「見ていない」ものを見ている。
メリーちゃんの中の(未来完了形的に「いずれ=すでに」)失われてしまったものを、ケンちゃんは見ているんだよ。

時間をめぐるBUZZの曲は、憧憬に満ちた目をぱちくりさせていたわんぱく小僧の猫元少年も、やがて長じて大人になり、さまざまな幻想が消え去ったあと、ふと気づくと疲弊したおじさんになっていることに自分でも驚くだろうと予言していたわけである。(してねか?)
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by mewspap | 2009-07-21 09:51 | つれづれレヴュー


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